石平氏、やっぱり日本維新の会公認候補で参議院選挙に出馬へ 石平氏「ご報告、私石平はこの度、日本維新の会公認で7月の国政選挙に出直すこととなりました」

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石平氏の X POSTによると…

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

Tokyo.Tweetさんの投稿】

引用元 https://x.com/liyonyon/status/1937297185361789311?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1937297185361789311%7Ctwgr%5E050378454333ed1645248dd79c1ce5890e83ed7e%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fanonymous-post.mobi%2Farchives%2F67927

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みんなのコメント

  • 嘘つき。 帰化議員は要らない。
  • クズ過ぎる結局利権に塗れたいだけよね
  • 単に長く議員していたいだけ。
  • はい終わった

japannewsnavi編集部Aの見解

国籍と主権を問う出馬、石平氏の再挑戦を見て考える

私が石平氏の参議院選挙への再出馬を知ったとき、まず思ったのは、「政治参加の意味をもう一度考えなければならない時代になった」ということでした。中国から来日し、帰化して日本国籍を取得した石平氏が、再び国政に挑戦する。その行動は一見すると、日本という国家に対する忠誠心の表れと捉えられるかもしれません。

掲げている政策の多くも保守的で、例えば「憲法改正」「国防の強化」「スパイ防止法の整備」「対中外交の見直し」など、日本の主権と安全保障に直結する内容が並びます。しかし、私はこのような主張をしているからといって、すぐにその人物が「国政を担うのにふさわしい」とは判断できないと考えています。

特に注目すべきは、「帰化制度の厳格化」と「大量移民の流入阻止」という政策項目です。帰化一世である石氏自身がこれを主張しているという点に、ある種の矛盾を感じざるを得ません。制度の見直しを訴えるならば、まず自らがその制度に乗って国政に関わろうとすることの妥当性について、明確に説明すべきではないかと私は感じました。

政治はただの思想競争ではなく、「誰がルールを作る側に立つべきか」を問う行為です。その重みを、制度を超えて国民は見極めなければなりません。

帰化と立候補の是非、それは日本の根幹を揺るがす議題

SNS上で「帰化一世が大量に議員になったらどうなるのか?」という問いが投げかけられているのを目にしました。私はこの問いに、非常に現実的な危機感を覚えました。日本国籍を取得したとはいえ、人生の大半を海外で過ごした人物が、日本の法律や制度の根幹を決める立場に立つことには慎重であるべきだと私は考えています。

国会議員とは、単に法律を作るだけでなく、文化・慣習・歴史的背景を踏まえて国家の方向性を決定づける責任ある立場です。その意味で、長年にわたり日本の価値観や歴史を実感として積み重ねてきた者に担われるべきだという感覚は、決して排外主義ではなく、主権国家として極めて自然な発想だと私は思います。

帰化という制度は、基本的人権の保護と国際社会との関係上、一定の柔軟性を持つ必要があるかもしれません。しかし、それと「立法府の一員として制度を作る側に立つ資格があるかどうか」は、まったく別次元の問題です。ましてや、出自にかかわらず「国益のため」と主張しながら制度改革を語る姿勢には、正直なところ、言葉と行動に齟齬があるように映ってしまいます。

繰り返しますが、私は石平氏個人の発言を否定するつもりはありません。しかし、「帰化者が議員になること自体を容認する風潮」には一度立ち止まって考える必要があると思います。国籍とは、その国の未来に対して責任を持つ資格証明であり、政治家はその「象徴」であるべきなのです。

誰を信頼して託すのか、それを問うのが民主主義の根本

石平氏の再出馬は、保守系の主張を前面に出している点では多くの有権者にとって親しみやすいかもしれません。ですが私は、「主張内容が正しいからといって、誰がそれを言っているかを無視してよい」とは思いません。政治は思想だけでなく、出自や背景も含めて評価すべき場です。

なぜなら、国家の制度は一貫性を持って運用されるべきだからです。もし一人でも前例を作れば、それは制度の境界線を曖昧にし、やがては国政を担う者の資格そのものが拡大解釈される恐れがあります。それが「一人くらいなら」と容認され続けた先に、100人、200人と帰化一世の議員が誕生したとき、日本の国会は一体誰の手にあるのか。それを真剣に問わねばならないと私は思います。

結局のところ、有権者一人ひとりが「誰を信頼し、誰に託すのか」を考えることが民主主義の根幹です。主張の内容だけでなく、誰がその発言をしているのか、どのような歴史や文化的素養を持っているのか――そうした視点こそが、健全な国政の土台をつくると私は信じています。

今回の選挙を通じて、改めて「国籍と主権は切り離せない」という原点に立ち返るべき時期が来ていると強く感じました。個人の信念よりも制度の健全性を重視すべき場面に、私たちは今、直面しているのではないでしょうか。

執筆:編集部A

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