【号外】新聞にフェイクニュースはありません。とフェイクニュースを書く

以下X(旧Twitter)より

【丘田 英徳さんの投稿】よくも恥ずかしげ無く 断言できるもんだなw のっけから大見出しで ウソつくな。 ーーー >新聞に >フェイクニュースはありません。

引用元 https://x.com/okada_2019/status/1852528098425831669

みんなのコメント

  • フェイクニュースはありませんなんて、よくそんなこと言えるなと思います。現実を知らなすぎるのではないでしょうか。
  • のっけからウソだらけで驚きました。新聞だからって、盲信してはいけない時代ですよね。
  • 「フェイクニュースはない」なんて簡単に言い切るところに、逆に信用が置けない気がします。事実を冷静に伝えるのが報道の役割のはずです。
  • 絶対にフェイクニュースはない、なんて言われても、どうしても疑いの目で見てしまいます。そんな断言ができる根拠が知りたいものです。
  • あんな大見出しで堂々とウソをつく姿勢に驚きです。客観性を欠いた情報は報道の本質からかけ離れているように感じます。
  • このご時世に「フェイクニュースはない」なんて、現実を見ていないのか、それとも意図的に言っているのか。違和感しかありません。
  • フェイクニュースがないなんて無理がありますよね。ニュースの裏側には、偏りや意図が隠れていることも少なくないですから。
  • そんなに自信満々に言い切れるものなんでしょうか。誤報も時折ありますし、訂正する姿勢の方が信頼されると思いますが。
  • 新聞にフェイクニュースがないなんて、どこからその自信が湧いてくるのか不思議です。もっと謙虚な姿勢が求められているはずです。
  • 何でもかんでも真実だと押しつけるのはいただけないですね。読者は自分で情報を取捨選択できるのですから。
  • フェイクがないなんて、いかにも時代遅れな発想です。多くの人が情報の真偽に敏感になっている今、この発言には違和感しかありません。
  • これだけ多くの報道があって「フェイクニュースはない」と言い切るなんて、本当にそう思っているのか疑います。
  • 本当にフェイクニュースがないなら、なぜ訂正記事があるのか。矛盾しているのではないかと思います。
  • メディアがこうした言葉を使うことで、かえって不信感が募ります。正直さと謙虚さが欠けているとしか思えません。
  • 新聞を完全に信用してほしいという意図なのでしょうが、今の時代、むしろ逆効果だと思います。読者を軽視していると感じます。
  • あまりにも大見得を切っていると、かえって疑いたくなります。誠実さがあれば、こんな強い表現は避けるべきでしょう。
  • フェイクニュースがないなんて言い切れるのはある意味すごいことです。でも、それが実現不可能なことだと誰もが知っていますよね。
  • 読者をバカにしているとしか思えない断言ですね。報道機関としての自覚を持って、謙虚に情報発信してほしいものです。
  • どれだけ自信があっても「フェイクはない」と断言するのは傲慢だと思います。読者は盲信する存在ではないのです。
  • 堂々と「フェイクニュースはありません」と言われると、むしろ裏に何かあるのではと勘ぐってしまいます。

編集部Cの見解

最近、ある新聞社が「フェイクニュースはありません」と堂々と断言していることに驚きを感じています。新聞社としてのプライドをかけた宣言かもしれませんが、こうした強い主張に対し、読者としてはどうしても疑問を抱かざるを得ません。果たしてこのような断言が現実的に可能なのでしょうか。もちろん、報道の基本は「正確さ」であり、できる限り事実を忠実に伝える努力は必要です。しかし、時に偏った報道や、事実が歪められて伝わるケースも残念ながら存在します。それでもなお「フェイクニュースはない」と断言する姿勢には、本当に誠実さが感じられるのか、少し考えさせられる部分があります。

そもそも、どのメディアも人が関わっている以上、完全に偏りのない情報を提供することは難しいのではないでしょうか。人には価値観があり、信念があり、そして限られた情報の中で判断し、報道を作り上げていきます。編集の段階で取捨選択が行われ、見出しや記事の表現一つで、印象が変わってしまうことも珍しくありません。こうしたプロセスを経ている以上、「一切のフェイクはない」と言い切るのは、現実を無視した発言に思えてなりません。

