【13年ぶりに「反省」復活】全国戦没者追悼式での式辞。石破首相「戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」※動画あり

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毎日新聞の記事によると…

石破首相、式辞に13年ぶり「反省」復活 全国戦没者追悼式

石破茂首相は15日の全国戦没者追悼式の式辞で、「進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばならない」と述べ、先の大戦に対する「反省」の語句を13年ぶりに復活させた。

 1994年に村山富市氏が「深い反省」を表明してから、2012年の野田佳彦氏まで歴代首相は「反省」に言及してきたが、13年の安倍晋三氏の式辞以降、「反省」という言葉は消え、アジア諸国への加害責任に明確に触れることはなくなっていた。その後の菅義偉、岸田文雄両氏も言及しなかった。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【Mi2さんの投稿】

引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/7b61de5c8a0079319b09c7851f2f6a416207aca0

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みんなのコメント

  • やっちまった どう誰もこの人のこと止めることは出来ないのか せっかく10年前に安倍さんが謝罪外交に終止符を打ったのに どんだけ安部さんに恨みがあるの? 亡くなっても人のこと叩くのか 潔く辞任してください。
  • 「反省」戦後に置ける外交で、この二文字の言葉にどれだけの意味と重みがあるのか、どうやら石破さんはよく理解出来ていないようですね。せっかく故安倍元首相が未来に向けて新たな道筋を付けたのですけどね。一歩進んだのを、石破さんが三歩戻しましたね。
  • 安倍さんが終止符を打ったはずの「反省」という表現を、またここで蒸し返すのかという気持ちです。 もちろん戦争の悲劇を忘れてはならないし、犠牲になった全ての命に敬意を払うべきですが、同じ言葉を何十年も繰り返して自己否定を続ける国は世界でも珍しい。 現代の日本が背負うべきは、過去の謝罪のやり直しではなく、将来の安全保障と国民を守る覚悟だと思います。 これでは未来志向ではなく、過去に縛られ続ける国になってしまうのではないでしょうか。
  • 「反省」復活は安倍談話に対する布石だ。 安倍元総理大臣が意見を集めた上で閣議決定して出した戦後70年談話で談話は終わり、もう談話を出してはならない。 石破談話を警戒しなければならない。
  • え、私が病院行ってる間にアイツ談話出したの⁈
  • 前を向いて、前だけを向いて生きていきたい
  • やっぱり石破は引きずりおろさないとダメだ 岸田文雄と菅義偉、なんでこんな害悪を総理総裁にしてしまったんだ 自分たちが築いてきたものを破壊するようなゴミをのさばらせてどうするんだ
  • 【首相式辞に13年ぶり「反省」復活】 反省するのは無能なてめーと自民党だろ
  • 案の定「戦争の反省」を盛り込んできた。 安倍元総理の70年談話の否定そのもの。 内容は比較的穏当であるものの、自虐史観に立脚しており、過去の加害責任を強く意識している。 この調子で80年談話を出されれば将来世代へのツケになることは間違いない。
  • バカでしかない 日本がなぜ、ペリー来航から近代化と富国強兵を押し進めたか なぜ大東亜戦争を始めたか それがなければアジアは今どうなってたのか それを欧米情勢含めた歴史に沿った解説をせず「日本が反省」だけいう連中が正に日本をダメにしている
  • やりがった これで自民党 完全に終わりや

japannewsnavi編集部の見解

「反省」という言葉の重みと違和感

石破茂首相が全国戦没者追悼式で「反省」という語句を13年ぶりに式辞に盛り込みました。戦争の惨禍を繰り返さないという決意は、どの首相も口にする言葉です。しかし、今回の「反省」という言葉には、素直に頷けない感情が湧いてきます。なぜなら、当時の戦争を経験していない世代にとって、それは自らの行動に対する反省ではなく、歴史的事実を学び記憶することに留まるからです。

80年以上も前の出来事について、現代の私たちが「反省」を口にすることは、本来の意味とはズレがあります。反省とは、自らの過ちを振り返り改めることです。生まれる前の出来事を反省せよと言われても、実感を伴うはずがありません。もちろん、歴史から学び、同じ過ちを繰り返さないよう努力する姿勢は必要です。しかし、その努力は「責任ある加害者」としてではなく、「後世に教訓を伝える継承者」としての立場で行うべきです。

首相が式辞で力を込めた部分だと周辺が説明していますが、私にはその言葉が国内外へのパフォーマンスに映ります。選挙での敗北や国内政治の課題に正面から向き合わず、戦後世代にまで続く「反省」という空疎な表現で時間を費やすことは、果たして今の日本にとって意味があるのでしょうか。

「反省」の押し付けが生む歪み

私が懸念するのは、この「反省」という言葉が、現代日本人に不必要な罪悪感を植え付け続けることです。戦後の日本は平和国家として国際貢献を重ね、経済発展を遂げ、数々の国際的信頼を築いてきました。そうした歩みを評価するよりも、過去への反省を繰り返し求められる構図は不健全です。

海外からの視線を意識するあまり、歴史的責任を過剰に抱え込むことは、国益を損なうことになりかねません。実際、歴史認識を巡っては近隣諸国からの要求が終わることはなく、「反省」という言葉がむしろ外交的なカードとして利用される危険性すらあります。戦争責任を真摯に検証することと、未来志向で国を導くことは両立できますが、後者が犠牲になるような姿勢は避けなければなりません。

さらに言えば、この「反省」は一方的な形になりやすく、当時の国際情勢や他国の行動に目を向ける視点が欠けがちです。歴史教育でも、日本の過ちだけを強調するのではなく、当時の世界全体の流れを多角的に学ぶ必要があります。その上で、再び同じ道を歩まぬための具体的な政策や安全保障の強化こそが重要です。

本当に必要なのは未来への責任

戦後80年を迎える今、日本が抱えるべきは「過去への反省」ではなく「未来への責任」だと私は考えます。国防、経済、国際関係、そして人口減少という現実的な課題に正面から取り組み、次世代に安全で豊かな社会を残すことこそ、現代の指導者に求められる使命です。

式辞で強調されるべきは、平和国家としての歩みと、その価値を次世代に引き継ぐための具体的な行動計画です。戦争の記憶を語り継ぐことは必要ですが、それは感情的な罪悪感を引き継ぐためではなく、国を守り抜くための知恵を学ぶためです。

石破首相の言葉は一見重々しく聞こえますが、そこに現実的な未来像や行動指針が見えなければ、国民の心には響きません。むしろ、戦後世代や若者たちに「いつまでこの話を続けるのか」という倦怠感を与える恐れがあります。今こそ、日本人が胸を張って自国の歩みを語り、世界に対して堂々と意見を発信できる環境を整えるべき時です。そのためにも、指導者は「反省」という言葉の使い方を慎重に考え直す必要があると思います。

執筆::japannewsnavi編集部

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