【X民】君が代斉唱せず、国旗掲揚に起立しなかった教員らが高裁で逆転敗訴 国家の象徴を拒否する姿勢に驚き 子どもへの影響も無視できない…あなたはどう思う?①当然の判決②表現の自由が優先③その他

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以下,Xより

【ぴろんさんの投稿】

しゅうやんさんの投稿】

『君が代』を教育者から歌わない、その意味を子供達に教えないなら、この国である象徴はなんだ💢そんな教育者は要らないのでは❓表現の自由を履き違えてると思う😭なんでもそうですが、『基本があるから、それを理解して次のステップがある』
基本を理解出来て無い政治家がこの国を仕切ってるから、この国は異常を犯してる😤💢

引用元 https://x.com/pirooooon3/status/1934233846918398378?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • ①っ!! 公務員という国のために働く人間が、国家を象徴する国旗、国歌を軽んじるなんて言語道断!懲戒免職でも良い。
  • ①:当然の判決 嫌なら公務員辞めれば良いと思います。国に雇われ、その働き手になるのに、国旗掲揚や国歌斉唱を拒否するのは国を軽んじていると感じます。
  • ① 国家公務員の教師なので当然、公務員なのだから国に忠誠を尽くすのは当然、ポーズだけでもしろよ大人なんだから!嫌なら私立の教師や一般の民間会社員になれよ今までが甘やかされ過ぎ、権利の履き違え公務員は簡単にクビにできないけど、嘱託再雇用は再雇用で新たに雇用するのだから選ぶ権利は有る
  • 自治労と日教組 左翼活動家の巣窟。公務員という安定した職業で活動やりたいほうだい。連合の主力です。
  • ① 当然です公務員なんだから! 君が代日の丸が嫌なら公務員辞め ればいい
  • 国旗国歌法ができたのは、この人たちが教員になった後だからな 後付けで「やれ」と言われてもね 教員が国旗国歌に否定的なのは何故か、ぜひお勉強してください
  • 生まれて「お父さんですよ〜。お母さんですよ〜」は分かるけど、会ったこともないのに「天皇崇拝しなさ〜い。君が代、唄いなさ〜い。天皇、万歳」ってのは、昔から違和感がありました。例えば生活の面倒見てくれてるなら、いつも有難う、感謝だけど、血税巻き上げて万歳はない。
  • ① 教師は、児童・生徒が君が代を歌えるように指導することが職務である数少ない職業である(学習指導要領により)。それが嫌なら他の職につけばよい。
  • 当然でしょ❗️国歌斉唱も出来ないなら国外へ行けば良いわ。
  • ③クビでよし
  • ①当然の判決だと思います 公立教師は、君が代などを子供たちに伝える義務が有ります >国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)により、国旗の掲揚と国歌の斉唱は義務化されました 自分が歌う歌わないは別として、生徒たちに起立させない歌わせないなどは、公務員としての義務違反です
  • ① 私自身の経験でしかないが、日の丸や君が代を否定する教員ほど、児童や生徒の前では大きな態度をとるような記憶です。
  • ① 愛国心とか言いたいけど、シンプルにお金出してもらってるところに所属してる意識と感謝くらい示そうよと思う
  • 国旗や国歌に対して、お行儀良くすることは愛国心とあえて言う程のことでもなく、これは自国他国に関係のない大人のマナーです。これを拒否するのはイデオロギー以前の問題だと思いますけど。それが教育者とは。
  • 子供の体育祭での国旗掲揚で保護者も勿論起立する中、お一人だけ座ったまま国旗から目を背けてた人が居て驚いたのを思い出しました。良し悪しには言及しないけど、凄い意志の強さだなって。
  • 式典の進め方だと思うけどな。「御起立ください」ではなく「国旗に頭を御向けください、御起立される方は御起立ください」で良いんじゃないの。その前に「国旗並びに校旗に拝礼いたします」って言うのも入れないとねw
  • 当然1です。2と答える先生は、生徒のご自身への反抗を表すあらゆる行動を「表現の自由」との位置付けで納得されるのでしょうか。
  • 公務員なら当然の判決 なんで国民の税金で生きてる奴が君が代を歌わない
  • ①当然の判決 公立教員は地方公務員ゆえに職務を全うする義務がある。だから私情や思想などを優先にしてはいけない。地方公務員法を見れば妥当な判決としか言えないね。
  • ①です。私は、ボーイスカウト活動に参加していましたので、国旗掲揚、国歌斉唱を当たり前のように思っていました。しかし、周りからは「右翼」と罵られ変人扱いされてことがあります。国歌、国旗を大切にする教育を望みます。

japannewsnavi編集部Aの見解

教育現場における「国旗・国歌拒否」への違和感

今回報じられた、君が代を斉唱せず、国旗掲揚にも起立しなかった公立学校職員らが、高裁で逆転敗訴となった件について、私は非常に複雑な思いを抱いています。まず第一に、公務員である教職員が、国の公式な式典で国家と国旗に対して敬意を表さなかったという事実には、やはり疑問を感じざるを得ません。

