ロイター通信によると…
イタリア、学校でのジェンダーニュートラルシンボルを禁止、最新の文化衝突
ミラノ、3月21日(ロイター) – イタリア教育省は21日、性別を区別しない記号の使用が不明瞭でイタリア語の文法規則に反しているとして、学校に対し使用を禁止するよう指示した。この動きは、伝統的価値観の守護者を自称する右派政権と、LGBTQや女性の権利擁護者との間の緊張を悪化させる恐れがある。
(略)
ジョルジャ・メローニ首相は2022年に就任する際、首相の公式称号「presidente del consiglio」の前に女性形の冠詞「la」ではなく男性形の冠詞「il」を付けたいと発言し、物議を醸した。イタリア語では、他のラテン語系言語と同様に、名詞と形容詞は女性形または男性形をとりますが、男女両方の名詞が複数形の場合は男性形が優先されます。[全文は引用元へ…]
以下,Xより

【himuroさんの投稿】
【速報】イタリアが学校でジェンダーニュートラルな記号を禁止しました。 pic.twitter.com/atW0lQq2k0
— himuro (@himuro398) March 23, 2025
そうだよね
— フクちゃんの釣りチャンネル2 (@0508_0725) March 24, 2025
ニュートラルとか意味不明だよね
こういう当たり前を当たり前にやってくれるのが凄く羨ましい。
— SHINJI (@snakagawa2009) March 24, 2025
メローニ首相は本当に反多様性のリーダーという感じがしますね。
— 積みプラ管理人 (@oi5eLQ5ypoasAUe) March 24, 2025
引用元
https://x.com/himuro398/status/1903937767891255421
https://www.reuters.com/world/europe/italy-bans-gender-neutral-symbols-schools-latest-culture-clash-2025-03-21/?utm_source=chatgpt.com [ロイター]
最新記事
-
国内アフリカ出身の難民男性の帰化申請認めず 東京地裁「日本語能力があったとは認めらない」[産経]26/05
-
国内アイヌ民族のルーツ「無駄にしたくない」 千葉県出身・佐藤さんが平取高入学 差別受けた父の遺志受け継ぐ[北海道新聞]26/05
-
国内日本に来るため「相場の2倍」を請求され…「だからもっと働きたい」 お惣菜工場で頑張るベトナム人女性の事情[東京新聞]26/05
-
国内FBIと内調が連携強化 国家情報局設置巡り[共同]26/05
-
海外【中国の地図アプリAMap】通話内容を中国に送信 国家安全局がリスク指摘[台湾]26/05
-
国内国内のイスラム教徒急増で大混雑 “モスク不足”訴えの一方で相次ぐ建設反対[テレ朝]26/04
-
国内「日本で働く魅力」が薄れてきた…ベトナムで募集をかけても人が集まらず[東京新聞]26/05
-
国内【介護福祉科の新入生】9割超が外国人留学生 志す日本人減、国の受け入れ方針も影響 福井県の若狭医療福祉専門学校[福井新聞]26/05
-
海外働くなら「日本より韓国」の変化が起きている ベトナムの人材送り出し機関が懸念[東京新聞]26/05
-
国内イスラム教徒のための「どこでも礼拝室」、福祉機器メーカーが開発…「観光地に選ばれる理由になり得る」[読売]26/05
-
国内外国人へのごみ出しルール周知など「国の交付税で半額負担」 総務省、自治体の多文化共生支援[産経]26/05
-
国内【タイ国籍の男3人】「1戸建てで雨戸を閉め切っている家を狙った」11都府県で窃盗など167件の犯行重ね2400万円相当を盗んだ疑いで逮捕・起訴 茨城県警[TBS]26/05
-
国内発表から1週間足らずで始まった「外国人の国籍取得厳格化」 推進力となった「一方的な見方」を識者は危ぶむ[東京新聞]26/05
-
国内【神社】塀の銅板60枚超はぎ取られる…総代怒り「地域が大切にしており大変ショック」[読売]26/05
-
国内政府、情報活動で「仮装身分」の導入検討へ 従事者の安全確保、首相「研究課題の一つ」[産経]26/05
-
国内【琵琶湖に遺体 9日に発見3件相次ぐ】 -Yahoo!
