人口減少・少子高齢化に伴い、「移民」政策の必要が叫ばれて久しいニッポン。しかしこの島国で、「多文化共生」は実現できるものなのだろうか。今月、埼玉県川口市の市長が法務省の政務官と意見を交わし、在留資格がなく、入管の許可を得て一時的に地域で暮らすことができる「仮放免」のクルド人を巡る問題について意見交換を実施。クルド人が多く生活する川口市では喫緊の課題となっていることが分かるが、果たしてクルド人問題の実態とは――。ノンフィクション作家の西牟田靖氏が、近年クルド人が急増している埼玉県川口市周辺を取材した。
【衝撃の証拠写真】「これで崩れ落ちないのが不思議」 埼玉で問題の「恐怖のクルドカー」
「十分気を付けて。見つかったらワッと囲まれます!」 バーの建物や、オーナーの名前であろうアルファベットが彫られたコンクリート板を撮っていると、松浦洋之・川口市議にくぎを刺された。一帯はよくある庶民的な住宅街。中南米のスラム街のような荒んだ雰囲気はない。公道から写真を撮っているだけでなぜそんなに警戒しなければいけないのか。僕は首をかしげた。
暴動が起き、救急の受け入れが5時間半ストップ
2023年の春ごろから、埼玉県は川口市を中心とした地区で、クルド系の住民と地元住民とのあつれきが話題になっている。例えば、改造車による爆音や危険運転、コンビニ前でのたむろ、見境のないナンパ、違法駐車といった、クルド系住民の迷惑行為が主な理由だ。そして7月には県南部の中核医療施設の前で約100人が集まる暴動が起こり、救急の受け入れが5時間半ストップする事態に発展。「もう我慢できない」と地元の人たちがSNSで怒りの声を上げるようになった。
「そのうちリビングに突っ込んでくるんじゃないかって…」
その後、松浦市議が毎晩午後10時ごろから事務所の周辺をパトロールしていることを知った。そこでお願いして参加させてもらうことにした。JR蕨駅から北東に2キロほど離れた地区を松浦市議のほか、地元の中年男性お二人と共に実情を教えていただきながら歩いた。このあたりはクルド人がもっとも多く住んでいる一帯。体感では行き交う人の2人に1人ぐらいが中東系だろうか。庶民的な住宅街で外国人をこれだけたくさん見かけるというのは不思議だ。彼らは、数人で公園のベンチに座りひそひそ声で静かに酒を飲んでいたり、コンビニの前に座りこんで長電話していたりしている。…と思えば、クルド人らしきローティーンの男女が爆音ホーンを鳴らしながら自転車で通りがかったり、遠くの方でタイヤがアスファルトとこすれる音がギギギギーと響いたり。同行のKさんがため息をついた。「ウチの前でもよく急ブレーキをかけてます。そのうち1階リビングに突っ込んできて妻子が大けがするんじゃないかと思うと気が気でありません」
「SNSで告発しているのは被害を受けた人」
日付が変わった深夜、改めて一人で歩いたが、コンビニの前で3人のクルド人が静かに酒を飲んでいるだけ。一方、頻繁に見かけたのは、埼玉県警のパトカーだった。 川口市議会の6月定例会に自民党議員団が提出し採択された「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」の効果なのだろう。この意見書は、〈一部の外国人は(中略)人身、物損事故を多く発生させ、死亡事故も起こしており、看過できない状況が続いている〉〈窃盗、傷害などの犯罪も見過ごすことはできない〉とし、当局に犯罪の取り締まりの強化を要望するもの。採択後、県警はパトロールを強化しているのだ。
結局、その夜は迷惑行為を目撃することはなかった。後日、改めてKさんに問うと、「クルド人の迷惑行為をSNSで告発している人たち。それは僕を含め何らかの被害を受けている人だと思います。被害を受けていない人たちがわざわざクルド人について関心を抱き、発信する理由がありませんから。でも僕のように問題視し告発する人はどんどん増えていますよ」と答えた。依然としてこの街で何かが起こっていることは間違いない。
「昔のクルド人の印象は…」
荒川を隔てて南は東京都という川口市は埼玉県最南部の街。ベッドタウンとして人気で人口約60万人。うち外国人は約4万人で全国市区町村一の比率である。 クルド人とは中東のトルコやイラン、イラク、シリア等に住む“国を持たない”民族。日本に在留しているのはほとんどがトルコ国籍だ。 この地にクルド人が住み始めたのは1990年前後で、94年には10人ほどに過ぎなかった。もともと川口に住んでいたイラン系のクルド人を頼ってきたのが始まりで、彼らが親族を呼び寄せ、90年代後半には200~300人に増加していったらしい。
当時、住んでいたのは働き手となる男性ばかり。生まれも育ちもこの一帯という奥富精一市議が当時のことを回想してくれた。「難民として逃れてきたクルド人が近所にいて、解体屋で頑張っておられました。すごく真面目で、一生懸命働く。それがクルド人の印象でした」 なぜ解体業なのか。
「汚いし大変だということで日本人が敬遠した。そんなときクルド人が解体業に就いたんです。彼らは力持ちだし真面目。日本人親方からすると大助かり。そんな彼らが日本人親方のもとで仕事を学んで、独立していったんです」(松浦市議)それから20年余りがたち、今や2千人以上と10倍近くに急増した。
難民申請のカラクリ
きっかけは2010年、入管当局が難民申請後、6カ月たてば一律に就労を認める運用を開始したことだ(現在、この措置は廃止)。約30年、クルド人を支援してきた松澤秀延氏は言う。
「クルド人は観光目的という体で入国し難民申請します。入国時に難民申請をすると入国拒否か入管施設に収容されてしまうので3カ月は観光ビザで在留して、2~3カ月以内にビザ変更のために難民申請します。難民審査は数年かかります。数年後に『1回目の難民不認定』になってもそれまでの間は特定活動の資格を更新し続けて在留できますから、子ども・母親・父親で家族一緒の生活ができます。その審査を繰り返すことで5年~10年特定活動ビザで就労が可能です。そうしたカラクリが“日本に行けば仕事ができる”というように現地にいるクルド人に伝わり、家族を呼び寄せたりして人口が爆発的に増えていく原因となりました。彼らには子どもが3~4人いますから1世帯あたり3倍4倍と増え、15年までに人口約2千人にまで増えたんです」
クルド人が定住し始めた90年代は人数が少なかったため、文化の差異によるトラブルがあっても、直面するのは不動産屋や同じ集合住宅に住む人ぐらいのもので、地域の人たちが相対する場面は少なかった。 しかし、彼らが次から次へと家族を呼び寄せ人口が増えれば増えるほど、あつれきが多く生じるようになった。特に15年ごろからは深刻なトラブルが頻発し、23年になって我慢の限界を超えたと感じる地元住民が急増、同時多発的に声を上げ始めた――ということらしい。(全文は引用元へ…)
引用元 https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05060559/?all=1&page=3
みんなのコメント
- もう遥か昔、「○ルドの星」って漫画があって、そうなのかで知ってはいた。で、アフガンにおける対タリバンに名前が出てきたりで、ちょくちょく名前が出てきてたが、ここまで増えてることには驚いた。自分たちの言い分通らないと暴れるイメージしかない
- 国を持てないのにはちゃんと理由があると言う事
- 半島人は日本国をターゲットにしているが、クルド人は周囲の個人までターゲットにしているだけに危険極まりないな
- クルド人のビザ免除を停止するべき
- 繁殖力が半端ないのでたまに空爆が必要なのかと察したんで母国へお帰り頂こうよ
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