学校というのは、子どもたちに社会のルールや価値観を教える場です。そこで働く教職員が、式典で国家や国旗に対して無言の抵抗を示すことは、明らかにその役割との乖離があります。もちろん、個人の思想や信条は尊重されるべきですし、日本国憲法でも思想・良心の自由は保障されています。しかしながら、個人の思想が職務の遂行において優先されるべきなのかと問われれば、やはり答えはノーだと私は考えます。

特に卒業式や入学式といった節目の場で、教職員があからさまに国家や国旗への敬意を示さない姿勢を取ることは、生徒や保護者に対しても混乱や不信感を与えることになります。それが教育的であるとは到底思えません。子どもたちは教師の背中を見て育ちます。その教師が「公務員でありながら国家の象徴を認めない」といった態度を取れば、無意識のうちにその価値観が伝わってしまう恐れがあります。

表現の自由か、公務員としての責任か

今回の件は「表現の自由」と「公務員としての職務遂行」が真正面から衝突したケースとも言えるでしょう。確かに、日本国憲法第21条は表現の自由を保障しています。しかし同時に、地方公務員法第36条には「服務の宣誓義務」や「職務の忠実義務」が規定されています。つまり、公務員である以上、一定の制約を受けるのは当然なのです。

私は「思想・信条の自由」があっても、公務員は組織の一員として職務を果たすべきだと考えます。特に教育という公的な職場では、「私」を全面に出すのではなく、「公」に従う姿勢が求められます。組織としてのルールや方針に従い、儀礼的な行為であっても、生徒の前では一定の態度を見せることが、教育者としての在り方ではないでしょうか。

このような判決が出た背景には、過去の判例や国際的な人権保障の流れがあるのかもしれません。しかしながら、制度的に明確なガイドラインが存在している限り、それに従わないという行動が許容されるのは極めて例外的な場合に限るべきです。

教師が国旗掲揚や国家斉唱を「強制された」と主張する声もありますが、それが「職務命令」である以上、私的な信条だけを理由に従わないのはやはり職務放棄にあたるのではないかと感じます。逆に言えば、それほどまでに自分の思想を貫きたいなら、なぜ教職という公職に留まるのかという疑問も浮かびます。

国を象徴する行為の意味を再確認すべき

今回の出来事は、単に「国家斉唱を拒否したか否か」といった表面的な問題ではなく、国を象徴する行為に対する現代日本人の意識を問う問題でもあると感じました。国旗掲揚や国家斉唱は、単なる形式的な儀式ではなく、国家に対する帰属意識や敬意を表す重要な行為です。それを拒否するということは、国家そのものを否定する姿勢と見なされても不思議ではありません。

教育の場において、こうした象徴的な行為をどう位置付けるかは非常に繊細なテーマです。だからこそ、都道府県教育委員会や学校管理者は、もっと明確な基準と説明責任を持って、教職員と共有すべきではないでしょうか。教職員に対しては、職務の一環として儀礼的行為に参加することを求め、それに同意できない場合は適切な職務の異動などを考慮する制度も必要かもしれません。

また、生徒にとっての教育的効果を考えると、「日本という国を尊重する」という意識を自然と育むことは、国際化が進む現代社会においてむしろ重要な価値だと思います。グローバル化が進む中でも、自国への誇りや帰属意識がなければ、他国と真の意味で対等に関わることはできません。国際感覚とは、自国を理解した上で他国を尊重することで初めて成り立つものです。

教職員の行動が、「多様性を認める社会の象徴」として一部で評価されている側面もあるようですが、それが教育現場における信頼性や一貫性を損なうようであれば、やはり見直すべきだと感じました。国旗・国家への敬意は、強制ではなく「文化」として次世代に受け継がれていくべきものであり、その場を担う教職員には、もっと責任ある姿勢が求められると思います。

執筆:編集部A

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