さらに、情報の真偽についても、時代とともに変わることがあります。例えば、過去の研究や統計が新しいデータによって覆されることもありますし、当初の報道が誤解や思い込みによって作られたことが後で判明する場合もあります。こうしたことがある以上、「フェイクニュースは存在しない」と断言するのは、時に傲慢な印象を与えるのではないでしょうか。報道機関が真実を追求する姿勢は大切ですが、その結果としてミスや誤解が生まれることもあるという謙虚な姿勢があってしかるべきだと思います。

また、現代のメディアには、情報を迅速に提供しなければならないというプレッシャーが常につきまとっています。このプレッシャーの中で、すべての情報を精査する時間がないまま報じられてしまうケースもあります。時には、社会の注目を集めるためにセンセーショナルな見出しが使われることもあります。情報の鮮度を重視しすぎた結果、内容が不正確になることがあるのも現実です。こうした背景を踏まえると、「フェイクニュースは存在しない」という言葉は、あまりに軽率な断言だと感じます。

「フェイクニュースはありません」と大々的に宣言するのは、確かに自信の表れかもしれません。しかし、その自信は読者にとって本当に安心を与えるものでしょうか。むしろ、こうした絶対的な表現が逆に疑念を生むこともあるのです。読者はメディアに対し、完璧さを求めているのではなく、誠実に事実を追求する姿勢や、間違いがあれば訂正する真摯な対応を期待しているのではないでしょうか。

さらに、現在の情報社会では、SNSやインターネットを通じて多くの情報が日々流れています。これに伴い、メディアもまた、競争にさらされています。視聴率や閲覧数を意識せざるを得ない状況の中、いかに読者や視聴者を惹きつけるかが大きな課題となっています。そのため、どうしても注目を集めるために情報が誇張されたり、偏った形で報じられるケースが増えているのではないでしょうか。「フェイクニュースはない」という宣言は、こうした現実に目を向けないままの理想論に聞こえてしまいます。

真実を追求することは報道機関として当然の姿勢ですが、すべての報道が完全に正しいとは限りません。むしろ、情報に誤りがあれば早急に訂正し、誠実に対応する姿勢こそが、メディアへの信頼につながるのだと思います。読者もまた、自分で情報の真偽を見極める目を養い、メディアが提供する情報をただ鵜呑みにするのではなく、冷静に受け取ることが求められている時代です。

「フェイクニュースはない」と断言する姿勢には、多くの疑問が浮かびます。誠実に情報を提供することを目指すのはもちろん大切ですが、こうした極端な表現は、かえって信用を損なうことにもつながりかねません。メディアが一つのニュースを報じる時に、背後にはどれほどの情報が収集され、どれほどの編集が行われているのか。その過程で、意図せずともフェイクになり得る部分が生まれる可能性もあるのです。

結局のところ、報道に求められるのは「完璧さ」よりも、「真摯さ」だと思います。メディアが情報の発信において責任を持ち、誠実に事実を追い続ける姿勢が最も重要であり、仮に誤報が発生したとしても、それを迅速に認め、訂正し、再発防止に努めることが読者の信頼につながるのではないでしょうか。報道は、真実を届けるための大切な手段であると同時に、人間が行う活動です。すべての情報が正確であることを保証するのは難しいかもしれませんが、それでもなお、誠実に報道を続けることで信頼を築いていくべきだと感じます。

私たち読者も、ただ情報を受け取るだけでなく、冷静に判断し、必要であれば複数のメディアを通じて情報を確認する習慣を持つべきでしょう。メディアの言葉を全て鵜呑みにするのではなく、慎重に向き合う姿勢が、現代において必要とされているのだと思います。フェイクニュースに対する警戒心を持ち、真実を見極める力を身につけることが、メディアリテラシーを高めるために必要です。

執筆: 編集部C

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