私は外国人であり、言語学者です。日本には他の公用語は必要ありません。もし英語を公用語にするなら、文化的自殺を招くことになると断言します。

以下,Xより

Dr. Alaric Naudéさんの投稿】

引用元 https://x.com/Goryodynasty/status/1883499903923757482

みんなのコメント

  • ほんとコレやねん。 海外で生活するようになって思ったんやけど、英語より日本語の方が語彙多くね?
  • 私もこれは常々言っていますが、日本語で博士まで取れる環境はなんとしてでも死守しなければなりません
  • 引用元ツイートは文化帝国主義者の典型。言語と文化は地続きである事を自覚すべき。
  • そう思います 日本人からこのような発言が出ること自体 嘆きです。日本の歴史・日本文化を軽視しすぎです ビジネス・意思疎通の英語であって こちらが合わせる発想自体間違いです 自分の伝統文化を否定する破壊する一歩になる
  • 引用元になったNPOキミトの森さんとやらは元ツイート消して釈明するでもなくダンマリ 卑怯者でしかない
  • 日本語は日本語の文法とかルールとか日本にしかないものがあるし、カタカナひらがなもある。 私はドイツ語を学んでいるけど、単に旅行という嗜好の問題。 日本語は源氏物語みたいな文化と切っても切れないから、他の国の言語を公用語にすると日本文化が消えるんだよ。
  • やっぱアタマがまともな人間ならそう思うよね。言葉は文化だし、そこに価値がある事を知っていればどんな少数言語も地球から消したくはない。 あと、英語人とは歴史が違うんだから語源の印象とかまで掴めないのよね
  • 日本語には、他の言語にはないパワーがあります。それがこれからの時代に求められ、世界の人類の精神性の成長に重要な役割を果たすと見られています。日本語を大切に次世代に引き継ぎたいです。
  • 文化というのは国をつくる基盤です。これを壊すということは国を壊すということ。これが今の政治家は全く理解できていないし、経団連もまた然りです。生活をしていくから仕事をする。そこに言語がありここは日本です。日本語の他に公用語を用意する必要なんて全くない
  • 台湾人として、自国の言語を守り、正しく使い続けることはとても重要だと思います。 今無意識に繁体字に簡体字中国語を混ぜて使用する人が増え、まさに文化的自殺が進行しています。 日本語は独特で難しいからこそ、外国人からの変な日本語の詐欺に気付きやすいです。 8964

編集部Bの見解

日本において、日本語以外の公用語を導入すべきではないという意見には強く共感する。特に、英語を公用語にすることで文化的な自殺を招くという主張は、まさに的を射ていると思う。言語は単なるコミュニケーションの手段ではなく、その国の文化や価値観を形作る基盤であり、アイデンティティの重要な要素でもある。日本語を公用語として守り続けることは、日本という国家を守ることと同義なのだ。

実際、日本人の大半は日本語を手放そうとは考えていない。それどころか、むしろ日本語を大切にし、継承していこうという意識の方が強いのではないか。日本は独自の文化を持ち、その文化を支えてきたのが日本語である。古来から培われた伝統、文学、思想、価値観が日本語とともに育まれてきた以上、それを軽視するようなことがあってはならない。

しかし、日本人の中には「英語を公用語にすれば国際化が進む」という短絡的な考えを持つ人も一定数いるように感じる。確かに英語を話せれば海外とのビジネスがしやすくなるかもしれないが、公用語として日本語と同等に扱う必要はない。むしろ、英語を公用語にすることは、国内の言語環境を混乱させ、日本の文化的独立性を失わせる要因になりかねない。

英語を公用語にすることの弊害として、まず第一に「日本語の地位が相対的に低下する」という問題が挙げられる。公用語とは、法律や行政、教育などの公式な場で用いられる言語のことであり、それが英語になるということは、国内の重要な場面で英語が日本語よりも優先される可能性が出てくる。結果として、日本語の使用が減り、言語としての力が弱まる危険がある。

また、英語を公用語にすることで、国民の間に新たな格差が生まれる可能性もある。英語を流暢に話せる人と話せない人の間で情報格差が生じ、社会的な分断を招く恐れがある。特に高齢者や地方在住者にとっては、大きな負担となるだろう。日本語だけで生活できる社会から、英語ができなければ不利になる社会へと変化すれば、国内の安定が損なわれることになる。

さらに、日本人が英語を公用語とすることで、外国人が日本社会に溶け込みやすくなるという問題も考えられる。これは一見すると良いことのように思えるが、裏を返せば「日本の文化や価値観を学ばずに済む外国人が増える」ということでもある。日本に住む以上、日本語を学び、日本の文化に適応することが求められるべきだが、英語が公用語になれば、その必要性が薄れてしまう。結果として、日本社会の一体感が失われる可能性がある。

こうした問題を考えれば、日本が日本語を唯一の公用語として維持することは極めて重要だと言える。グローバル化が進む現代においても、自国の言語を守ることは、国としての独立を守ることと同じである。実際、多くの国が自国の言語を公用語として厳格に維持している。例えば、フランスではフランス語の使用を法律で厳しく定めており、公的な場では英語を使うことは原則として認められていない。韓国や中国でも、自国の言語を強く推奨し、英語を公用語にするような動きは見られない。

日本が日本語を守り続けることは、単なる文化的な問題ではなく、安全保障の観点からも重要である。なぜなら、言語は国家の主権に直結する要素だからだ。歴史を振り返れば、植民地支配を受けた国々の多くは、支配国の言語を強制されることでアイデンティティを失い、結果として独立を維持するのが困難になった。日本はそうした歴史を経験していないため、言語の重要性についての意識が薄いかもしれないが、他国の事例を見れば、その危険性は明白だ。

日本語を公用語として維持しながら、必要に応じて英語を学ぶというのが、最も現実的で賢明な選択である。英語を学ぶこと自体は否定しないし、国際社会での競争力を高めるために英語教育を強化することは重要だ。しかし、それを理由に日本語の地位を脅かすような政策を取るべきではない。

この問題に関して、日本人はもっと慎重に考えるべきだろう。特に、日本人は歴史的に「お人よし」と言われることが多く、他国からの侵略や乗っ取りのリスクを肌で感じる機会が少なかった。そのため、「英語があれば便利だから」「グローバル化だから」といった安易な理由で、日本語の公用語としての地位を脅かすような議論が出てくるのかもしれない。しかし、言語を軽視することは、国の文化や伝統、さらには国家の存続そのものを危険にさらす行為であるということを認識しなければならない。

今後、日本がどのような方向に進むべきかを考える上で、言語の問題は避けて通れない重要なテーマである。日本語を守ることが、日本の独立と文化を守ることにつながるという視点を持ち、軽々しく「英語を公用語にしよう」といった議論を進めるべきではない。

日本語を大切にし、これからの時代に向けて、日本の文化を次世代に継承していくことが、国としての繁栄につながるはずだ。

執筆:編集部B

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