【慶応・阪井准教授】選択的夫婦別姓は子どもにもメリット多い。反対派の論理は、はっきり言って破綻している。

毎日新聞によると…

選択的夫婦別姓制度導入をめぐる議論では、「夫婦が別姓を選ぶことによってどちらかの親と別姓になると、子どもがかわいそう」などという反対意見がみられる。しかし、そうした主張は、はたして現実的なのか。国内外の家族法制とその影響に詳しい、慶応大・阪井裕一郎准教授(家族社会学)に聞いた。

 ――まず、「子どもがかわいそう」という主張に対し、どう受け止めていますか。

 ◆はっきり言ってしまえば、反対派の論理は破綻している。事実婚や子連れ再婚、国際結婚などで親と子の名字が違う家庭は既に多くあり、そうした親子への侮辱でもある。また、夫婦が子どもを持つことを前提にした論法であり、論理的には子どものいない夫婦については別姓を認めるべきだと主張しなくてはならない。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

小坂実さんの投稿】

きけ、庶民の声さんの投稿】

思考が粗雑になったのか、左翼がよく使う詭弁論法なのか分かりませんが。その詭弁も低レベル。やはり、学者を含めて、いわゆるエリート層の質の低下は否めないようです。「有識者会議」などの出席者も学歴だけで、思想的偏向はさておき、ある者は専門バカ、ある者は基本的知識不足で知性もない者たちの集まりで「知」の冒涜とさえ思える位です。哲学がない現代社会の代表者でしょう。思考の限界範囲が「今」と、合理社会に縮小していて、その彼方にある人間の精神性は見えないし、時間軸の広がりもないようです。まさしく「知」の退化が進んでいると思います。

引用元 https://mainichi.jp/articles/20250304/k00/00m/040/275000c

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みんなのコメント

  • こんなに感情的に否定しなくてもいいのでは?冷静に議論すればいいのに
  • 親子別姓が当たり前だと言うなら、なぜ今の制度でほとんどの人が改姓しているのか説明してほしい
  • 伝統を変えるなら慎重な議論が必要なのに、反対意見を一方的に「破綻」と決めつけるのはおかしい
  • 家族制度の崩壊を懸念する人の気持ちも考えずに、頭ごなしに否定するのは不誠実だ
  • 夫婦別姓を望む人のために法律を変えるなら、それによって生じる影響を徹底的に議論すべき
  • 「子どもがかわいそう」という意見を侮辱と決めつけるのは、ただの感情論では?
  • 日本の家族制度を欧米と同じにする必要はないし、日本には日本の価値観がある
  • 「夫婦別姓が選べないのはおかしい」と言う人は、なぜ多くの国民が改姓を選んでいるのか考えたことあるのか
  • 子どもが親の姓と違うことで社会的な不利益を被る可能性を無視してはいけない
  • 改姓が嫌なら事実婚という選択肢もあるのに、なぜ法律を変えなければならないのか
  • 親子の姓がバラバラになることで家族の絆が薄れることを懸念するのは当然のこと
  • 家族の在り方を勝手に変えて社会実験するのはやめてほしい
  • 伝統的な家族観を持つ人を時代遅れ扱いするのは、あまりにも傲慢
  • 外国の制度を持ち出して「日本もこうするべき」と言うのは乱暴すぎる
  • 家族の形は人それぞれだが、国の制度として何が最も安定するかを考えなければならない
  • 反対派の意見を頭ごなしに否定するのではなく、もっと丁寧に議論するべき
  • 夫婦別姓を認めることが本当に社会のためになるのか、冷静に議論してほしい
  • 選択的夫婦別姓を導入した国で家族制度が崩壊した例もあるのに、なぜそれを無視するのか
  • 「反対する人は差別的」とレッテルを貼るのは、建設的な議論とは言えない
  • 日本の家族制度を守ることがそんなに悪いことなのか、もう一度考えてほしい

japannewsnavi編集部Aの見解

【選択的夫婦別姓をめぐる議論と阪井准教授の発言への違和感】

近年、日本では「選択的夫婦別姓」制度の導入をめぐる議論が活発になっている。賛成派・反対派ともに様々な主張を展開しているが、慶応義塾大学の阪井裕一郎准教授(家族社会学)が「反対派の論理は破綻している」と発言し、議論を呼んでいる。

