【速報】鶴保氏発言「絶対に許せない」と被災地議会

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【速報】鶴保氏発言「絶対に許せない」と被災地議会

 石川県輪島市議会は11日、自民党の鶴保庸介参院予算委員長による「運のいいことに能登で地震があった」との発言を巡り、被災者の心を深く傷つけたとして「絶対に許すことはできない」との抗議文を同氏に送付したと明らかにした。

[全文は引用元へ…]47news

以下,Xより

【47newsさんの投稿】

引用元 https://www.47news.jp/12846647.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=api

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みんなのコメント

  • あの発言はやっぱり言葉の重みを軽視しすぎてたと思う。政治家ならなおさら慎重であってほしい。
  • 「運がいい」って言葉、地震の文脈では絶対使っちゃダメなやつ。聞いた瞬間に凍ったわ。
  • 発言の意図は分からんでもないけど、被災地の人が聞いたらどう感じるか、想像力がなさすぎた。
  • 最近の政治家、発言が軽すぎる。失言しても謝ればOKって空気、もうやめない?
  • 地方議会がちゃんと抗議するのは正解。国政の人間にも言葉の責任取らせなきゃ。
  • 正直、あのレベルの発言で職にとどまれるのはどうかと思う。甘すぎる。
  • 「失言だった」とか言い訳してたけど、本音が出たようにしか思えないのが一番こわい。
  • 人の不幸を利用して政治的に得しようとするような姿勢、マジであり得ないでしょ。
  • たしかに言葉尻をとらえて叩く風潮には疑問もあるけど、今回ばかりはさすがにアウト。
  • 地震で人生壊された人もいるのに、それを“都合が良かった”みたいに言うのはマジで無神経。
  • こういう時に「不適切でした」って一言で済ませるから政治不信が深まるんだよ。
  • 災害ってのは人の命がかかってる。それを材料みたいに扱う発言、国民なめてる。
  • 今の与党って、こういう緊張感のなさが慢性化してる気がする。言葉が軽すぎる。
  • 擁護する声もあるけど、じゃあ自分がその被災者だったら?って話だよね。
  • 一方で、メディアも煽りすぎる傾向あるから、発言の全文や背景を冷静に見る目も必要だとは思う。
  • 過ちを認めてすぐ行動で償う姿勢があれば、もう少し違った印象になってたかも。
  • なんかもう、政治家って言葉で失点しすぎてて、誰も信用できなくなってる。
  • 災害に対する敬意と慎重さって、政治家の基本じゃないの?それを忘れてる時点でダメでしょ。
  • こういう時に国民がちゃんと怒ることで、少しは政治の空気変わるかもしれない。
  • 最近の国会、揚げ足取り合戦ばっかで中身がない。でも今回は擁護できる材料もないわ。

japannewsnavi編集部の見解

自民党の鶴保庸介参院予算委員長による「運のいいことに能登で地震があった」という発言に対し、石川県輪島市議会が「絶対に許すことはできない」として正式な抗議文を送付したという報道を読み、私自身も深い衝撃と失望を覚えました。政治家の発言は、時に思わぬ影響力を持つものですが、今回はその「影響」の方向がまったく逆であり、被災者の心に無用の傷を与える結果になってしまったことは極めて残念でなりません。

能登半島地震が発生して以降、石川県の被災地は長期にわたる復旧活動と生活再建の苦しみを抱えています。インフラの破損、家屋の倒壊、避難生活の長期化、そして何よりも、将来の見通しが立たない不安と向き合い続ける日々。そうした状況の中で、政治の中心にいる人物から発せられたこの一言は、現地の人々にとって、まさに侮辱ともとれる重たいものであっただろうと感じています。

私は、この発言が「言葉の選び方を誤っただけ」として片づけられる問題ではないと思います。むしろ、その発言に至るまでの思考、認識、そして政治家としての感性そのものに大きな欠落があったと感じざるを得ません。地震が「運のいいこと」などと言われて、納得できる被災者がいるはずがありません。あまりに無神経で、あまりに現場の苦しみを想像していない。

輪島市議会が即座に抗議文を送ったという対応は、むしろ遅すぎるくらいかもしれません。被災地の自治体として、住民の心情を守る責任があり、こうした行動は当然だと受け止めています。最近の政治では「失言」に対して寛容すぎる風潮が目立ち、謝罪会見やコメントで済ませることが慣例化しているようにも見えますが、今回はその一線を大きく超えてしまった印象です。

政治家は、有権者の声を代弁し、国の行く先を言葉で示す存在である以上、その発言には常に「影響の重さ」が伴います。だからこそ、発言の前提にある価値観が、国民の感覚と乖離しているような場合、その人がどれほどの地位にあったとしても、きちんと責任を問われなければならないと感じます。予算委員長という立場にある方であれば、なおさら言葉の重みを自覚し、場にふさわしい表現が何であるかを判断できなければ、その職にふさわしくないとさえ思います。

今回の件は、単なる「失言」ではなく、政治の在り方そのものを問うものです。被災地に対する無理解や軽視、地方の苦しみに目を向けようとしない中央の姿勢。こうした「構造的なズレ」が、たった一言の発言であらわになったという意味で、象徴的な出来事だったように思えます。最近の政治動向を見ても、地方における声や実情が国政にきちんと反映されているのか、疑問を感じる場面は少なくありません。災害対応や復興支援が形式的になりつつある中で、国の中枢にいる人々が「本当に現場を見ているのか」という疑念は深まるばかりです。

また、この発言にはもう一つの問題があります。それは、「地震があったことによって何かの都合が良くなった」というような裏の意図が含まれているように聞こえてしまう点です。政治的なスケジュール、予算の編成、国会の議題など、何らかの「運営側の都合」に照らしての発言だったのだとすれば、あまりにも身勝手で、利己的で、政治を私物化しているようにさえ映ってしまいます。

このような発言が出てくる背景には、政治家個人の問題だけではなく、近年の政治の空気感そのものが影響しているように感じます。自浄作用が薄れ、緊張感が失われ、国民の怒りが一過性の話題として消費されてしまう状況。このままで本当にいいのかと、強く問い直す必要があります。

私は、今回の発言を受けて、輪島市議会だけでなく、国民一人ひとりが政治家の発言に対してもっと厳しくなるべきだと考えます。それが健全な民主主義であり、言葉に責任を持たせるための最も有効な手段です。政治家の言葉が「空気」で終わってはいけません。現場を見て、苦しみを感じ取り、そのうえで発せられるべきものです。

今回の件が、単なる一人の失言として風化されることなく、政治全体の姿勢を見直す契機になってほしいと願います。そして、被災地の人々の声が、こうした機会にこそしっかりと届いてほしい。そう思わずにはいられません。

執筆:編集部A

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