【北海道姉妹凍死】死の前に3回生活保護窓口訪れ、門前払いされていた

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月刊SPAによると…

【北海道姉妹凍死】死の前に3回生活保護窓口訪れ、門前払いされていた

―[本当は[厳しい冷たい]日本の生活保護制度]―

◆最後の頼みの生活保護を受けられず、死に至るケースも

今年1月、札幌市白石区のマンションの一室で、遺体で発見された40代の姉妹は、生活保護申請が認められず窮乏を極めて亡くなった。姉の佐野湖末枝さん(42歳)は失業中で昨年末に病死(脳内血腫)しており、知的障害のある妹の恵さん(40歳)は姉の死後に凍死したとみられている。料金滞納で電気・ガスも止められ、冷蔵庫の中は空っぽだった。

 湖末枝さんは体調不良に苦しみながら就職活動や妹の世話をし、3度にわたって白石区役所に窮状を訴えていた。ところが、最後の頼みの綱の生活保護を受けることができなかったのだ。

(略)

◆ 「生活保護を受けられない」と思い込まされた

なぜ姉妹は生活保護を受けられなかったのか。白石区役所は「(本人が)申請の意思を示さなかった」と釈明している。

「困窮している人なら一定の条件で『無差別平等』に生活保護を受ける権利がありますし、誰でも無条件に申請できます。ですが、区役所の担当者がそのことを本人に知らせたようには思えません。最後の相談(3回目)のときには、保護の要件として『懸命なる求職活動』が必要なことや、『家賃が高い』ことを伝えています。しかし、これらは申請の条件ではないのです。3回も相談に行っていることや困窮の程度から見ても、姉に申請の意思があったことは明らか。『自分は生活保護を受けられない』と思い込まされてしまい、申請を諦めたものと思われます」

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

一華さんの投稿】

引用元 https://nikkan-spa.jp/231222

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みんなのコメント

  • かなり昔の記事ですね。当時は臨時職員が、窓口で追い返すor諦めさせる のが役所の[最優先]の仕事でした。この事件のお蔭で父は特養に入所、私も仕事に復帰し共倒れを免れました…忘れてはならない事件です。
  • 若い男性の付き添いがいるとだいぶ違うと昔に聞きました。芋づる式に何人もの手続きに付き合ったという知人もいます
  • 外国人に手厚くした結果が招いた悲劇っ🌀( ´△`)
  • 寒い地方の寒さって誰もが命の危険を感じてるはず  せめて石油ストーブとか 心配して配給してあげたり出来たと思う 今でも同じような方がいらっしゃらないのかと案じてしまいます
  • これは酷いぞ
  • これは…😰
  • がいこくじんには、そく受理するのにさ!
  • 地元です。障害のある妹さんをお姉さんの収入だけで面倒を見ていたのに申請受け入れされずお亡くなりになったんです。
  • クルド人には38万も出すくせにこれ一般企業なら社長記者会見モンやろ
  • 電気、ガスの早収料金、遅収料金 検針日の翌日から20日以内に支払う料金が早収料金。早収期間経過後に支払う場合の料金が遅収料金。遅収料金は早収料金を3%割増ししたもの。ガス止められ、電気止められ、生活保護を3度求めるも申請書渡されず。2012年1月20日札幌市白石区姉妹凍死事件
  • 日本では最近、生活保護、奨学金など、日本人が蔑ろにされているような気がする そも「相互主義の原則」から外れてるのに 外国人「生活保護ください」 国「人道的配慮!」「相互扶助!」 日本人「人道的配慮をお願いします」 国「日本人はダメ」 ひどすぎる…💦
  • 家賃が高い場合は保護費範囲内の所に引越す支援(契約、引越代など)をしてくれるし、自治体の説明不足ですね。ウチの地域の保護課はどうやって保護できるか考えてくれたな。
  • 🌱こんな悲劇があっていいんですか!
  • これ覚えてる。酷いなぁと当時思った。ずいぶん昔の記事だけどその頃から外国人には生活保護が下りるのにって話はあった。
  • 生活保護申請は誰でも出来、窓口では受け取らなければいけない。合否わからんが、窓口で拒否はできんよ。
  • 一方、中国人が入国一か月目に生活保護申請。狂っとるよな。
  • ありえん‼️
  • これが真実 税金払う意味なし 払えば払うほど 外国人が潤い 日本人は疲弊する これが今の 自民公明+立憲維新中心の 日本政府と財務省の現実 財務省🤣🤣🤣
  • 業務上過失致死ちゃうんか???
  • 北海道でマジやばいな 昔からこうなのか?

