【大阪弁護士会】被告の手錠・腰縄は「自尊心を傷つけ、羞恥心を抱かせ、周囲に有罪との印象を与える」深刻な人権問題として使用中止を要求

Spread the love

朝日新聞によると…

手錠・腰縄姿を「さらすな」 弁護士会が初の決議「深刻な人権問題」

 大阪弁護士会は、刑事裁判の法廷内で被告に手錠や腰縄をつけないよう国や裁判所に求める決議をした。

「自尊心を傷つけ、羞恥(しゅうち)心を抱かせるだけでなく、周囲に有罪との印象を与える」と指摘し、深刻な人権問題だと訴えた。

 11日付。弁護士会としての決議は全国で初めてとみられる。

(略)

 これまで問題視されてこなかったが、大阪弁護士会は2017年4月、全国に先駆けてこの問題に取り組むプロジェクトチーム(PT)を立ち上げ、傍聴人にはその姿を見せない運用が定着している欧州や韓国など海外事例の調査や、裁判所に配慮を求める申し入れを続けてきた。

(略)

 PTメンバーで原告代理人を務めた田中俊弁護士は「弁護人の目の前で人権侵害行為が行われている現状を正すためには、裁判所に指摘し続けないといけない。弁護士から大きな潮流を起こしていきたい」と話す。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【朝日新聞大阪社会部•NW報道本部【公式】さんの投稿】

引用元 https://www.asahi.com/articles/AST3T32JBT3TPTIL003M.html

最新記事

みんなのコメント

  • 加害者にsympathyを持つ弁護士の心理って、どうやったら教育できるの?
  • 犯罪者だ 国民は「さらせ」これが抑止になる 犯罪者の言葉をよく聞け 「やってもわからない」だ 
  • とうとうこの国でも人権の重さが“犯罪者>被害者”になりつつあるな
  • 逮捕のニュースだけで犯人確定みたいなはき違えをしてる低知能がいるからな こういうのは大事
  • その間に逃走したら責任は刑務官にある。そして処分受ける。開廷後は扉出入り出来ない様に施錠しなくては
  • 被告の人権って言うけどさ、被害者の人権はどこ行ったの?そっちは完全に無視されてるようにしか見えないんだけど。
  • 手錠や腰縄が恥ずかしいなら、そもそも犯罪なんて犯さなければいい話。起訴されてる時点で普通の人じゃないでしょ。
  • 弁護士会ってほんとズレてるわ。犯罪者側のことばっかり守って、社会全体の安心感なんて完全に置き去りじゃん。
  • こんなのが人権問題とか言い出すから、まともな議論ができなくなる。やたらと権利だけ主張する風潮、いい加減にしてほしい。
  • 裁判の場なんだから、被告がどういう立場なのか分かるようにするのは当然でしょ。演出じゃなくて現実を見せるべき。
  • 家族が事件の被害に遭って、加害者が堂々と出てきたらどう思うか。その気持ちを想像すらしないのが異常だよ。
  • 刑事訴訟法をどう読もうが、手錠姿が見えるくらいで人権侵害って言われてもね。国民感情をもっと考えてほしい。
  • 被告に配慮しろって言うくせに、傍聴人や国民の知る権利については何も言わない。どっちが偏ってるんだよ。
  • そもそも犯罪を犯しておいて、自尊心とか羞恥心とか言ってる場合じゃないだろ。順番が逆なんだよ。
  • また弁護士会が余計なこと言ってるって感じ。世の中の空気とどんどんズレていってることに気づかないのかな。
  • 裁判所が見せないようにしてる国もあるっていうけど、だから日本もそうするべきって話にはならないだろ。

japannewsnavi編集部Bの見解

被告の手錠・腰縄姿が“人権問題”だという主張に違和感

私は、大阪弁護士会が行った「被告に手錠や腰縄をつけた姿を傍聴人に見せるな」という決議に対して、率直に言って大きな違和感を覚えています。人権という言葉が乱用されていないか、本当に守られるべきものは何なのかを、今一度問い直す必要があると強く感じました。

まず、刑事裁判の被告とは、法的に起訴された人物であり、一定の犯罪に関与したとされている立場です。もちろん、判決が確定するまでは無罪推定が原則ですから、過剰な扱いや差別的な取扱いは避けるべきだという点には同意します。しかし、裁判所での手錠・腰縄の着用が「深刻な人権侵害」だとまで言い切るのは、正直言って過剰ではないでしょうか。

本人の「自尊心」や「羞恥心」に配慮しなければならないというのであれば、そもそも起訴されるような行為をしなければよかったのでは、というのが率直な感想です。罪を犯した可能性のある人物が法廷に立つという場面において、「見た目の印象」をここまで問題視するのは、いささか本質を見誤っているように思えてなりません。

被害者の感情や社会の安心はどこへ行ったのか

さらに言えば、今回のような議論で常に置き去りにされるのが、被害者やその家族の感情です。加害者側の「人権」ばかりが声高に叫ばれ、被害に遭った側の心情はどこまで考慮されているのでしょうか。

自分の家族が被害に遭い、被告が堂々と法廷に現れ、手錠や腰縄を外された状態で“まっさらな姿”で法廷に立っているのを見たら、どう感じるでしょうか。形式的には「まだ有罪ではない」という立場かもしれませんが、被害者にとっては既に人生を傷つけられた後です。そうした感情を無視してまで、加害者側の「羞恥心」や「尊厳」に過度に配慮することが、果たして正義と言えるのでしょうか。

日本の司法制度においては、国民の信頼が重要な土台です。その信頼を築くには、国民が「きちんと裁かれている」という安心感を持てることが不可欠です。それを「見た目が可哀そうだから」といった理由で制限するのは、むしろ国民感情からの乖離を深めることにつながりかねません。

弁護士会の主張に見る思想的な偏り

今回の大阪弁護士会の決議には、法的な正当性よりも思想的な傾向が見え隠れしているように感じました。長年、「加害者の人権」を強調してきた一部の法曹界の姿勢は、善悪の判断が曖昧になり、結果として“犯罪者に優しい社会”を作ってしまっているのではないかと危惧しています。

そもそも、公判廷における身体拘束が刑事訴訟法で禁じられていることは当然理解しています。しかし、それをどう解釈するか、どこまで運用として配慮すべきかは、現場の治安や安全の問題と並行して考えるべきです。今回の決議では、「公衆にみだりにさらされるのは違法だ」という訴えが強調されていますが、それがそのまま社会全体の利益に適っているのか、冷静な検証が必要です。

法廷は見せ物ではありませんが、同時に密室でもあってはなりません。司法が開かれたものである以上、国民がその過程を適切に見届ける権利もあるはずです。あまりにも配慮ばかりが先行し、犯罪者の「見た目」にさえ気を使わなければならない時代になったとしたら、それこそが日本の刑事司法の危機なのではないかと感じます。

私は、この問題に対して現実的で冷静な議論が行われることを強く望みます。法のもとで守られるべきは、まず社会の秩序と安全、そして被害者の尊厳です。

執筆:編集部B

コメント

コメントする

CAPTCHA


  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る
  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る