性犯罪再犯クルド人男に懲役10年求刑 弁護人「外国人で思慮足りず」アリバイ工作めぐり

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産経新聞によると…

性犯罪再犯クルド人男に懲役10年求刑 弁護人「外国人で思慮足りず」アリバイ工作めぐり

埼玉県川口市内で女子中学生に性的行為をして有罪となり執行猶予中、別の少女に再び性的暴行をしたとして不同意性交の罪に問われたトルコ国籍のクルド人で無職、ハスギュル・アッバス被告(22)の論告求刑公判が4日、さいたま地裁(室橋雅仁裁判長)で開かれ、検察側は「自分の性欲を満たすための身勝手な犯行で、刑事責任は重い」として、懲役10年を求刑した。判決は今月30日に言い渡される。

検察側は論告で、「被害者が中学生と知りながら無理やり暴行を加えた卑劣で悪質な犯行。被害者が受けた身体的、精神的な被害は重大だ」と指摘。「前回の事件で執行猶予と社会的更生の機会を与えられたのにもかかわらず、3カ月後の犯行であり、本件も犯行を反省するどころか証拠隠滅工作を図っている」などと述べた。

弁護人は最終弁論で、被告が「被害者の年齢を知らなかった」「同意があった」などと公判での主張を繰り返し、「被告は無罪であります」と述べた。

また、被告が犯行当日について妻に「一日中、一緒にいたことにしてほしい」と口裏合わせを頼んだことについて、「被告は外国人であって、思慮が足りなかったという事情がある。この点は被告も十分反省している」と述べた。

ハスギュル被告は、黒い丸首シャツに黒いジャンパー、黒いジャージー姿。トルコ語の通訳を介し求刑を告げられると、傍聴席を一瞥した。最終意見陳述ではトルコ語で「被害者が何歳か本当に知らなかった。無理やり何かをしたことはない」とだけ述べ、最後まで反省の言葉は聞かれなかった。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【産経ニュースさんの投稿】

引用元 https://www.sankei.com/article/20250704-T2IMXVCOORGXJDQ3FRC2NACNCU/

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みんなのコメント

  • 被害者が何歳か本当に知らなかった。 それで性犯罪が許されると思ってるのか? そんな人ばっかじゃないだろうけどやはり こう言う事があるとやはりクルド人は危険となる
  • 懲役などより、家族ともども丸裸にして国外永久追放にするべきだろう。被害者や家族は、こいつらが日本国内にいる事が絶えられないだろう
  • >妻に「一日中、一緒にいたことにしてほしい」と口裏合わせを頼んだことについて、「被告は外国人であって、思慮が足りなかったという事情がある。(後略) 隠蔽工作に対して外国人だからとか関係ないと思うわ。思慮が足りないで無罪にしたら外国人犯罪天国になるぞ?!
  • 一旦、問題部分を取り外して冷凍保存して置いて、被害者の許しがでたら返却したら良いと思う
  • 俺等の税金で10年も暮らして、性欲が湧いたらその辺の日本人の少女襲ってるやつを批判したら差別になるのおかしくね
  • 知らなかったで済むのは小学生まで!と高校の先生に怒られましたが
  • 夜神月って正しかったんやなって
  • 政府の責任。対立せざるを得ない状況に追い込んでるのも政府。 政府の不備のせいで不幸な日本人が増える
  • これって十年というのはあくまでも求刑だから、実際には裁判員制度で8年くらいになるんじゃないの?
  • 「配慮が足りず」?なんでもオッケーと言う事ですね
  • 弁護士も大変な仕事だな 裁判で勝つためなら何でもいいのか?

japannewsnavi編集部Bの見解

再犯でありながら「思慮不足」で済まされるのか

事件の詳細を読み、最初に疑問を感じたのは、なぜこの被告が再び社会にいたのかという点でした。女子中学生に対する性犯罪で一度有罪判決を受け、執行猶予がついていたにもかかわらず、わずか数か月後にまた同じような犯罪を起こしています。しかも、今回は被害者が16歳未満であることを知りながらの犯行であり、妻にアリバイを頼むなど、隠蔽の意図もはっきりしています。

それにもかかわらず、弁護人は「外国人で思慮が足りなかった」と主張しています。この言葉には違和感しかありません。被告が口裏合わせを計画し、自分を守るために行動している時点で、「思慮が足りなかった」と言うのは無理があるのではないでしょうか。計画的に動いている以上、それは判断力や認識があった証拠でもあります。

「外国人だから思慮が足りない」という論理は、逆に外国人への偏見を助長するようにも聞こえます。これを差別と捉える人がいてもおかしくありません。日本に住む以上、日本の法を守るのは当然であり、国籍を理由に責任を軽減するような主張が通るべきではないと私は思います。


無罪主張と「反省」の矛盾

弁護人は「被告は無罪である」としながらも、「証拠隠滅については反省している」と述べました。しかし、無罪であるならば反省の必要はないはずです。反省しているならば、それは何らかの非を認めているということになります。論理として矛盾しています。

被告自身の最終陳述では、「被害者が何歳か知らなかった」「無理やりではない」と述べただけで、謝罪の言葉や反省の表現は一切ありませんでした。本人の口からそのような言葉が出てこない中で、弁護人がいくら「反省している」と語っても、それは形式的にしか聞こえません。

裁判において反省の有無は重要な判断材料のひとつです。だとしても、被告が実際にその気持ちを持っているのかどうかは、行動や態度から伝わってくるものでなければ意味がありません。謝罪も反省もなく、ただ自分の身を守るために弁護人が語る言葉では、説得力を持つことは難しいと感じました。


被害者より加害者が守られてしまう現実

この記事を読み終えて一番強く残った感情は、「被害者の権利はどこへ行ったのか」というものです。すでに有罪歴があるにもかかわらず再犯に及び、反省の色も見えない人物に対して、また社会復帰の道が用意されている。果たしてそれが本当に公平なことなのでしょうか。

コメント欄で見かけた「なぜ税金で10年も飯を食わせるのか」「国外に出せばいい」という声も、感情論に見えてその本質は社会の不安です。制度が被害者ではなく、加害者を優先しているように映ってしまう現状に、多くの人が疑問を感じているのです。私もそのひとりです。

法は冷静であるべきですが、それと同時に現実的でなければ意味がありません。再犯性が高く、反省もない加害者に対して、過度に寛容になることが本当に社会のためになるのか。被害者の人生は元には戻りません。であれば、まず守るべきはこれからの被害者を生まない仕組みであり、判断であるべきです。

再犯、隠蔽、謝罪なし——この条件がそろっていても10年という求刑が「軽すぎる」と言われるのは当然のことです。私たちは、加害者の「事情」ばかりに耳を傾けるのではなく、被害者の声なき声にもしっかり目を向けるべきだと強く感じました。

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