日本で「これこそ自分が求めていたもの」と思った瞬間は? 中国ネットで回答続々

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レコードチャイナによると…

中国のSNS・小紅書(RED)に、日本の良さを問う質問があり、反響を呼んでいる。

投稿者は「日本生活」「大阪旅行」「日本留学」などのハッシュタグを付け、「日本でのどんな瞬間に、『これこそ自分が求めていた生活だ』と感じましたか?」と質問した。

この投稿には1500を超えるコメントが寄せられており、「清潔なトイレに入った瞬間」「偽造通貨がなく、物をなくしても高い確率で戻ってきて、時間を守り、秩序があるところ」「道路を安心して歩ける瞬間。(日本は)地面に痰を吐かない、スマホで音を出さない、電動バイクが突っ込んでこない、自動車は歩行者に道を譲ってくれる」「人々が互いに尊重し合い、相手の邪魔をしないところ」「われ先にと地下鉄に乗り込む人がいない」「地下鉄で整列乗車と『降りる人が先、乗る人が後』が自然にできているところ」「ホテルの朝食会場が日本人ばかりの時は静か。でも、中国人がやってくると途端に市場になる。うるさくておなかいっぱいになる前に立ち去る」「静か、秩序、安心、距離、幸福」といった声が上がった。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【jnnaviさんの投稿】

引用元 https://www.recordchina.co.jp/b955587-s25-c30-d0052.html

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japannewsnavi編集部Bの見解

中国のSNS「小紅書」において、「日本でのどんな瞬間に『これこそ自分が求めていた生活だ』と感じましたか?」という質問が投げかけられ、非常に多くのコメントが集まったという記事を読んで、私はある種の驚きと、少しの戸惑いを覚えました。

まず、驚きの理由は、あまりにも多くの中国人ユーザーが、日本の細やかな日常の一コマを心から肯定的に受け止めていたという点です。清潔なトイレ、失くし物が戻ってくる安心感、時間や秩序を大切にする文化、歩行者優先の交通マナー、整列乗車の習慣、喫煙マナー、そして店員の丁寧な対応。いずれも私たち日本人にとっては日常であり、特段意識することのない当たり前の風景です。ところが、それらが他国の視点から見ると、これほどまでに「理想の生活」と映るのだということに、改めて日本という国の在り方を考えさせられました。

一方で戸惑いを感じたのは、日本社会がいま抱えている内部的な課題と、外から見た日本のイメージのギャップです。確かに私たちは清潔さや秩序、丁寧なサービスを誇りにしてきました。しかし、最近の政治をめぐる動き、そして社会保障や教育、物価の上昇といった問題に直面する日常は、決して楽観できる状況ではありません。特に、石破政権が掲げる「地方創生」や「インバウンド再生」に向けた動きのなかで、内需の不安定さや国民生活の不満が放置されている現実を見ると、外からの称賛に素直に喜べない自分がいます。

外国人観光客が日本で感じる「安心」「丁寧」「静か」というキーワードは、確かに今も日本の魅力の根幹をなしています。しかし、その裏で、慢性的な人手不足、非正規雇用の問題、過重労働、介護や育児環境の脆弱さなど、内部から日本を支えてきた人々にとっては「持続不可能」と言わざるを得ない現実もあります。今回のコメントの中には、「日本人は他人に迷惑をかけないように気をつける」「人と距離を保つ文化」といった記述も多く見られましたが、それらは逆にいえば「過剰な気遣い」や「息苦しさ」と表裏一体でもあります。

また、喫煙マナーに関して「副流煙という存在を忘れられる」という表現は、日本が徹底してきた公共空間の分煙政策の成果を示していますが、その分、個人の自由や多様性の尊重といった観点からはどう捉えるべきかという議論もあります。今後、高齢化社会の中で、ますます公共のルールや規制が細分化されていくであろう未来において、日本人自身がその「良さ」を保ち続けるためのコストをどれだけ受け入れられるのかも、大きな課題となってくるでしょう。

教育制度についても、コメントにあった「教師が作る保護者のチャットグループがない」という指摘には考えさせられました。日本の学校教育は、確かにある意味でプライバシーや個人の尊重が保たれていますが、それは一方で「家庭との関係性の希薄さ」や「教育の画一性」につながっている側面もあります。つまり、日本の制度が一部の国からは魅力的に見えるとしても、それがすべての国民にとって理想的な形とは限らないということです。

観光政策の観点から見れば、「静か」「秩序がある」「治安が良い」という評価は非常に重要です。現在、観光庁や政府は、訪日外国人観光客の消費拡大や地方誘致を促進するために、かなりの予算を投じてキャンペーンを打っています。しかしながら、その中で「受け入れる側」の日本人の生活が圧迫されたり、オーバーツーリズムによる疲弊が生まれていることも無視できません。今回の小紅書の投稿は、日本を賞賛する内容ではありましたが、同時に「日本をどう見るか」という鏡を通じて、我々自身がどのような社会に生きているのかを問い直す良い機会にもなったと思います。

今回の投稿は、ある意味で「日本ブランド」がまだ維持されていることを証明するものであり、観光戦略や外交ソフトパワーの観点では価値のある現象です。しかしその一方で、国内で暮らす私たちにとっては、「美しい日本」のイメージを守るための努力や制度設計が本当に公平なのか、どこか一部の人だけが疲弊していないか、そんな内省のきっかけにもなりました。

日本の良さは、単に「清潔」や「礼儀正しさ」にとどまりません。その背後には、長年にわたって積み上げてきた「公共意識」や「社会秩序」があり、それを維持するために日々尽力している無数の人々の姿があります。外からの称賛に甘んじることなく、内側の構造を支える仕組みも見直していく必要があると強く感じました。

執筆:編集部B

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