中国人「もう東京には行きたくない」泣く子どもをにらみつける日本人の“異常な冷静さ

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dメニューニュースによると…

中国のSNS・小紅書(RED)に25日、東京の電車内で見た「騒ぐ子ども」への視線に関する動画が投稿され、注目を集めている。

子どもと一緒に東京に1カ月滞在しているという女性は、「(東京滞在は)もう十分」と語り、前日に電車内で見た光景について説明した。

女性は「たぶん米国人の観光客だと思うけど、両親が3人の子どもを連れて電車に乗ってきた。子どもは幼くて、4〜5歳くらい。すごく興奮していて声が少し大きかった。親も注意はしていたけど、そうは言っても子どもは子どもでしょう? そうしたら、周囲(の乗客)が白い目で見ていた。誰も何も言わなかったけど、ずっと白い目でその子たちを見ていた」とした。

そして、「次の駅でベビーカーを押した日本人の母親が乗ってきた。その(ベビーカーの)子は乗ってくる前からもう大泣き状態で、車内に大きな泣き声が響き渡っていた。でも、その子をじろりと見たり、不快そうな表情をする人は誰もいなかった。まるで誰も、何も聞こえていないみたいに」と回想し、「これを何というか。ダブスタ(ダブルスタンダード)です」と指摘した。

[全文は引用元へ…]

中国のSNS・小紅書(RED)に25日、東京の電車内で見た「騒ぐ子ども」への視線に関する動画が投稿され、注目を集めている。資料写真。

以下,Xより

ツイッター速報〜BreakingNewsさんの投稿】

引用元 https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/recordchina/business/recordchina-RC_955676?redirect=1

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みんなのコメント

  • 誰が本当に白い目で見てたかなんて、確認したわけじゃないよね
  • 視線だけで日本人全体の性格決めるのはちょっと強引すぎ
  • そもそも泣く子と騒ぐ子を一緒にしてる時点でズレてる
  • 周囲が静かにしてるからって、それが冷たいってのは思い込みでしょ
  • 「白い目だった」って、あなたの主観じゃない?
  • 誰も注意しなかったって、それむしろ優しさでは?
  • ダブスタって言いたいだけ感がすごい、根拠薄すぎる
  • こういうのって文化の違いなのに、なぜ悪意として受け取るのか謎
  • 他人がどこ見てるかなんて、エスパーじゃないとわからんわ
  • 赤ちゃんの泣き声とテンション高い子どもの声は別モンやろ
  • 自分が注目されてるって思い込みすぎてない?
  • あら探しして「やっぱり日本は…」って言いたいだけに見える
  • 何が冷たいのか具体的じゃなくてふわっとしてるよね
  • 注意しなかったのに白い目?どっちなの?って感じ
  • 旅行先でこういう感情に支配されると何も楽しめないよ
  • これってSNSで共感されるための話を作ってるようにしか見えん
  • 周囲の態度より、自分の感受性に問題あるんじゃ?
  • 日本人同士でも子どもが騒げば気まずくなるの普通だし
  • 仮に冷たい人がいたとしても、それが“日本全体”になるのはおかしい
  • 旅行客の「期待してた日本と違う」は大体こんな偏った視点から出てくる

japannewsnavi編集部Aの見解

最近、中国人観光客がSNSで投稿した「東京の電車内での体験」が話題になっているのを見て、私自身も非常に考えさせられました。その内容というのは、外国人の子どもが少し騒いだだけで周囲から白い目を向けられたのに対し、日本人の赤ちゃんが泣いていた時には誰も反応を示さなかったというものです。投稿者はこれを「ダブスタ(ダブルスタンダード)」と捉え、日本滞在に強い失望を感じたと語っていました。

この話に対して、率直に言えば「それはちょっと短絡的ではないか」と思いました。日本社会は確かに暗黙のルールが多く、それが時に外国人にとって分かりにくいものであることは否定できません。ただ、それをもってすぐに“差別”だとか“冷たい”といった判断につなげるのは早計だと感じます。

東京の電車内は、特に朝夕のラッシュ時には余裕がない空間です。子どもが騒げば、日本人であれ外国人であれ、何らかの反応があるのは自然なことでしょう。ただ、反応の出方は状況やその子どもの年齢、親の態度によっても大きく変わってくるものです。それを一面的に切り取って「日本人の冷たさ」と断定されると、違和感を覚えずにはいられません。

とはいえ、こうした声が上がってくる背景には、日本社会の“外からの人間に対する距離感”の問題があることも確かだと思います。現在、外国人観光客の受け入れが再び拡大し、労働力不足の補填として外国人労働者の受け入れも進んでいます。岸田政権下でもそうした方向性が維持されており、経済再建の文脈において“開国的な政策”が継続されるのは避けられない状況です。

しかし制度として受け入れるだけでは不十分で、実際に社会の側が多様性を許容できているかどうかが問われるフェーズに来ているのだと思います。今回のような話題は、その答えがまだ十分ではないことを示しているようにも見えます。

一方で、日本で暮らす外国人の中には、マナーや文化を丁寧に理解し、地元の人ともうまく関係を築いている人も多く存在します。逆に言えば、“まともな外国人”という存在に対して日本人は決して冷たくはない、むしろ協力的で親切な一面を見せる場面も多くあります。ですから、日本人が「外国人全体を毛嫌いしている」というような印象を広めるのは、あまりにも乱暴で誤解を生むと感じます。

実際のところ、外国人に対する態度の違いというのは、文化的摩擦の問題でもあります。日本社会は「静かに公共の場を使うこと」を美徳とする文化を持っており、それを守らないと、どうしても違和感を抱かれてしまう。それが外国人であるか否かは、本質的な要因ではないことも多いのです。

この問題をどう捉えるかは人それぞれですが、私としては「外国人だから冷たくされる」と思う前に、自分がその場に適応しようという姿勢を持つことも必要ではないかと思います。もちろん、受け入れる側も歩み寄りが必要です。双方が歩み寄る努力をしなければ、真の意味で多様性を活かした社会は成り立たないでしょう。

こういった議論になると、すぐに「日本は閉鎖的だ」といった批判が起こりがちですが、日本人の多くは「ルールを守る人には寛容で親切に接する」という価値観を持っています。それを理解しないまま日本に来る人が不満を感じるのは、少し方向が違うのではないかと感じるのです。

今後さらに外国人観光客が増え、地域によっては人口の一定割合を外国人が占めるような社会になっていく中で、日本人が問われるのは「迎える覚悟」だけでなく、「守るべき文化をどう伝えるか」だと思います。一方で、外国人側にも「郷に入っては郷に従う」という考えが必要です。互いの文化を尊重し合うという当たり前の価値観が、やや忘れられている気がしてなりません。

今回の件に限らず、日本という国が持つ独特の公共空間への感覚をもう少し外に説明していく努力が求められているのかもしれません。そして、外国人側も「この国ではこうなんだ」と受け入れる柔軟性を持つことが、より良い共生社会への一歩になると私は考えています。

執筆:編集部A

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