北九州中学生2人殺傷 福岡地検「心神耗弱」と判断 限定的な責任能力で起訴へ[毎日新聞]

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毎日新聞の記事によると…

北九州中学生2人殺傷 「心神耗弱」判断 限定的な責任能力で起訴へ

 北九州市小倉南区のファストフード店で2024年12月、中学3年の男女2人を殺傷したとして殺人容疑などで逮捕された平原(ひらばる)政徳容疑者(44)について、福岡地検小倉支部は2度の鑑定留置を踏まえ、精神疾患が事件に一定の影響を与えたものの、善悪の判断能力が完全に失われていない「心神耗弱」状態だったと判断した模様だ。鑑定留置は16日に終え、詰めの捜査を経て月内に殺人罪などで起訴する。いずれも関係者への取材で判明した。

(略)

 関係者によると、1度目の鑑定留置(25年1月16日~4月14日)の報告書は平原容疑者に当時、精神疾患があったとしたが、責任能力を疑問視するような記述はなく、この時点で地検小倉支部も刑事責任能力を問えるとみていた。事件後に逃走したり、自宅内に引きこもったりするなど捜査を警戒するような行動を取っていたことも加味した結果だという。

 一方、報告書には精神疾患が事件に与えた影響についての説明が不足していた。想定される裁判員裁判では刑事責任能力の程度が最大の争点になると予想され、地検小倉支部は別の医師による精神鑑定で内容を補充する必要があると判断。2度目の鑑定留置は4月16日から5カ月間に及んだ。

 平原容疑者は24年12月14日午後8時25分ごろ、小倉南区徳力(とくりき)1のマクドナルド店舗内で女子生徒(当時15歳)を刃物で刺して殺害し、一緒にいた同級生の男子生徒の腰を刺して重傷を負わせた疑いが持たれており、殺人と殺人未遂の容疑で計2回逮捕された。

 関係者によると、動機について「2人に笑われたと思った」などと供述。しかし、面識がなかったとみられる2人を殺傷した理由としては不可解な部分があった。

[全文は引用元へ…]9/17(水)

要約

・北九州市小倉南区のマクドナルドで中3男女2人を殺傷した平原政徳容疑者(44)が起訴へ
福岡地検小倉支部は「心神耗弱」と判断、責任能力は限定的だが刑事責任は問える見込み
・1度目の鑑定留置では精神疾患は認められたが責任能力は否定されず
・事件後に逃走や自宅に籠るなど警戒行動も確認され、責任能力ありと当初は判断
裁判員裁判で責任能力の程度が争点になると予想され、2度目の鑑定留置を実施
2度目の結果で「妄想」の症状が判明、事件に一定の影響を与えたと判断
・地検は「完全に責任能力を失っていたわけではない」として殺人罪などで起訴準備中
・動機は「2人に笑われたと思った」と供述、面識がなかったため不可解な点も残る
・事件は24年12月14日夜、小倉南区徳力のマクドナルドで発生
・女子生徒(15)が刺殺され、男子生徒は重傷を負った

以下,Xより

【照月さんの投稿】

引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/033af79978500f6de9ee322d5ead32ff578910fb

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みんなのコメント

  • 誰が最初に言い出した制度なんだろう? オレの中の常識では、責任能力があるか無いかではなく、どんな罪を犯したかに対して刑罰が決まるべきだと思う。 加害者に責任能力があろうと無かろうと、被害者にとってはやられた事が変わるわけでは無い。 だとすれば、責任能力を理由に減刑するのは、それこそ法の下の平等に反するだろう。 それでなくても責任能力が無いと言われる奴は被害者への賠償能力も無いことが多いのだから。 せめて刑罰で償えと思う。
  • 在日犯罪を在日司法が悪用するって完全に日本の司法死んでるけど、これって三権分立も在日混じって崩壊してるからもう手の施しよう無いよね、アメリカ頼みしかないのか
  • この「心神耗弱」という茶番はやめて欲しい。 しっかり、罪を裁けばいいだけ。
  • 日本の司法は本当おかしい。 治安悪化の原因はこういうところだろう。
  • 「心神耗弱」で…、のニュースを見るたびに1969年に制作されたドラマ「怪奇大作戦」第24話 を思い出します。 子を持つ親としては、殺められた中学生が本来過ごすことができたであろう年月分、懲役に処して欲しいです。
  • 逃げて引きこもっている時点で心神耗弱ではない!!(怒)
  • 人権派弁護士に人権派裁判官 日本人かな?
  • この事件マジで胸糞悪いしさ 心神耗弱とか意味わからんわ 被害者からしたら関係ねえだろって話だよな
  • 加害者に甘すぎて笑えねえわ なんでいつも被害者が泣き寝入りなんだよ 日本の司法ほんと終わってるわ
  • 心神耗弱って便利な逃げ道にしか見えんのよ 国民なめすぎだろ 裁判員裁判とか意味あんのかって感じ
  • 精神状態がどうとかより罪を犯した事実で裁けよって思うわ そもそも治療なら刑務所でやれやって話
  • 被害者の家族からしたらマジで地獄だよな 何で加害者の都合ばっか優先されんだよ ふざけんなってなる
  • 笑われたと思ったから人殺すとかマジで狂気 そんなんで刑軽くなるとか日本やばすぎんか
  • 司法が国民感情からズレすぎてて草 ほんとこの国の正義ってどこにあるんだよ
  • またどうせ弁護士が人権人権って騒ぐんだろ 被害者の人権はどこ行ったんだよって話
  • 心神耗弱を理由に減刑とかもうやめろよ 国民の誰も納得してねえよ
  • これがもし自分の家族だったらって思うとゾッとするわ 日本の裁判は加害者の味方しかしねえ
  • 法治国家の意味あんのかよってなるな 司法が腐ってると国も終わりだろ
  • Twitter見てても同じ意見ばっかだしな 国民みんなブチギレてるのに裁判所は知らん顔ってやばいだろ
  • マジで法改正してほしいわ このままじゃ同じ事件繰り返すだけだろ
  • 心神耗弱って言葉聞くだけでイラつくわ 便利な言い訳でしかないじゃん
  • 治療必要なら刑罰と並行してやれよ 刑軽くするとか意味不明だわ
  • 被害者はもう戻ってこないのに加害者の未来守ってどうすんだよって感じ
  • この国ほんと加害者に甘いから犯罪者減らねえんだろな そりゃ治安も悪くなるわ
  • 裁判員制度導入した意味あるんかよ 国民の声ガン無視じゃん
  • 司法に期待できないわ もう国民感情とズレすぎて信頼ゼロだわ

