【福岡】モスクが近くにあるのに、イスラム教徒が筥松北公園で礼拝 子どもたちの遊ぶ場所を占拠…彼らは共生を考えていないようだ ※動画あり

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以下,Xより

【ロアネアLOGさんの投稿】

引用元 https://x.com/roaneatan3/status/1936240870476726430

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みんなのコメント

  • こういうのは早めに禁止しないと 公園はこの様な使い方をする場所では無いとはっきり示さないと常態化すると全国どこの公園でも行われる様になる
  • えっ? 福岡には、こんなにイスラム教徒が住んでいるのですか? 第2の川口市になるのでは?
  • 普通に疑問だけど、こんな真っ昼間から大の男たちが何してるの…?仕事は?何しに日本に来たの?こんな宗教チックな文化キモくて受け入れられない私達の多様性も重視して欲しい。
  • 大使館に連絡して改善を求める。 改善されなければ排除・禁止でしょう。 近くにモスクがある意味ない。
  • 公園は憩いの場です。
  • 九州大学は率先して海外留学生、研究者を受け入れており この公園のある東区は新しい先進的国際交流を謳いマンションなど近年開発が進みました 地域の公立小学校は国際色豊かで私立より良い教育が受けられる
  • これって、利用申請のようなものを出すのか? それとも、公園利用は早い者勝ちなのか? もし後者なら、こいつらを阻止するために朝から野球の試合でもやるのがいいかもしれない。
  • 公園とかって「無許可の集会や祭事は禁止」じゃないの? 占拠なのも明らかだから行政の中止命令から始めないと、どんどん増長しちゃうよ
  • モスクに入りきれないんですよ。もっとモスクが必要です。でもそのためにはお金がかかるのですぐには出来ないです。ゆるしてあげて下さい。
  • 金曜礼拝は男性しか参加しないからだ。 実際、インドネシアも同じ問題を抱えていて、モスク内のスペースが十分でないため、道路や公園などの公共施設を利用しているんだ これはインドネシアでも同じ問題が起きている。😣
  • 都市公園法に直接規制する条文は定められていないものの、福岡市が別途運用規約を定めていると思われる。 その規約内に、敷地内で行事や催しを行う場合は許可を求めていたり、政教分離に関する規定が存在する場合は規制できる可能性がある。 福岡市民の方は一度役所に問い合わせる価値はありそう。
  • 異様な光景…。福岡市は何もしないで見てるだけ?
  • 私が住んでいる所も同じです! しかも市が協力してニュースで流れていました😭 しかも、県の象徴である場所で😢残念ですよね
  • 特に日本においては、モスクという存在は不要ということを示しているわけですね。 公園を広範囲に宗教行為で使用するということは、市や管理者の許可があるということでしょうか❓
  • これが全国区になるんですよ?良いんですか?皆さん! 7月の選挙自民党立憲公明維新そこそこ議席取れば、加速してこうなります!(もっと人数拡大しますよね)
  • げっ!!福岡もこんな状態なん!
  • 示威行為の可能性があるな。 諸事情により、少人数で屋外で礼拝するケースは無いわけではないが、近くにモスクがあるにもかかわらず、モスクに行かずに屋外で集団礼拝する事は無いはず。 おそらくは、公園の管理者が許可したのだろうが、許可した人も、それが分かっていないのだろう。
  • モスクに入りきらないのお天気良かったから?公共の公園でも団体が占拠したら駄目だよね公園は子供の遊び場や大人でも少人数の体操位でしょ。どの宗教団体でも公園を占拠したりしないしお祈りするのは全然イイと思うけど子供の遊び場を大人が取ったら駄目だし入りきらないなら人数制限時間ずらすとか?

japannewsnavi編集部Aの見解

公園での集団礼拝に感じた違和感と現実的な課題

私がこの映像を見たとき、最初に感じたのは「なぜ、そこなのか?」という素朴な疑問でした。場所は福岡市東区の筥松北公園。映像には、数百人に及ぶイスラム教徒の方々がシートを敷いて礼拝をしている様子が映し出されていました。そしてその周囲には子ども用の遊具や散歩道が見え、公園本来の「地域住民の共有空間」としての姿がはっきりと確認できます。

