【訃報】村山富市元総理が老衰のため死去 101歳[大分放送]

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OBS大分放送の記事によると…

【速報】村山富市元総理が死去、101歳 

村山富市元総理が17日、大分市内の病院で、老衰のため亡くなったことがわかりました。101歳でした。

村山元総理は1924年3月3日に11人きょうだいの6男として大分市に生まれました。

38年に上京しますが、その後召集され熊本で終戦を迎えます。戦後、明治大学を卒業して大分に戻ったあと日本社会党に入党し、大分市議会議員や県議会議員を務めました。72年に衆院選に出馬し、初当選を果たします。

党では衆議院予算員会の理事や国対委員長を歴任し、93年に日本社会党の委員長に就任しています。そして94年6月29日、村山氏は81代内閣総理大臣に就任し、自民・社会・さきがけの連立政権が誕生しました。

[全文は引用元へ…]2025年10月17日

以下,Xより

【ライブドアニュースさんの投稿】

引用元 https://news.livedoor.com/article/detail/29797628/

みんなのコメント

  • 村山富市元総理の101歳のご逝去には驚きました。1994年に内閣総理大臣に就任し、そのリーダーシップで日本の政治に大きな足跡を残した人物。561日間の在任期間は決して長くはなかったかもしれませんが、社会党から自民党への政策連携を生み出した時代の変化は忘れられません。2000年に政界を引退してからもその存在感は薄れることなく、100歳を迎えた今年も注目を集める人物でした。1日1日を大切に、家族と過ごすという言葉に人間らしさがあふれていて、政治家としての顔だけでなく、一人の人間として尊敬せざるを得ません。こんな風に歳を重ねられたらなと、つい思ってしまう自分がいます
  • このタイミングで世紀の連立政権の首相がお亡くなりになるとは。 御冥福をお祈りします
  • まさに大往生ですね、 ご冥福をお祈り致します
  • かなり長生きだったんだな…何にせよ、お疲れ様でした
  • まだ健在だったのに驚きました。 大往生ですね。 ご冥福をお祈り致します
  • バラエティ番組「電波少年」の取材にも笑顔で対応されていた場面が忘れられません ご冥福をお祈りいたします
  • 別のポストでご存命って見たばっかりなのにな、、、 内閣総理大臣の最長寿記録を更新してほしかった(υ´•̥ ﻌ •̥`υ)
  • 101歳、立派な大往生だった。謹んで村山富市さんのご冥福をお祈り申し上げます
  • 100で前でもシャキシャキ話されてて、 ある意味日本人はすごいと思った 80年談話までなると想像してただろうか
  • 自民党と組んで無惨に消えた 社会党の村山元総理は維新の 未来を案じてたのかな
  • ご冥福をお祈りします。 子供の時、眉毛が印象的な総理だったと記憶しています
  • 村山富市元総理、晩年はご家族と幸せに過ごされて良かったですね。ご冥福をお祈りします。
  • 先日にご存命だというポストを見かけたばかりなのに。 大往生ですね。 ご冥福をお祈りいたします。
  • 「村山富市元総理のご逝去に深い哀悼の意を表します。101年の生涯を通じ、日本政治に尽力された功績は永く語り継がれるでしょう。ご冥福をお祈りします。
  • 当に長生きした御仁でした 右寄りの人達からしたら色々言いたいこと多いことした総理でしたけど、長年対立関係だった社会党と自民党が手を組むというとんでもない方法で政治の大転換をもたらしたのは歴史に名を残すことだったと思います 村山富市元総理のご冥福をお祈り申しあげます

japannewsnavi編集部の見解

村山富市元総理の逝去と、その歩みを振り返って

政治の重みと転換点

村山富市元総理が17日、大分市内の病院で老衰のため亡くなりました。享年101歳。昭和から平成、そして令和へとまたいで政治の流れを見つめ続けた人物の訃報に、多くの国民が静かな哀悼を捧げています。1924年に大分市で生まれ、戦中を経て政治の道に入った村山氏は、日本社会党の中で頭角を現し、1994年、自民党・社会党・さきがけの連立によって第81代内閣総理大臣に就任しました。当時、社会党出身の総理が誕生すること自体が大きな転換点であり、戦後政治の節目を象徴する出来事でもありました。

しかし、連立政権という枠組みの中で、社会党が掲げてきた「非武装中立」や「自衛隊違憲」などの政策を転換せざるを得なかったのも事実です。村山政権のもとで日米安保体制の堅持、自衛隊合憲、さらには日の丸・君が代の容認といった方針変更が行われ、戦後日本の政治的現実が改めて浮き彫りになりました。理想と現実のはざまで苦悩した政治家の姿が、そこにありました。

激動の政権と「村山談話」

在任中の561日間、村山内閣は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件など、戦後でも類を見ない危機に直面しました。災害対応の遅れが批判を浴びる一方で、冷静に事態を見極める姿勢も見られ、政治の難しさを体現する期間となりました。
特に1995年、戦後50年を迎える節目に発表された「村山談話」は、戦争責任に対する明確な反省と謝罪の意を世界に示した声明として、日本の戦後史に深く刻まれました。その内容は、国内外で賛否を呼びながらも、「戦後政治のけじめ」として一定の評価を得ています。外交面での日本の立ち位置を整理し、国際社会との関係を安定させる一因にもなったといえるでしょう。

引退後は政界から距離を置き、地元・大分で静かに暮らしていました。2024年には100歳を迎え、「無理をせず、自然体で暮らすことかな」と穏やかに語っていたのが印象的でした。政治家という肩書を離れた後も、戦争体験を持つ一人として平和の尊さを語り続けたことは、多くの人の記憶に残っています。

国民の声と、時代を超えた存在

訃報が伝えられると、SNSやニュースサイトには多くのコメントが寄せられました。
「ご冥福をお祈りします」「まさに大往生でした」といった言葉に加え、「このタイミングで世紀の連立政権の首相が亡くなるとは」「100歳を超えてもなお政治を語る姿が印象的だった」といった投稿も見られました。
一方で、「阪神大震災の対応を忘れてはいけない」「村山談話の功罪を冷静に振り返る必要がある」といった意見もあり、今なお評価が分かれる政治家であることがうかがえます。

村山氏の生涯は、戦争と復興、高度経済成長、冷戦終結、そしてグローバル化の時代を通じた「日本そのものの歩み」とも重なります。100年以上にわたる人生を通じて、彼が見た日本の変化は、まさに激動の世紀そのものでした。時代が変わっても、理想を持ちつつ現実を受け止める姿勢は、政治の本質を問い続けた証でもあります。

戦後政治の一つの時代が、ここで静かに幕を下ろしました。国民の心に残るのは、政治の重みと責任を自らの言葉で背負い続けた一人の政治家の姿です。
村山富市元総理のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

執筆:japannewsnavi編集部

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