-
国内【岐阜の朝鮮学校が令和6年度も多重申請】実費上回る補助金で「黒字」 返還請求へ[産経]26/05
-
政治【外務省】ケニアの人材育成に2.6億円の無償資金協力[26/05]
-
国内【火の神様まつる神社が火事】関係者「痛恨」深夜になぜ?[テレ朝/動画]26/05
-
海外ベトナム共産党、インフルエンサー1千人を確保へ 体制防衛へ世論誘導[産経]26/05
-
国内【道路陥没】横浜駅近くの道路、陥没拡大 1日経過も復旧のメド立たず[日テレ/動画]26/05
-
国内【三重県職員採用】26年度の国籍要件復活を見送り[毎日]26/05
-
国内【スリランカ国籍の男2人】石川・輪島市の寺院から銅板など窃盗か 盗みなどの疑いで逮捕[北国新聞/動画]26/05
-
国内全焼した北海道・江別のパキスタン人経営中古車輸出会社 敷地内にまた違法建築物[産経]26/05
みんなのコメント
- ニュートラルってなんなんだよ
- 隣の芝生は青いやなくて、実際に砂漠と青々とした芝生くらい違う。 日本で好き放題やってる既存の官僚や、議員を1回廃止しましょうよ。
- うして日本には、 メローニさんの様な女性の議員が一人もいないんでしょうか↷
- 凄いマトモな事を実行してくれる頼れる国のトップだな。やる事が早くて国民為になる、特に女性や子供を守るために必要な事。信頼できる人だな。
- イタリアの決定は勇気ある判断だと思う。批判されることを恐れず、あえて踏み込んだことに意味がある。
- 子どもたちが学ぶ場所に政治的なイデオロギーを持ち込んでしまえば、教育の中立性は失われてしまう。
- 誰にでも配慮するのは大切だけど、その結果として多くの人が感じている違和感を無視していいとは思わない。
- 性の問題は個人が向き合うべきもので、教育がやるべきは正しい言葉と知識を教えることに尽きると思う。
- 表記をいじることで問題解決になると思っているなら、それは本質から目をそらしているだけのように思える。
- 常に米国の方針に合わせるのか わかりやすくていいね
- 伝統ある言語が記号で崩されていくのを見ると、文化の根っこが切り崩されていくようで不安になる。
- 自分の子どもが学校で変な記号を習ってきたら、家庭でどうやって説明すればいいのか困ると思う。
- 何でも新しいものが正しいとされる風潮が怖い。古いものにも意味があり、価値があるはず。
- 学校でジェラード出したのかと思った‥
- 言語はただの道具ではなく、その国の考え方や価値観を映す鏡。勝手に変えてはいけない。
- 学校の教科書にまでジェンダー記号が入っていたら、親としては戸惑うし不安を感じるのが自然だと思う。
japannewsnavi編集部Aの見解
イタリア政府が、学校においてジェンダーニュートラルな記号の使用を禁止したというニュースを見て、私はある意味で自然な流れだと感じました。最近は日本でも「LGBTQ」や「ジェンダー平等」といった言葉が日常的に使われるようになりましたが、それが一部の教育現場では過剰な形で導入されつつあることに、私自身少なからず危惧を抱いていたからです。
もちろん、差別や偏見をなくすことは大切なことですし、多様性を認め合うこと自体を否定するつもりはまったくありません。しかし、子どもたちに対する教育の現場で、性のあり方や表現の仕方にまで「記号」や「言語」から変えていくという動きには、どこか違和感を抱かざるを得ません。言葉というのは文化そのものであり、無理やりそれを変更することが、果たして本当に人々の理解や共生につながるのでしょうか。
イタリアのこの判断は、単に「保守的」であるからとか、「多様性に反する」というような短絡的な評価で片付けるべきではないと思います。むしろ、国民の間で「伝統的な価値観」と「現代的な主張」のバランスを取ろうとした末の、一つの慎重な判断だったのではないでしょうか。社会的価値観というものは、急激に変化すればいいというものではなく、世代や地域によって成熟する時間も異なります。
今回、イタリアが学校での記号使用を制限したのは、教育の中立性を守るためであり、政治的・思想的な主張が過度に子どもたちに押しつけられることを避けようとしたのだと私は受け取っています。つまり、「誰もが自由に生きるべきだ」とする理念と、「教育現場は公平中立であるべきだ」という基本方針の、ちょうど中間地点を探った結果ではないかと考えています。
近年、欧米では文章中の男性形・女性形に加えて、ジェンダーニュートラルな表現(たとえば「*(アステリスク)」や「@」や「ǝ」など)を用いる例が増えていました。例えば、イタリア語では「tutti(すべての男性)」と「tutte(すべての女性)」を使い分ける文法構造がありますが、そこを「tuttǝ」などとする表現が生まれていました。しかし、こうした表現はあくまで社会運動や一部団体から発信されたものであり、それを全国の学校教育にまで取り入れることは、本来の言語教育や文法の一貫性を大きく揺るがすことになりかねません。
言葉は生き物です。時代とともに少しずつ変化していくものであり、それは自然な流れとも言えます。しかし、子どもたちに教えるべき言語や表現は、まずは基礎をしっかりと習得させることが大前提です。そこに、あまりにもイデオロギー色の強い記号を紛れ込ませることは、教育というよりは思想の押し付けに近いと感じてしまいます。
私が懸念しているのは、こうした運動が「多様性の尊重」や「包摂的な社会」という名のもとに、実際には逆に不寛容さを助長しているのではないか、という点です。「この記号を使わなければ差別だ」といった論調が広がることで、表現の自由を脅かし、逆に異なる価値観を持つ人々を排除してしまうような社会になってしまわないか、不安を感じます。
日本でも、似たような風潮が徐々に広がりつつあります。官公庁の文書や大学の募集要項などにおいて、性別欄の表現が変わりつつあったり、一部の自治体ではジェンダーフリー教育が推進されていたりします。もちろん、配慮は必要ですが、行きすぎた改革が言葉そのものを壊してしまうのではないか、という危機感を持つ人も多いのではないでしょうか。
また、ジェンダーという問題は本来、もっと深く、個人の生き方や尊厳に関わるテーマです。それを「記号」によって解決しようという発想には、どこか安易さも感じます。言葉や記号を変えることで表面的に問題が解消されたように見えても、それが本質的な理解や寛容につながるかどうかは、まったく別の話です。
イタリアが今回行った決定は、こうした流れに対して一つの「慎重な判断」を示したものです。つまり、「子どもたちに教える言語の在り方」や「教育現場の中立性」に立ち返り、社会的価値観の変化にどう対応すべきかを真剣に考えた結果だったのでしょう。
私自身、こうしたニュースに触れるたびに、日本でも同じような議論が必要になってくると感じています。多様性を受け入れることと、伝統や文化を守ることは、必ずしも対立するものではありません。その両方を丁寧に考え、社会全体が納得できる形で議論を重ねていくことが、これからますます求められていくと思います。
そして教育の現場では、思想の押しつけや一方的な価値観の流布ではなく、まずは「言葉を正しく教える」こと、そして「多様な考えを学ぶ余裕を持たせる」ことが最も大切なのではないでしょうか。
執筆:編集部A






コメント