【X民】外国人が優遇されて日本人は我慢する。今の日本を象徴するような場面に遭遇した。

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以下,Xより

穂積茂行さんの投稿】

引用元 https://x.com/shigeyuki696/status/1906154605865832904?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • なんかグルジア大使の時と同じ流れっぽいかんじに(´・ω・)
  • 他の席が空いてなくてどうしても座りたかったら私は割り込みますw
  • 最悪ですね
  • 座席の柄と被ってる方に目がいく
  • 詰めてもらえますか?と言いながら座ってます。
  • よく見る光景だ
  • 最近電車の中で平気で大きな声でずっと電話してる外国人を見て結構モヤモヤしてるんだけど、英語が上手く話せないから言うに言えない。 やっぱり注意する英語力はつけたいなぁ、と思う今日この頃。
  • 別に優先されるべきかたがいなければ座っていい席だからなあ…お子さんが疲れて横になりたいというのであれば靴を脱いでいるならセーフでは そもそも「優先席」の文字を読めない気も。 というか電車の席は国籍による優先度はないので外国の方が座っているからといって優遇ではない
  • 注意して詰めてもらっても、座る勇気は無い
  • 大阪京都でしょちゅう見る光景
  • 体調悪いの??ここは優先席だから、立てるなら立とう!!って言えばいいよ、でも言えないよね。私も言えない。だからダメなんだよ。
  • 悪い事を悪いと指摘できなくなったってのはよく分かる なんていうか明日は我が身って考えるからなんだろうけど注意し、注意されることは仕方ないんだけど
  • 子供がめちゃくちゃカメラ目線なのが気になるw
  • これ流石にさぁ…マナーの問題だよ
  • 日本に来て数年になるのか 来たばかりなのか… 何れにしても何も学ぶ気がないか、日本壊しに来てるのかのどちらかでしょうね。 本当に腹立たしい画像です!
  • 外国人は「優先席」という意味がわからなくて子持ちだからということで座ってる可能性ありますが、 意味がわかってるはずの日本人の若くて健康そうなやつが優先席に座りまくってる現状を憂うるほうがいいんじゃないですかね
  • これはどんどん注意していいと思う。 ひとりが注意すれば、周囲の人も目覚めていく。 「日本人」という集団になることも時には必要だし、ここは日本だからね
  • こう言うのを見るたびに外国人が嫌いになります
  • 南インドの方ですね。在日のインドの方は英語ができるので、Priority Seatは読めていると思います。その上で「子連れだから自分たちは優先席に座る人に該当する」と判断されたのかもしれません。お年寄りが来れば譲ってくれそうに思いますが。こちらで生活しているインドの方は弁えてる方が多いですよ
  • 都内の電車で外国人観光客がズラっと座ってる光景よく見かけます。 旅でお疲れかな?って思うので気にしてません。 最近の電車、シートに南京虫居るらしいので座らないようにしてますし

japannewsnavi編集部Aの見解

Xで投稿されたある1枚の写真が、私の目に留まりました。優先席に座っている家族連れの様子が写されたもので、そこには子どもが横になり、大人が寄り添うように座っている姿が映っていました。正直、その様子に少し驚きと戸惑いを覚えました。車内では、立っている乗客も多く、その光景との対比がどうしても目についたのです。

もちろん、事情があるのかもしれません。お子さんの体調が悪かったのかもしれないし、長旅で疲れ切っていたのかもしれない。そう思って見守る一方で、「公共の場」という意識がどれほど共有されているのだろうか、という疑問もまた湧いてきたのです。

日本の公共交通機関は、世界でも有数の秩序と静けさを誇る空間です。車内では携帯電話の使用を控え、会話も小声で。席を譲り合い、無駄にスペースを占有しないことが、長年の習慣として根付いています。そうしたルールは、明文化されているわけではありませんが、「公共マナー」として多くの日本人が自然に身につけているものです。

しかし近年、訪日外国人の増加や国際化の進展により、その空間にも多様な価値観が入り込むようになってきました。もちろん、多くの訪問者が日本のマナーを尊重して行動しているのは事実です。それでも、文化や常識の違いからか、公共の場での振る舞いに差が生じることもあります。

今回のような場面に遭遇すると、戸惑いを覚える人がいるのも無理はありません。「自分だったら、子どもを寝かせることはしない」「疲れていてもスペースは遠慮する」という日本人の感覚からすれば、車内で子どもが席に横になる姿は、非常に目立ってしまうのです。

ただし、ここで大切なのは、一方的に「良い・悪い」を断じることではありません。むしろ、こうした場面をきっかけに、「公共空間とはどうあるべきか」「配慮とは何か」という視点を社会全体で改めて考える必要があると感じました。

公共マナーというものは、強制力のあるルールではなく、互いの気遣いによって成り立つ“見えない契約”のようなものです。だからこそ、押しつけにならず、しかし譲れない一線は保たなければならない。そのバランスこそが、安心できる社会の土台になるのではないでしょうか。

今の日本では、「郷に入っては郷に従え」という考え方が徐々に薄れつつあるように思います。グローバル化が進む中、多様性を尊重することはもちろん大切です。ただ、その一方で、「多様性」という言葉のもとに、既存の秩序やマナーがないがしろにされてはいないか、という懸念も拭えません。

多文化共生を掲げるのであれば、お互いの違いを知り、歩み寄る努力が必要です。それは外国人だけでなく、我々日本人の側にも求められる姿勢です。寛容さを持ちつつも、「ここではこうしてほしい」という意思を丁寧に伝える手段や環境も必要なのです。

実際、駅や車内のマナー表示も多言語化が進み、ピクトグラム(絵文字)などでの案内も増えました。こうした取り組みは、単なる案内以上に、日本の文化的な価値観を共有する第一歩になります。もっと言えば、マナーとは「こうすれば日本人は不快に思わない」という文化の翻訳でもあるのです。

私たちは日々、公共空間で多くの見知らぬ人と時間を共有しています。その中で、他人を不快にさせないこと、必要以上に空間を占有しないこと、声のボリュームや態度に気をつけること。これらは全て、「自分さえ良ければいい」という考えを戒めるための、社会的な知恵なのだと思います。

今回の出来事に感じたモヤモヤは、決して「誰かを排除したい」という気持ちから生まれたものではありません。むしろ、「せっかく日本に来てくれているのだから、気持ちよく過ごしてほしい」「だけど、お互いに少しずつ配慮できたら、もっとよくなるのに」という願いに近いのです。

そのためにも、公共マナーについての情報発信は、観光ガイドや留学生の手引きだけでなく、地域社会や教育現場でも、もっと丁寧に行っていく必要があると思います。マナーとは一朝一夕で身につくものではなく、日々の繰り返しの中で育つ文化だからです。

今後、ますます多くの国籍の人々が日本に訪れ、暮らす時代になっていくことは間違いありません。その中で、私たちは「多様性と調和」という難題に直面し続けることになるでしょう。しかし、だからこそ、譲り合いと敬意をもって、ひとつの社会空間をともに育てていく責任があるのだと思います。

今回の電車の中での光景は、小さな一場面かもしれません。しかし、それを通して考えるべきことは決して小さくありません。日本がこれからも心地よい社会であり続けるために、何を守り、何を伝えていくべきか。そんなことを、あらためて考えさせられました。

執筆:編集部A

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