japannewsnavi編集部Aの見解

日本で起きた「見殺し」の現実をどう受け止めるか

報道を見たとき、胸が締め付けられるような思いでした。札幌市白石区の集合住宅で発見された姉妹の遺体。その背景にあるのは、困窮の果てに追い詰められた末の死という、あまりにも悲しすぎる現実です。姉は失業と病に苦しみ、妹は知的障害を抱えながら姉に依存して生きていたといいます。生活保護制度という、困窮者にとって最後のセーフティネットに何度も助けを求めたにもかかわらず、それを跳ね除けられた末の死でした。

私が特に衝撃を受けたのは、3度も区役所を訪れて相談していたにもかかわらず、「申請の意思を示さなかった」という理由で支援が受けられなかったという点です。本来、生活保護は“無差別平等”の原則に基づき、困窮していれば誰にでも認められる権利であるはずです。しかし、現場では今なお「水際作戦」と呼ばれる申請阻止の実態が存在していると聞きます。

電気もガスも止められ、冷蔵庫は空っぽ。それでもなお、制度の壁に阻まれて命が救われなかったという事実は、日本社会が抱える「見捨てられる人々」の存在を明確に示しています。これは一個人の不運や失敗で片づけるべき話ではなく、制度と運用、そして政治の責任であると強く思います。

制度のはずが“心理的圧力”で奪われる権利

このケースで何より深刻なのは、制度の存在があったにもかかわらず、それを「利用できない」と思い込まされたことです。申請を拒まれたのではなく、自分が申請資格を持っていないと思わされた。それがどれほど残酷なことか、想像に難くありません。

私たちはとかく、「生活保護=税金で食べる」という偏見を抱きがちです。しかし、今回のように、制度を本当に必要としている人が、誤解と対応の冷たさによって排除されてしまうようなことがあれば、それはもはや制度とは呼べないでしょう。

担当者の対応も問題だったと感じざるを得ません。パンの缶詰を渡すほどの非常事態と認識していたにもかかわらず、なぜ正式な保護手続きへの誘導がなされなかったのか。求職活動や家賃の話をしたということですが、それは申請を拒む理由にはならないはずです。

ここで思うのは、生活保護制度の「利用しにくさ」こそが制度崩壊の始まりであるということです。真面目に生きてきた人が、いざというときに頼れない制度は、単なる紙の上の理想でしかありません。本当に必要な人が助けを受けられないのであれば、その制度は存在している意味を失ってしまうのです。

救えたはずの命が失われたことの重み

生活保護制度は、憲法25条に基づいた生存権の保障であり、国民一人ひとりにとって“命をつなぐ最後の砦”です。にもかかわらず、行政現場では「自己責任」として切り捨てられる場面が少なくありません。今回の姉妹の死も、その延長線上にあるものだと思います。

「厳しい状態」と認識していたなら、なぜ積極的なフォローがなされなかったのか。自宅で倒れていた姉を救急車で何度も助けを呼ぼうとした記録が、妹の携帯に残されていたという話を聞き、胸が詰まりました。助けを求める声は届いていたのに、制度の冷たさがそれを遮った。これが先進国の福祉制度の実態だとは思いたくありません。

私は、このような事例を他人事にしてはいけないと感じています。社会全体が高齢化し、非正規雇用や障害、孤独など、誰もが困窮に転落する可能性を持っている時代です。生活保護の制度設計を見直すことはもちろん、現場の対応や運用も徹底的に改善する必要があると思います。

最後に、今回の件が報道によって広まり、制度への信頼を回復する一歩になることを願ってやみません。そして、もう二度と「助けを求めたのに間に合わなかった」という命を見過ごさないよう、政治と行政には最大限の責任と行動を求めたいと強く思います。

執筆:編集部A

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