三重 伊賀市 職員採用試験で外国人のみの採用枠新設へ

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NHKの記事によると…

外国人住民の割合が県内の自治体で2番目に高い伊賀市は、行政の運営に外国人の視点を取り入れるため、今年度の後期日程の職員採用試験から、外国人のみの採用枠を設ける方針を固めました。

伊賀市は去年末の時点で、外国人住民の数が6141人で、住民に占める割合は7.26%となっています。

これは、県内29の市町の平均3.82%の2倍近くになっていて、木曽岬町に次いで、県内で2番目に高くなっています。

伊賀市では、これまでの採用試験でも、永住者などの在留資格を持つ外国人の応募は可能で、実際に受験した人もいたということです。

しかし、日本人と同じ内容の試験を受けなければいけないため、採用に至った人は1人もいませんでした。

市では外国人の採用を積極的に進めるため、今年度の後期日程の採用試験から、在留資格を持つ外国人のみの採用枠を設ける方針を固めました。

対象の職種は事務職で、採用人数は数人となっていて、日本語の能力は問いませんが、市の意思形成にあたる管理職や税の徴収など公権力を行使する職務に就くことはできないということです。

自治体の職員採用試験で外国人のみの採用枠を設けるのは県内では初めてで、稲森稔尚市長は、「行政の幅広い分野に外国の人の視点を取り入れることが重要だ。外国人の子どもも『市の職員になりたい』と思ってもらえるようにしたい」とコメントしています。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【保守速報さんの投稿】

引用元 https://www3.nhk.or.jp/lnews/tsu/20250422/3070015008.html

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みんなのコメント

  • 外国人枠とかマジで逆差別じゃん
  • 行政サービスに日本語力いらんとか無理ゲーだろ
  • 多文化共生って言葉だけが一人歩きしてる感ハンパない
  • 税金でやることじゃなくね?って素直に思う
  • 普通に市民の反発強まるだけだと思うわ
  • 平等どころか特別扱いにしか見えんのよな
  • これ共生じゃなくて迎合にしかならんやつ
  • 現場の職員の負担めっちゃ増える未来しか見えん
  • 市長の理想論が現実と乖離しすぎて草
  • 外国人優遇とか言われたら誰も得しない展開やん
  • 採用の基準下げるって行政の信用に直結するやつ
  • 地域分断招くだけだからやめとけ案件
  • 意見反映したいなら委員会とか別の手段あるだろ
  • 日本語できない職員って住民が一番困るんじゃね
  • リップサービスでやってるようにしか見えない
  • 多様性の旗振って市民の安心犠牲にしてない?
  • そもそも市役所の仕事理解してんのか疑問
  • また政治パフォーマンスでしょって空気ある
  • 国の議論進んでないのに地方が先走りすぎ
  • これ絶対後から軋轢出るパターンだわ

japannewsnavi編集部の見解

伊賀市が外国人住民の採用枠を設ける方針を固めたというニュースを知り、私は率直に大きな違和感を覚えました。もちろん、外国人住民が市内に一定数暮らしている以上、行政が多様な視点を取り入れるという考え方には一定の理解を示すことができます。しかし、日本の自治体が「外国人のみ」という特別な採用枠を設けるというのは、公平性や行政のあり方の根幹に関わる問題であり、軽々しく進めてよい話ではないと思います。特に日本語能力を問わないという条件設定には、行政運営に必要な最低限の要件を欠いているのではないかという強い懸念を抱きました。

伊賀市の外国人住民の割合は7%を超え、県内では木曽岬町に次ぐ高さとされています。確かに地域社会に外国人が増えている現実は否定できませんし、生活実感としても行政サービスを利用する外国人が増えているのだろうと推測できます。ただし、それに対応する方法が「外国人の枠を作る」という発想であることには疑問があります。本来であれば、市職員として必要な知識や日本語でのコミュニケーション能力を備えた人材を育成し、適切に採用していくべきです。現状のように「今まで日本人と同じ試験では採用に至らなかった」という理由でハードルを下げるのは、行政サービスの質を低下させる危険性があります。

また、地方自治体の職務には住民の税金を扱う業務や政策立案など、公共の利益に直結するものが数多くあります。今回の説明では「管理職や公権力の行使はできない」としていますが、そもそも市役所の職員として働く以上、一定の公的責任を担う立場になります。そこに言語能力を問わない形で外国人を配置することが、果たして市民の理解を得られるのかという点が大きな疑問です。

私は、多文化共生という理念自体を否定するつもりはありません。国際化が進む現代社会で、外国人と共に地域を支えていく姿勢は重要です。しかし、その手法を誤ればかえって摩擦を生み、地域住民の信頼を失うことになります。特に外国人住民の割合が高い地域では「外国人優遇ではないか」という不満が噴出しかねません。結果として共生どころか分断を深めるリスクがあるのです。

さらに、今の政治動向をふまえると、移民や外国人労働者の受け入れ政策に国民の多くが強い関心と警戒心を持っています。大都市圏では労働力不足を補う形で外国人が増えている一方で、地方では治安や文化摩擦の問題が表面化しています。そうした中で、地方自治体が率先して外国人の枠を設けることは、国全体の移民政策をめぐる議論に大きな影響を与えかねません。中央政府がまだ十分な制度設計をしていない段階で地方が先走るのは危険だと感じます。

また、行政に外国人の意見を反映させたいのであれば、必ずしも職員として採用する必要はありません。市民委員会や意見交換会のような仕組みを整え、外国人住民が意見を述べる機会を保障すれば十分です。職員採用は公共サービスの安定性に関わる重大な問題であり、安易に門戸を開くべきではありません。私は、この決定が外国人住民へのリップサービスに終始しているように見えてなりません。

また、採用試験で日本語能力を問わないという点は、現実的に見ても非現実的です。市役所の仕事は住民との窓口対応が多く、日本語の読み書きや正確な理解力が必須です。通訳を常に配置することは財政的に困難であり、結局は日本人職員に負担を押し付ける形になるのではないでしょうか。公平性を損ねるだけでなく、職場環境の悪化にもつながりかねません。

私は、伊賀市の今回の方針には拙速さを感じます。市長は「外国人の子どもが市の職員になりたいと思えるように」と発言していますが、理想だけを語って現実の課題を無視しているように見えます。多様性の名の下に市民の安心や行政の信頼性を犠牲にすることは、本来の自治体運営の使命に反しているのではないでしょうか。

結局のところ、外国人と共に暮らす社会をどう構築するかは重要な課題ですが、短絡的に「外国人枠」を設けるのは本質的な解決にはなりません。必要なのは、外国人が日本語や制度を学び、地域社会の一員として責任を果たせるよう支援することです。採用の段階で基準を下げるのではなく、教育や研修で基盤を整えることが筋だと私は考えます。

私は、伊賀市の判断が地域の不安や不満を増幅させないことを願いますが、現時点では大きな疑問符を付けざるを得ません。行政の役割はまず住民の安心を守ることです。その責任を軽んじて「多様性」の旗印を掲げるだけでは、持続可能な共生社会は築けないと強く感じています。

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