【X民】日本国民のことを「人民」と呼んだ政治家がいた。日頃使っている馴染みの言葉がつい出てしまったのね。モロバレじゃん。

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以下,Xより

月のうさぎさんの投稿】

引用元 https://x.com/xu3f8wi1csm5hq2/status/1921125676435783765?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • 近年は、「国民の国民による国民のための政治」と訳す例も多くなってきているそうです(Grok調べ)
  • お疲れ様です♪日本語おかしいですよね。その他の香ばしい議員様のプロフ見たり動画も拝見しましたけどやはり日本語は私達は日頃、普通に話してますけどあちらの方々には難しいのかもしれませんね。『生き心地の良い街』とか『手当』をテトウと言ったり。
  • 同感します。 バレバレ
  • リンカーンのファンなのかもしれない
  • 「市民」と呼ぶのも違和感だらけ 「国民」か「住民」でしょう?
  • さも自分が中共の一員かのような物言いで不快です、漢民族からしたら日本人政治家などただの飼い犬くらいにしか考えていないのに。
  • 日本国民の事を「人民」、日本の警察の事を「公安」と呼ぶ政治家は、個人的に信用しない事にしています。
  • 日本人の事、普段から人民扱いにしてたんでしょうね 占領するためのスパイ
  • あと、やたらと市民という人も在コ、 韓国帰化日本人が多い。 一つの国になりえてないから国民という意識が出来ないのかと。 南北統一、2つの中国
  • 日本軍は人民を助けない←毛沢東【日本軍のお陰で權力奪取が出来た、日本軍無くして不可能だった】と同じ支那の人民毛沢東閣下の日本軍への称贊言葉である、 我々としても日本軍無くして日本は守れぬと考へておる。
  • 人民共和国の人?帰化人ね。
  • れいわ・社民・立民最左派(旧社会党最左派)はガチ。 巧妙に立ち回る日共と違い、あいつらは最早隠す気もないからな。
  • 中国と新左翼しか使いませんから
  • 日本人だったら絶対言わないww
  • ほんま大椿は日本から出て韓国でも中国でも行ってくれ!
  • そんな政治家にも その政治家が属する政党にも 税金が使われるのに 納得出來ません!
  • 日本は人民共和国じゃないのにね。
  • あれ、政治家の肩書を拾っただけのヘンなおばさんだよ。
  • 知ってるよ。 いつも首の皮1枚でなかなか消えない無駄に税金使う反日発言しかしない政治家

japannewsnavi編集部Aの見解

「人民」という言葉に潜む政治家の本音

最近耳を疑うような発言を目にしました。ある政治家が国会の場で、日本国民を「人民」と呼んだというのです。正直に言えば、最初はただの言い間違いかと思ったのですが、調べていくうちに、単なる言葉のミスでは済まされないような背景が見えてきた気がします。

「人民」という言葉は、歴史的にも思想的にも重い意味を持っています。日本ではあまり使われない表現であり、どちらかといえば特定のイデオロギーに根差した体制や国で多用される印象があります。私たちは普段、「国民」と呼ばれることに何の違和感もありません。なぜなら、それがこの国の文化的にも法制度的にも正しい呼び方だからです。

それなのに、わざわざ「人民」という言葉が口をついて出たということは、日頃からそうした言い回しを使い慣れているという証拠なのではないでしょうか。言葉には人の本音や思想が表れます。「うっかり出た」ものほど、その人の本質を露呈するものだと私は考えます。

もちろん、政治家にも言い間違いや失言はあるでしょう。ただし、今回はその範囲を超えているように感じられます。なぜなら、国民の代表であるはずの人が、日本人を表す言葉として「人民」という別の価値観を象徴する言葉を自然に口にしたからです。

日本の政治に必要なのは「国民感覚」

私は今回の件を通して、改めて政治家と国民の距離感を考えさせられました。言葉はただのツールではなく、そこに思想や価値観がしっかりと宿るものです。政治家が無意識のうちに発する言葉が、その人の立場や信念、果ては政党の方向性までも如実に表すことがあるという事実を、私たちはもっと真剣に捉えるべきです。

特にこの「人民」という言葉には、言論の自由や個人の尊重とは別のベクトルの思想が色濃く感じられます。自由主義とは対極にある、集団主義的で管理統制された政治観が透けて見えてしまうのです。そうした思想を日頃から口にしている人が、日本という民主国家の中枢にいるということに対して、強い違和感を抱かずにはいられません。

政治家は、日本国憲法のもとに国民のために奉仕する立場です。その大前提として、「国民」という言葉を使うのは当然のことです。それをわざわざ、あるいはうっかりとはいえ「人民」と言ってしまうことは、政治家としての資質を疑われても仕方がないでしょう。

日本人の多くが日々の暮らしの中で政治に関心を持てないのは、こうした“ズレ”が蓄積しているからなのかもしれません。本来、国民の声を代弁するはずの政治家が、どこか遠い思想の中で生きているような言動を繰り返せば、信頼は薄れて当然です。私たちには、それを見逃さず、言論の自由のもとにしっかりと意見を表明していく責任があると思います。

表現の端々ににじむ政治思想を見極める時代へ

今回のような「うっかり発言」は、笑い話で済ませるべきものではありません。むしろ、政治家の発言一つひとつに注意を払い、その背景にどんな思想があるのかを見抜く力が、今の私たち国民には求められているのではないでしょうか。

政治は目に見える政策だけでなく、その土台にある思想や言論の姿勢によって大きく方向づけられます。だからこそ、一つの言葉に込められた意味を私たちは真剣に受け止めるべきなのです。「人民」という言葉に、なぜ私たちが違和感を覚えるのか。それは、そこに自由の感覚がないからではないでしょうか。

もちろん、すべての発言を揚げ足取りのように批判するのは生産的ではありません。ただし、今回のように象徴的な用語が使われた場合には、その意図や背景を慎重に検討する必要があります。政治家は言葉を武器にしてきた職業です。その言葉に無頓着であることは、もはや言い訳にはならないと思います。

私は、こうした小さな違和感を見過ごさずに、選挙や日常の政治参加の中で意思表示をしていきたいと改めて感じました。思想の自由はあっても、それをどう表現するかは社会的責任を伴うはずです。日本人としての感覚を大切にしながら、これからの政治を見つめていくことが大切だと感じました。

執筆:編集部A

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