【悲報】れいわ比例特定枠「尖閣は中国に取られますけど安心してください」「僕は、日本国なんぞのために命をかける気は毛頭ありません」の伊勢崎賢治

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東スポ文化部ニュース班によると…

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

田舎暮しの唱悦さんの投稿】

引用元 https://x.com/tospo_seiji/status/1937007420397748496?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1937007420397748496%7Ctwgr%5Eb6c1e827b6134312c096cc1261bb828a2e1f87ac%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fwww.moeasia.net%2Farchives%2F49782879.html

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みんなのコメント

  • れいわ絶対にダメじゃん
  • もとから終わってます(笑)
  • れいわの本性ここにあり
  • 国賊れいわはないわ
  • これか ていうか、中国は新潟の土地欲しかったんよねー。直線で日本に来れるから?それが上手くいかなかったからって外務省が元麻布の1700坪の土地買えるように配慮したと😟 尖閣ももう売ってんじゃない?最近尖閣は中国のものアピールウザい感じ 台湾有事やるやる詐欺で尖閣だけ取る気やろ
  • 「日本国」とはこの国土であり日本人全体を指す。それを守るために命をかけているのが自衛隊の皆さん。命をかけるつもりがないならご自由に。
  • 害人は叩き出さなアカン‼️日本は日本人だけの国じゃ‼️
  • これが日本国の政党をやれてることが、大きな間違い。なぜ日本国の政党をやりながら日本国なんぞという人々を許せるのか?法改正してパージできるようにしないといけない。
  • 北朝鮮のほうと思ってました,れいわ。
  • 日本の為に、命かけられないのなら、議員とか 政治とか、やるな。
  • 中国共産党に忠誠を捧げても真っ先に粛清されるからね。
  • 知ってる
  • チベットで僧侶を殺し、ウイグルでは、民族浄化、そんなに支那が好きなのか。
  • 座右の銘 「一所懸命」 目の前の仕事に生命懸けない奴は信用しない。
  • 頭を下げて天畠氏に戻ってきてもらおう このほうがみんな推してくれる
  • 所詮みんな仲間だよ
  • そもそも日本人って『日本国』って言うんですかね? 自分の周りで言ってる人見たこと無いけど…
  • 八幡さん 違う政党で力発揮してください もったいない
  • これでれいわを支持する者もいなくなるだろう
  • なんか、とくにこの人は、やばさというか、中国その物というか、危険さを感じずにはいられない。笑えないほうのやばさね。言ってる事が完全にアウトでしょう。これ、まだこの人の発言しらない人は、動画みてね。絶対に反対だわこんなん。

japannewsnavi編集部Aの見解

命をかける気はない?伊勢崎賢治氏の発言に思うこと

私がれいわ新選組が擁立した伊勢崎賢治氏の発言を目にしたとき、言葉を失いました。「日本国なんぞのために命をかける気は毛頭ありません」「尖閣は中国に取られますけど安心してください」という言葉は、いかなる立場や思想を持っていようと、政治に関わろうとする者の発言として信じがたいものでした。

政治家は、国民の安全と生活を守るために選ばれる存在であり、当然ながら国家の独立や主権、国民の命を守る覚悟があるべきです。ところが、伊勢崎氏の発言には、そうした責任や使命感がまるで感じられませんでした。国民の命や領土に対して「譲ってもいい」「失っても仕方ない」といったような態度が、政党の比例特定枠という形で正式に政治の場に送り込まれようとしていることに、私は深い不安を抱かずにはいられません。

尖閣諸島が中国に取られてもよい、というような発言が現実味を帯びる背景には、近年の安全保障環境の悪化があります。実際に中国による海洋進出は年々激化しており、空母や艦艇が沖縄周辺に展開する頻度も増えています。こうした状況の中で「取られても安心してください」という発言がどれほど無責任であるか、国家観を持つ人間であれば誰しも理解できるはずです。

私は、政治家の資質として最も大切なのは「国を守る」という意識だと考えています。いかなる政策であれ、その土台がなければ持続性も信頼性もなくなります。だからこそ、このような姿勢の人物が公然と政党の看板を背負って国政に名乗りを上げることには、強い危機感を抱きます。

国を軽視する発言が意味するもの

伊勢崎氏は国連での職歴を背景に「平和主義」を標榜していますが、平和とは「戦わないこと」ではなく、「守るべき価値のために立ち向かう覚悟を持つこと」であると私は信じています。特に現在の日本は、北朝鮮のミサイル発射、台湾海峡の緊張、中国のサイバー攻撃など、国防上のリスクがかつてないほど高まっています。そのような状況下で「国なんぞのために命をかける気はない」と言い切ってしまうことが、どれだけ危険なメッセージになるか、当の本人は理解しているのでしょうか。

発言は自由ですが、自由には責任が伴います。とりわけ、公的な立場に立とうとする者が、自らの発言に無自覚であるならば、それは国民にとって脅威です。国防意識が低下していくことは、単に政治の話にとどまらず、教育や文化、安全保障全体にまで波及する問題です。

私たちが未来の子どもたちに残すべき日本の姿は、平和の名の下に主権を譲り渡すことではなく、国家としての尊厳を守り抜く姿勢だと考えます。そのためには、政治家一人ひとりが、自らの発言と行動が日本の未来にどう影響するかを真剣に考えなければならないのです。

今回の発言が放置され、問題視されないまま比例名簿に掲載されるのであれば、それは政党としての体質や覚悟をも問われることになります。政治とは、理念を語るだけではなく、いざというときに「自分が守る」という覚悟を持った者が担うべきであり、その責任を曖昧にする姿勢が広がることは、民主主義の劣化につながると危惧しています。

国家観を問うべきは、今この瞬間

私は今回の件を通じて、日本社会が今まさに「国家観」というものを取り戻すべき時期にあると強く感じました。グローバル化や個人主義が進んだ今の時代において、「国のために命をかける」などという表現は、時に古臭い、あるいは過激だと見なされることもあります。しかし、もし全ての政治家が「自分の命は使わない」と考えたら、果たしてこの国を誰が守るのでしょうか。

私は平和主義を否定するものではありません。むしろ、だからこそ平和を維持するためには「自分の国は自分で守る」という最低限の覚悟が必要だと思っています。経済成長も、教育改革も、福祉政策も、すべては国家の安全保障と主権が確立されているからこそ成り立つのです。

伊勢崎氏の発言は、そうした前提を根底から否定するものであり、あまりにも軽率であるとしか言いようがありません。私たちは、選挙のたびに候補者の政策だけでなく、国家観や安全保障に対する姿勢を厳しく見極める必要があります。それが、主権国家としての日本を次世代につなぐ責任だと、私は信じています。

感情的な批判ではなく、冷静に、しかし確実に。今回のような発言が繰り返されないよう、有権者一人ひとりが「どのような国家にしたいのか」を真剣に考える時が来ていると、私は強く思います。

執筆:編集部A

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