【史上最悪の死者10万人】人類はそこまで非道になれる 昭和20年3月東京大空襲[産経]26/03

産経新聞の記事によると…

史上最悪の死者10万人、人類はそこまで非道になれる 昭和20年3月東京大空襲

机上の想定を超えた大破壊

声高に叫ばれることは少ないが、一晩で10万人を超える死者は、戦争による犠牲者としては人類史上で最悪の数である。

昭和20年3月10日未明、米爆撃機B29の約300機が現在の台東区、墨田区などの下町を一斉攻撃した東京大空襲。写真は終戦直後の9月、現JR両国駅上空付近から東京湾方面を米軍が空撮したものだ。

民間人を含む大量殺戮は最初から計画されていた。当時の下町一帯は現在の2倍以上の1平方キロメートル当たり3万5000人という世界有数の人口密度だった。しかも密集するのは木造家屋である。米軍は江戸の大火や関東大震災を研究し、日本家屋を模した街の延焼実験まで行っていた。

[全文は引用元へ…]2026/3/8 08:00

Xより

【産経ニュースさんの投稿】

引用元:https://www.sankei.com/article/20260308-B35MDHU5SZEN3H7SURY45MKL64/

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みんなのコメント

  • 現在の価値観で見れば、虐殺。民族浄化。 戦後、いつまでもいつまでも自立を拒否する日本人の民度の方が問題。 幕府は少なくとも260年太平の世を築いた。政府はたった70年で国土を焦土にした政体…それが続いている。平気で侵略を許す政府を保守と抜かすアホシュの群れ
  • 実際に体験した世代ではないですが、こういう歴史を見ると胸が苦しくなります。 一晩でこれほど多くの命が失われた事実は、本当に重いですね。 同じ悲劇が二度と起きないように、歴史を知り続けることが大切だと感じます。
  • 戦争に負けるのは悲惨、増上寺しかり江戸時代の歴史的な物証が全て燃えてなくなりました。次は、中華人民共和国が沖縄を焼くがこれは止めなければならない
  • 御社の「歴史戦」の文脈から言うと ・死者数には諸説あり確定しない、10万人よりかなり少ない ・戦後駐留軍ジープを「ギブミーチョコレート」と子ども達が歓迎した を根拠に”東京大空襲は無かった”と言えてしまうが、御社の姿勢としてはそういうことでよろしいので?
  • いつか米国にも国力が衰える時は来ますよ、日本は臥薪嘗胆じゃないけれど米国の様な覇道ではなく王道を目指すべき。その為にも日本の伝統的精神を残す為に努力しないといけない。
  • 都民で出身も東京です。アメリカは焼夷弾による空爆で人や建物を焼き尽くす方法を選んだ。民間人を狙った大虐殺で地獄絵図。しかし東京は奇跡的な復興を遂げました。深川も建物が焼け落ちて東京湾まで一望できたそうです。空爆で亡くなった犠牲者には哀悼の意を捧げます
  • とんでもないのは、戦闘員でも、兵器製造に関わる人間でもない子供を、戦闘機から機銃掃射した米軍パイロット。 米軍のパイロットには、そういう鬼畜の所業をするような奴がいたことを、米国民は知った方が良い。
  • 左側の大きめの建物は両国小学校かな。 真ん中のデカい建物は回向院かな。 今とレイアウトが殆ど変わってないのは、戦前の都市計画で綺麗に無かったからですかね
  • 日本はかつての戦争で米国に完膚なきまでに叩きのめされて 米国に日本は非常に恐怖を植え付けている感じなのかな あと日本は戦争で米国に敗戦したから 今後も永久的に日本は米国に後ろから付いていき大人しく可愛らしく尻尾を振り米国様の機嫌を取るしかないかなみたいな
  • アメリカは戦争からむと悪の所業ばかり それでも、同じ悪でもアメリカと中国のどちらと手を取るかなら、間違いなくアメリカ
  • その東京大空襲という民間人大量虐殺を指揮したカーチス・ルメイに対し、戦後、航空自衛隊の創設に対する教育支援と称して日本政府が勲一等旭日大綬章を与えたと言うリプライが散見されるが、その勲章を自ら授与する事を昭和天皇が拒否した事実も記憶しておいてほしい
  • その東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイを勲一等旭日章に推したのが当時の小泉純也防衛庁長官(推薦は外務大臣と連名)。小泉進次郎現防衛大臣のおじいちゃん。まさに売国商売の売国家系だ。 ちなみに勲一等は天皇が直接手渡す慣例だが昭和天皇はこれを拒否した。当然と思う