礼拝そのものが問題なのではありません。信教の自由は日本国憲法に保障されており、それぞれの宗教が大切にする祈りの時間や形式を尊重すべきだという考えには、私も異論はありません。しかし、今回のように「なぜわざわざ公園で?」と感じてしまうような状況では、やはり配慮が欠けていたのではないかと感じざるを得ませんでした。

特に問題と感じたのは、現地にモスクが存在するにもかかわらず、それを使わずに公共の場である公園を占有する形で集団礼拝を行った点です。それが意図的なアピールであったかどうかは分かりませんが、結果的に「他者の生活空間」を侵食するような形になってしまったことは否定できません。

地域の子どもたちが普段遊んでいる場所で、突然見知らぬ大人たちの集団が整列して何かをしていたら、親御さんも不安になるのは自然な反応だと思います。共生社会を築くうえで最も重要なのは、「権利の主張」よりも「相互理解と配慮」であると私は思います。

地域共生という言葉の本当の意味

日本では近年、外国人労働者や移住者が増え、多文化共生という言葉がよく使われるようになってきました。行政も「共生社会の実現」を掲げ、受け入れと融和のための取り組みを進めています。しかし、今回のような事例が起きるたびに、私はその「共生」という言葉が一方的に使われていないかどうか、慎重に見極める必要があると感じています。

本来、「共生」とは双方の歩み寄りによって成り立つものです。片方が自己の文化や習慣のみを強く押し出し、もう片方が我慢を強いられるような状態では、それは「共生」ではなく「片務的受容」に過ぎません。たとえ宗教的な背景があるとしても、公共の空間を長時間にわたって占拠し、本来の利用者である地域住民の自由を制限するような形になってしまえば、軋轢は避けられません。

私は、異なる文化や価値観を持つ人々が日本社会に増えること自体は歓迎しています。それはグローバルな時代の流れであり、止められるものではありません。しかし、だからこそ「日本に住む」ということは、「日本の公共ルールと調和して暮らす」という前提を共有することが不可欠です。

日本人もまた、海外で生活すればその国の文化や規律に従う必要があります。公共交通機関でのマナー、時間厳守、地域行事への参加――こうしたことを当然のように守るからこそ、「信頼される移住者」になれるのだと私は信じています。

これからの「共生」のために考えるべきこと

今回の事例を通じて、私たち日本人もまた、今後の「地域共生」にどう向き合うかを真剣に考える時期に来ていると感じました。行政、地域社会、そして移住者や外国人観光客――それぞれの立場が、どのような価値観や生活リズムを持っているのかを「知ろうとする姿勢」がなければ、共生など絵に描いた餅です。

同時に、私は「日本のルールは変えてはいけない」とも思っています。それは排他的な意味ではなく、長年かけて培われてきた秩序や慣習には、それなりの理由と価値があるからです。今回のように、公共の場所で大規模な集会が行われる場合、行政が事前に調整を行ったのか、許可を得たのか、そのあたりの情報開示も必要だと考えます。

また、今後もこうした集団礼拝などが想定されるなら、行政やモスク側で代替施設や時間帯の調整、周辺住民への周知など、トラブルを未然に防ぐ工夫を積極的に検討していくべきです。誰かを排除することではなく、全員が安心して暮らせる「共通のルールづくり」が問われているのではないでしょうか。

公園は、誰もが平等に使える場所です。だからこそ、そこを使う側にも「誰かの時間を奪っていないか」「地域の空気を壊していないか」と自問する姿勢が求められます。宗教の自由と公共マナーは、どちらも大切な価値です。どちらかを犠牲にするのではなく、両立させる努力こそが「共生社会」の本質だと私は思います。

執筆:編集部A

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