吉村知事「ここぞとばかりに、石丸氏を揶揄したりバカにしたりする意見に溢れているが、いずれ痛い目にあうだろう。彼はここで終わらない。」

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以下,Xより

【吉村洋文(大阪府知事)さんの投稿】

引用元 https://x.com/hiroyoshimura/status/1937493765650022666
画像出典:女性自身

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みんなのコメント

  • ここぞとばかりじゃないです。初めからです。
  • 吉村さんが外の方に対してこんな風にいうのは珍しい 向かってる方向は似ていると思うのに、それぞれが別々に行動されるの勿体なくないですか? とりあえず、安芸高田の梅田イベント興味あります
  • ご自身も悔しい気持ちがあるのかもしれませんが、痛い目にあって欲しそうな言い方ですね。 何だか残念…
  • 「いずれ痛い目にあうだろう」 ――これ、公党幹部の発言ですよ。しかも現職の知事 意見の違いや批判に対して、恫喝とも取れる言葉で威圧する 恐ろしくて、ただただ“怖い”と感じました こういう感覚の持ち主が、いま日本の首長の一角 もはや政党としての本質が問われる段階では?
  • 合流でもするの? だってねポスター代払わなかったり、人と会話が成り立たない人をどうやって政治家として評価できるの? 国民と対立を煽るのは辞めなさい
  • 脅迫だぞ。犯罪。こいつを逮捕しろ
  • 「いずれ痛い目にあうだろう」 政治家、ましては府知事ともあろう者が その発言は大問題。 立派な恫喝行為です。 スクショしておきました。 後から消しても無かった事にはできません。
  • それは維新の党首としての発言? それとも個人的な意見?
  • 政治家が国民を痛い目に合わせるの? その発言、問題では?

japannewsnavi編集部Bの見解

吉村知事の発言に感じた不安と違和感

私は、大阪府の吉村洋文知事がSNSで「石丸氏を揶揄したりバカにしたりする意見に溢れているが、いずれ痛い目にあうだろう。彼はここで終わらない」と発言したと知ったとき、正直言って、驚きとともに強い違和感を覚えました。政治家としてどのような思想を持ち、誰を支持するかは自由であり、それ自体を否定するつもりはありません。しかし、現職の知事という立場にある方が「痛い目にあう」というような表現を用いることには、看過できない危うさを感じました。

この言葉が具体的に何を意味しているのかは知事本人にしか分からないにせよ、聞く側がどう受け取るかが問題だと思います。実際、ネット上では「脅迫に聞こえる」「市民を恫喝しているようだ」といった反応が相次ぎ、大阪府民を含む多くの人々が不安を感じている様子が見受けられました。私もその一人です。政治家の発言は、それがどんなに短い一文であっても、公的な影響力を持つという責任があるはずです。

また、「ここで終わらない」という言葉も、どこか挑発的で含みを持たせた印象を与えます。支持する人物に対して期待を寄せる気持ちは分かりますが、その期待が他者への攻撃的な言い回しに変わってしまっては、本末転倒だと思います。むしろ、理性的に議論を重ねていくことこそ、政治に求められる態度ではないでしょうか。

大阪府民としての立場と世間の反応

私が大阪府民として気になったのは、この発言が地域のイメージにまで影響を及ぼしかねないという点です。SNSで見かけたコメントの中には、「大阪は怖くて行けないと言われた」「関東の親戚に皮肉を言われた」という声もありました。たった一つの発言が、府民全体の印象を左右しかねないという現実に直面し、言葉の重みをあらためて感じています。

政治家は一人の市民としての側面もある一方で、公の立場で発する言葉には慎重さが求められます。特に現代のようにSNSで一瞬にして発言が拡散される時代においては、発言が持つ力は以前よりもはるかに大きくなっています。それにもかかわらず、「痛い目にあう」というような表現が飛び出すというのは、あまりに不用意であり、冷静さを欠いているとしか言いようがありません。

また、この発言によって、維新という政党そのものにも懐疑的な目が向けられているように感じます。維新の会が掲げてきた改革や効率化の姿勢を評価していた人たちの中にも、「やはり強権的ではないか」「議論よりも攻撃が先に立ってしまっているのではないか」と疑念を持つ人が出てきても不思議ではありません。私も、今回のような発言を見るにつけ、政治的スタンスを問わず、言葉選びの重要性を強く感じています。

政治家の言葉に求められる冷静さと責任

私は、政治家の言葉には二つの側面があると思っています。ひとつは、政策や理念を発信するための手段。もうひとつは、社会の空気を穏やかに保ち、市民の不安や対立を和らげるための配慮です。どちらも重要ですが、後者については、今回のような発言ではあまりに無視されているように思います。

今回の吉村知事の言葉は、一部の支持者を奮い立たせる目的があったのかもしれません。しかし、それ以上に広がってしまったのは、「自分と異なる意見を持つ者は敵だ」とするような分断の空気でした。民主主義において、多様な意見が存在するのは当たり前ですし、それを尊重するのが政治の基本姿勢であるべきです。

また、「痛い目にあう」という言葉が、公職にある人間の口から出ることで、一般市民に対して無言の圧力として働く可能性もあります。意見を述べただけで威圧的に感じさせてしまうような言葉遣いは、自由な言論を萎縮させ、健全な議論を妨げる要因にもなりかねません。

私自身も、これまで選挙や政策に対して、さまざまな考えを持ってきました。ときには批判もしますし、支持することもあります。けれど、そうした市民の意見の積み重ねこそが、政治を正しい方向に導くはずです。だからこそ、市民の声を脅すような響きを持つ言葉には、強い警戒感を抱かざるを得ませんでした。

私は、吉村知事がこれまでに行ってきた改革的な政策に一定の評価を持っていたつもりです。しかし今回の発言を通じて、その姿勢に一抹の不安を感じました。政治家は、対話を通じて理解を広げていく立場であるはずです。であるならば、たとえ厳しい意見であっても、それを脅しで黙らせるような方向ではなく、誠実に受け止め、言葉で応える姿勢を見せてほしいと、心から思っています。

執筆:編集部B

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