田原総一朗氏「首相辞めるなのデモは前代未聞だ。僕も取材に行ってみると600人くらい集まっていて、若い世代が多い事が意外だった。これだけ期待されてるのだから期待にこたえて欲しい。」

Spread the love

以下,Xより

【田原総一朗さんの投稿】

報道各社による参加人数報道(2025年7月・石破首相「辞めるなデモ」)

報道機関報じた参加者数備考
朝日新聞200人未満「参加者は200人未満」と明記。もっとも客観性のある報道。
47NEWS(神奈川新聞など)約1200人(主催者発表)主催者による数字として紹介。報道側の実数評価ではない。
女性自身(光文社)数字の記載なし「長蛇の列ができていた」という印象描写あり。人数の明示はなし。
ABEMAニュース(テレビ朝日系)数字の記載なしデモの様子を伝える報道はあるが、参加人数への言及はなし。
田原総一朗氏(ジャーナリスト)約600人(X投稿)X(旧Twitter)で「600人くらい」と個人見解を投稿。報道数値と乖離。

出典リンク一覧(メディア別)

引用元 https://x.com/namatahara/status/1948968203344118220

画像出典:中日新聞

最新記事

みんなのコメント

  • 田原総一朗も地に落ちたか…
  • 参議院選挙で投票した60,614,869人よりも、デモに参加した600人の期待にこたえろと? 民主主義や選挙を何だと思ってるんですか?
  • 何度も言うが、選挙という民主主義のシステムで示された民意は無視?
  • たかが600人、しかも素性のわからぬ人々、ほとんどがアルバイトだろうが、こんなものを取り上げるとは… いよいよ耄碌したか
  • 600人くらいも集まっていない ジジイババア外国人ばかりだった 若い世代とは“自分より若い”と言う事か? それなら若い世代と言う表現で正しいかもなあ デモは石破への期待ではなく 左にとっての石破の利用価値の問題 本心なのか皮肉なのか分からんが 本心で言っているのだとしたら 貴様ももう引退しろ
  • 期待されていないから選挙に負けたのでしょう。 こういう「声だけ大きな少数派」の主張が強引に通る状況に嫌気がさした有権者に、投票という形で意思表示されたわけで、自民党は石破総理を下ろして、もっと自分たちに投票する有権者の方を向くべき
  • ?? えっ? 耄碌してます?? 引退された方が良いかと思います…
  • 200多くても300人と信用できる方は言っていた。 600、、、田原の嘘
  • 田原さんから見たら若いかもしれないけどさ世間一般から見たら若くないですよw とりあえずご飯食べて寝ましょうね
  • そっち側だったんですね。 残念です

japannewsnavi編集部の見解

「辞めるなデモ」に見る現実と違和感

2025年7月下旬、石破首相に対して「辞めるな」と訴えるスタンディングデモが首相官邸前で行われた。政治家の退陣を求める抗議デモは珍しくないが、今回は「辞任を思いとどまってほしい」という異例の主張が前面に出た集会だったこともあり、一部メディアやSNS上で注目を集めた。

ただ、現場の実態とメディアごとの報じ方には明確な温度差があった。たとえば朝日新聞は、「デモ参加者は200人未満」と明記しており、写真から見てもこぢんまりとした規模だったことがうかがえる。これに対し、X(旧Twitter)上ではジャーナリストの田原総一朗氏が「600人くらい集まっていた」と投稿し、「若者が多く、期待されている」との持論を展開していた。しかし、この数字は他の報道と大きく食い違っており、SNS上では「なぜ人数を盛るのか」「辞めろの声は取材しないのか」といった疑問や批判が相次いだ。

さらに、47NEWS(共同通信/神奈川新聞)は、主催者発表として「約1200人が集まった」と伝えた。主催者側の数字をそのまま掲載したにすぎないが、結果的に報道各社で数字のばらつきが生まれ、見る人によって印象が大きく異なる状況となった。

このように、たった一つのデモであっても、報道や個人の発信によって人数や評価が変わることは、情報に接する側にとって混乱を招く。特に政治的な関心が高いテーマであればあるほど、冷静な視点と正確なファクトが求められる。

「期待」とは本当に支持なのか

私がこの件で特に違和感を抱いたのは、「期待されている」という言葉の使われ方だった。確かに、田原氏の言葉通り「辞めないでほしい」と考える人々がいることは事実だろう。だが、問題はその声の背景にある。SNSなどで分析されていた通り、この「辞めるなデモ」には共産党、立憲民主党、れいわ新選組などの支持層が多く関与していたという。

その事実を踏まえると、石破首相を熱心に支持しているから辞めてほしくないというよりも、自民党内でより保守的な後継候補が台頭することを望まない勢力が「現状維持」を選択肢として押している、という構図が見えてくる。つまり、“期待”という言葉は、政策や人物に対する積極的な支持ではなく、「他よりまし」という消極的選択に過ぎない可能性が高い。

実際、デモ参加者の発言を見ても、「石破さんだから期待できる」と断言する声は少なく、「高市政権になるよりは」といった比較的な意見が多く見受けられた。こうした声を根拠に「国民の期待」と総括するのは、あまりに単純すぎる。報道する側がその言葉を使う以上、少なくとも発言の出どころや政治的背景にも触れる必要があると私は思う。

また、民主主義社会において、首相が支持されているか否かを判断する最大の指標は、世論調査や選挙による評価である。限られた人数のデモをもって、広範な「国民の声」とするのは本質を見誤る危険がある。

民主主義と冷静な評価の必要性

2025年の参議院選挙には、6,061万4869人が投票した。これは紛れもなく国民の民意の反映であり、制度として担保された信頼性のある意思表示である。一方、今回のデモは、報道の中でも最も客観的とされる朝日新聞でさえ200人未満とされ、規模としても限られていた。

もちろん、少人数の声が軽視されていいわけではない。だが、だからといって、それを「国民の大きな期待」と結びつけるには明らかに無理がある。メディアの役割は、情緒に流されず、事実を丁寧に伝えることにあるはずだ。ましてや、数字の扱いを巡って報道同士が印象を大きく左右するような状況は、情報の信頼性を損ねかねない。

今回の一件を通じて、私は改めてメディアリテラシーの重要性を感じた。数字や言葉に振り回されず、その裏にある事実や文脈を冷静に読み取る力が、私たち一人ひとりに求められている。政治報道は感情に寄せすぎればプロパガンダに近づく。だからこそ、記者や解説者は、一人でも多くの読者が本質を見失わないよう努めてほしいと思う。

そして何よりも、政治家にとってもメディアにとっても、言葉の選び方には重みがある。「期待されている」といった言葉は、一度使われれば印象だけが先行し、それが事実であるかのように受け取られてしまうことがある。今後の報道では、そうした影響力を自覚し、より慎重な言葉の選択が求められると感じた。

執筆:japannewsnavi編集部

コメント

コメントする

CAPTCHA


  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る
  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る