アグネス・チャン「行く度に遺書を書いている」ユニセフ活動で紛争地にも…「こういう活動をして死んだら本望」[スポーツ報知]

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スポーツ報知の記事によると…

アグネス・チャン「行く度に遺書を書いている」ユニセフ活動で紛争地にも…「こういう活動をして死んだら本望」

歌手のアグネス・チャンが8月20日に古希を迎えた。17歳で香港から来日し、「ひなげしの花」で鮮烈なデビューを飾った。歌手として成功した一方、乳がんを乗り越え、日本ユニセフ協会大使として世界20か国以上を訪問するなど、ボランティアにも積極的だ。今年の誕生日には、著書「70歳、ひなげしはなぜ枯れない」を発売。心身ともに健やかに、前向きに過ごすための秘けつを語った。(有野 博幸)

(略)

 歌手として成功してからも「何のために歌っているんだろう」と悩むことがあった。「自分だけでなく、人のために何かできないか」と考えると、視界がクリアとなった。

ボランティア活動に力を注ぐようになり、日本ユニセフ協会大使として飢餓に苦しむアフリカ諸国やイラクなどの紛争地にも足を運んできた。「行く度に遺書を書いているんです。よく『怖くないですか?』と聞かれますけど、こういう活動をして死んだら本望。悔いはないです

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【スポーツ報知さんの投稿】

引用元 https://hochi.news/articles/20250905-OHT1T51248.html

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みんなのコメント

  • どうでもいいけど日本人騙すなよ
  • D東郷氏の仕事対象にはまだなっていないみたいですねって、あのねぇ…
  • どうぞ、ご自由に あそばせ 誰も、止めません ことよ
  • 紛争と言う金儲け
  • ならテレビなんて出ていないで活動してろ! 『私ユニセフの活動に協力してます』 ってポーズのためにマスコミ利用するな!!
  • ナイスジョークwww
  • ユニセフとは協力関係があるだけの民間団体だもんな。 ユニセフの名前を使って募金を集めるビジネスで、豪邸建てたアグネスさんね。
  • 写真のチョイスが良いですね〜、寄付金で贅沢してますね〜
  • めちゃ嘘つきだな

japannewsnavi編集部の見解

アグネス・チャンの歩みと古希を迎えた現在

歌手のアグネス・チャンが今年の八月二十日で七十歳を迎えました。十七歳のときに香港から日本に渡り、「ひなげしの花」で華々しくデビュー。その清楚な姿と透き通る歌声で、瞬く間にトップアイドルとしての地位を確立しました。当時の日本は高度経済成長期であり、アグネスはミニスカートと白いハイソックスをトレードマークに、多くの若者を魅了しました。デビュー翌年には早くも紅白歌合戦に初出場を果たし、芸能界での存在感を確固たるものにしました。

ただ、彼女は歌手としての成功だけに留まりませんでした。学業にも力を入れ、上智大学を経てカナダ・トロント大学で社会児童心理学を学び、さらにアメリカ・スタンフォード大学で教育学博士号を取得。幅広い視野を持ち、テレビのバラエティー番組でも自然体の明るさで親しまれました。家庭では三人の息子を育て上げ、全員がスタンフォード大学に進学。子育てにおいて「比べない」「勉強を強制しない」という方針を貫き、穏やかな教育観を実践しました。今では孫も生まれ、喜びにあふれる生活を送っています。

ボランティア活動と病との闘い

アグネス・チャンのもう一つの顔はボランティア活動家です。日本ユニセフ協会大使として二十か国以上を訪問し、飢餓や貧困に苦しむ地域、さらには紛争地と呼ばれる場所にも足を運んできました。自身が語るように、現地へ行く際には毎回遺書を書くほどの覚悟を持って臨んできたといいます。実際に危険地帯での活動については「安全の確保された場所で撮影が行われているのではないか」という批判的な見方も一部には存在します。移動や宿泊にかかる資金が寄付金から充てられているのではないかとの指摘もあり、「ユニセフといっても、日本ユニセフは別組織であり、中抜きが多いのではないか」という声も少なくありません。募金をためらう人がいるのも事実です。

一方で、彼女自身の生き方に深い影響を与えたのが五十代での乳がん罹患です。幸い早期発見であったため、手術と放射線治療、ホルモン治療を経て回復しました。現在も定期的に健診を受け続けています。この経験から「生きていることは当たり前ではない」と考えるようになり、一日一日を感謝して過ごし、やりたいことを早めに実行するようになったと語っています。困難を前向きに受け止め、自らの活動に力を注ぐ姿勢は、多くの人に勇気を与えてきました。

日本での生活と今後の展望

来日から半世紀以上が経ち、日本はアグネスにとって「第二のふるさと」となりました。香港への電話が一か月に一度、わずか三分しかできなかった時代に渡辺晋氏の家に住み、日本の食事や文化に親しみながら生活を築いてきました。焼き鳥やお好み焼きといった庶民的な料理が寂しさを和らげ、やがて日本文化そのものを深く愛するようになりました。海外を知ることで「日本のレストランはどこに入ってもそれなりにおいしい」「四季の美しさや礼儀正しさは世界に誇れる財産」と、日本の魅力を再認識したと語っています。

古希を迎えた今も健康で、旺盛な好奇心を失っていません。これからは「一人旅にも挑戦したい」「世界中のギョーザを食べ比べてみたい」とユーモラスな夢も語っています。教育者としての視点、ボランティアに取り組む姿勢、そして家庭を大切にする生き方は、多くの人々に学びと刺激を与えています。批判や疑念が寄せられる一方で、彼女が持つ前向きさと飾らない人柄は、世代を超えて共感を呼び続けているといえるでしょう。

執筆:japannewsnavi編集部

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