japannewsnavi編集部の見解

一夜で10万人以上が命を落とした東京大空襲

昭和20年3月10日未明、東京の下町一帯は未曽有の惨禍に見舞われました。米軍のB29爆撃機およそ300機が現在の台東区、墨田区などを中心に焼夷弾を投下し、街は一夜にして炎に包まれました。この空襲による死者は10万人以上ともいわれ、戦争による一晩の犠牲者としては人類史上でも最大規模とされています。東京の人口密度は当時、1平方キロメートルあたり3万5000人を超えており、世界でも有数の密集地域でした。しかも住宅の多くは木造で、火災が広がりやすい環境にありました。

米軍はこうした都市構造を事前に研究していたとされています。江戸時代の大火や関東大震災の記録を分析し、日本家屋を模した実験施設を作って延焼の広がり方を検証したという記録も残っています。さらに当日は強い北西風が吹いており、火災は瞬く間に拡大しました。炎は火災旋風と呼ばれる巨大な渦を作り、風速25メートル近い暴風が街を襲ったと伝えられています。その結果、一夜で27万戸が焼失し、100万人以上の生活圏が破壊されました。人類の歴史の中でも極めて大きな都市破壊の一つとして語り継がれています。

指揮官ルメイと日本政府の決定を巡る議論

この東京大空襲を指揮した人物として知られているのが、米軍のカーチス・ルメイ将軍です。彼は日本本土への焼夷弾攻撃を主導した軍人として知られています。その後、日本政府はルメイに対して勲一等旭日大綬章を授与しました。これは佐藤栄作内閣の時代に決定されたものであり、当時の防衛庁長官だった小泉純也氏が推薦したと伝えられています。この出来事については現在でもさまざまな意見が存在しています。

インターネット上でも多くの議論が見られます。あるコメントでは「東京大空襲を指揮した人物に最高勲章を与えた日本政府の判断には複雑な思いを抱く」といった声が紹介されています。また別の意見では「戦争の時代と戦後の外交関係は別の視点で考えられた結果だったのではないか」といった見方もありました。歴史を振り返ると、戦後の日本は安全保障や外交関係の中でさまざまな選択を迫られてきました。その判断の背景には、当時の国際情勢や政治的な事情があったと考えられています。

さらにコメントの中には、戦争の本質について語るものもありました。「戦争は中途半端な対応では終わらない。最後まで戦う相手には徹底的な力が使われる」という意見です。東京大空襲や広島・長崎の原爆投下を巡っても、こうした議論は今なお続いています。多くの民間人が犠牲になったことは事実であり、その悲劇は歴史として記憶され続けています。

歴史をどう受け止め未来につなげるか

こうした歴史を振り返ると、戦争の残酷さを改めて感じます。東京大空襲では一夜で多くの命が奪われました。その数字の一つ一つに、それぞれの人生や未来があったことを忘れることはできません。ネット上でも「10万人という数字の裏には、奪われた無数の未来がある」といった声が見られました。こうした視点は、歴史を考えるうえで非常に重要だと感じます。

現在の国際社会は軍事だけではなく、政治や経済、さらには価値観を巡る競争が強まっています。あるコメントでは「今は思想の戦いの時代であり、世界は大きく二つの流れに分かれている」という意見もありました。こうした見方の中で、日本の外交や安全保障をどのように考えるべきかという議論も続いています。長い間、日本の政治は安定と変化を繰り返してきましたが、国際環境が大きく動く中で明確な方針が求められているという指摘もあります。

さらに「日本はアメリカや欧州、ASEANと連携しながら国際社会の中で役割を果たすべきだ」という意見もありました。安全保障や外交の議論では、経済や技術力の強化も重要な要素とされています。特に国際政治の世界では、安全保障の視点から国の立場を考える必要があるという考え方も広がっています。歴史の悲劇を忘れないこと、そして冷静に未来を見据えること。その両方を意識することが、現代を生きる私たちに求められているのかもしれません。過去の出来事を単なる歴史として終わらせるのではなく、そこから学び、次の時代に生かしていく姿勢が大切だと感じます。

執筆:編集部

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