japannewsnavi編集部の見解

北九州・中学生殺傷事件と「心神耗弱」判断をめぐる波紋

福岡地検は、北九州市小倉南区で発生した中学生男女2人が襲撃された事件について、加害者の平原容疑者を「心神耗弱」と判断し、限定的な責任能力を前提に起訴する方針を固めました。検察側がこのような結論に至った背景には、鑑定医による精神鑑定の結果や、犯行当時の加害者の精神状態の分析があるとされています。しかし、この「心神耗弱」判断は、国民の間に大きな波紋を広げています。特に被害者やその家族を思う世論からは、強い違和感や怒りの声が噴出しており、日本の司法制度の在り方そのものが改めて問われています。


責任能力の有無と量刑への疑問

今回の事件で焦点となっているのは、「責任能力の有無によって量刑が大きく左右される」という司法制度の根幹です。多くの国民は、加害者の精神状態により刑罰が軽減されることに納得できず、「誰が最初にこの制度を作ったのか」と制度そのものに疑問を投げかけています。そもそも罪を犯した事実が揺るぎない以上、責任能力の有無にかかわらず相応の刑罰を科すべきだ、という意見が広がっています。

被害者の命や未来は二度と戻らず、精神状態の有無によってその損失が軽く評価されることはありません。そのため「心神耗弱を理由に減刑することは法の下の平等に反している」との強い批判が噴出しているのです。


被害者遺族から見た司法の冷徹さ

被害者やその家族にとって、今回の判断はあまりにも冷たく映ります。「日常を送っていただけの子どもが突然命を奪われたのに、加害者が心神耗弱だったから刑が軽くなるのは理不尽だ」という声は少なくありません。

また、「心神耗弱だったら人を殺しても許されるのか」「明確な殺意があるのに、なぜ刑が軽くなるのか」といった憤りの言葉は、多くの国民の共感を呼んでいます。特に今回の事件では、加害者が「目が合った相手に笑われたと思った」という理由で犯行に及んだとされており、国民がその動機に理解や納得を示すのは極めて難しい状況です。裁判員裁判が導入された今こそ、国民感情を司法がどう反映させるのか、制度の見直しを求める声が高まっています。


日本の司法制度への不信感と批判

さらに一部では、日本の司法制度そのものに対する不信感が噴出しています。心神耗弱の判断が「加害者に有利に働くだけの抜け道」とみなされており、「被害者軽視の制度だ」との見方が根強いのです。「心神耗弱を理由に減刑するのは、司法が狂っている証拠ではないか」という過激な批判すら聞かれます。

またインターネット上では、「在日犯罪を在日司法が悪用しているのではないか」という根拠の薄い陰謀論めいた言説まで飛び交っており、司法の独立性や公正さに対する信頼は大きく揺らいでいます。さらに「三権分立すら崩壊しているのではないか」「この国の司法にはもはや期待できない」「最終的にはアメリカに頼るしかないのでは」といった過激な意見も散見され、国民の司法制度への期待値は著しく低下していることがうかがえます。


冷静な視点からの分析

一方で、冷静な視点からは「妄想や精神疾患が事件に影響を与えたことは否定できない」との意見も存在します。確かに、医学的に加害者の精神状態が正常ではなかった可能性は否めず、司法がその点を考慮するのは合理的だとする声もあります。

しかし、その場合でも「だからといって刑を軽くする理由にはならない」という立場が多数派です。多くの人々は「治療が必要なら刑罰と並行して行えばよい」「刑罰と責任を免除するのではなく、矯正医療刑務所などで処遇すべきだ」と指摘しています。刑事責任を免除したり軽減したりするのではなく、厳格な刑罰の中で治療を進めるべきだという考え方が国民の間では主流になりつつあります。


今後の課題と国民的議論の必要性

今回の事件は、司法制度の根幹にある「責任能力と刑罰の関係」を改めて社会に問いかける契機となりました。裁判員裁判制度が導入された今、国民が司法に直接関わる場面は増えており、その中で「法の厳正さ」と「国民感情」をどう調和させるのかが大きな課題となっています。

また、この問題は単なる一事件の判断にとどまらず、日本の司法制度全体の信頼性にも直結しています。司法が国民からの信頼を失えば、法治国家としての根幹が揺らぎかねません。責任能力の有無に依存した従来の判断基準を維持するのか、それとも被害者目線に立った新たな刑罰の在り方を模索するのか、今後の議論が注目されます。

いずれにしても、今回の事件をきっかけに、国民的な議論が必要であることは間違いありません。被害者とその家族の尊厳を守りつつ、社会全体の安全と正義をどう実現するのか。司法制度の信頼回復に向け、抜本的な見直しを求める声は今後さらに高まっていくでしょう。


執筆:japannewsnavi編集部

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