阪井氏は、選択的夫婦別姓に反対する意見の中で「親子の名字が異なると、子どもがかわいそう」という主張に対して、「事実婚や子連れ再婚、国際結婚などで親子の名字が違う家庭はすでに多く存在している」と指摘。さらに「そうした親子への侮辱である」とし、選択的夫婦別姓が社会にとってメリットが多いと主張した。しかし、この発言には多くの違和感がある。

■ 反対派の懸念を「侮辱」と断じる恫喝的な姿勢

まず、「親子の名字が異なることによる子どもへの影響」を懸念する人々の意見を、事実婚や国際結婚の家庭と同列に語り、「それは侮辱だ」と断じるのは、議論の進め方として極めて恫喝的に映る。事実婚や国際結婚は、特殊な事情を持つ家庭であり、日本のほとんどの家庭が当てはまるわけではない。こうした例外的なケースを引き合いに出して、「親子別姓に反対する人の意見は間違っている」と決めつけるのは、極めて乱暴な議論の展開ではないか。

そもそも、選択的夫婦別姓制度の導入をめぐる議論の根底には、日本社会の伝統や家族の一体感、子どもの健全な成長など、多くの価値観が関わっている。親子が同じ姓を持つことが家族の絆を深めると考える人がいるのは、決して非合理なことではない。それにも関わらず、阪井氏の発言は、そうした意見を「侮辱」と切り捨てることで、議論の余地を封じるかのような印象を与える。

■ 親子別姓の影響を軽視する姿勢

選択的夫婦別姓の問題を考える上で特に重要なのは、「親子別姓が人格形成期の子どもにどのような影響を及ぼすか」という点である。

子どもは、幼少期から思春期にかけて、家庭の中で自己認識を形成していく。この時期に、親子の姓が異なることで、子どもがアイデンティティの混乱を経験する可能性は決して低くない。「親の名字が違うことを周囲から指摘される」「家族の一体感が感じられない」「自分は本当にこの家庭の一員なのかと不安になる」といった心理的な負担が生じることは十分にあり得る。

もちろん、事実婚や国際結婚の家庭では、すでに親子で姓が異なる場合がある。しかし、そうしたケースは個別の事情によるものであり、すべての家庭に適用できるものではない。「すでに存在するから問題ない」という論理で、親子別姓の懸念を一括りに否定するのは、あまりにも短絡的ではないか。

■ 結婚時の改姓と親子別姓の問題を混同する論理

また、阪井氏の発言には、「選択的夫婦別姓を認めないことは、日本中で家族の絆を絶つことと同じ」という主張が含まれている。しかし、これは明らかに論理の飛躍だ。

現行の制度では、結婚すると夫婦はどちらかの姓を選ぶ必要がある。しかし、それは「実家の姓を捨てる」という意味ではない。結婚によって苗字が変わることと、親子の姓が異なることは、まったく別の問題である。

親子別姓の場合、家庭の中で「父親の姓」「母親の姓」「子どもの姓」が混在するケースが増える可能性がある。これは、日本の社会において家族制度の基本的な枠組みを揺るがすものであり、決して単純な話ではない。

阪井氏は、こうした点について十分な議論を行わず、「夫婦が別姓を選ぶことは当然であり、それに反対する人の意見は破綻している」と結論付けている。しかし、家族制度は国民の価値観と密接に関わるものであり、一部の学者が独断で「正しい」と決めつけるべきものではない。

■ 伝統的な家族観を否定することが「正義」なのか

近年、日本の伝統的な価値観を軽視し、欧米的な価値観をそのまま持ち込む風潮が強まっている。しかし、日本には日本の家族観があり、それを守ろうとする意見があるのは当然だ。

例えば、フランスやドイツでは選択的夫婦別姓が認められているが、それは彼らの文化・歴史に根差したものであり、日本の家族制度とは背景が異なる。だからこそ、日本でも導入すべきだという論理は成立しない。

さらに言えば、欧米諸国でも選択的夫婦別姓を導入した結果、家庭崩壊の問題が指摘されているケースもある。親子の絆が希薄になり、家族制度が弱体化することで、社会全体の秩序に影響を及ぼすことが懸念されているのだ。

■ 冷静な議論を求める

選択的夫婦別姓の是非をめぐる議論は、今後も続くだろう。しかし、議論を進める上で重要なのは、冷静で建設的な意見交換である。

反対意見を感情的に切り捨てたり、学者の立場を利用して一方的な主張を押し付けたりすることは、議論の深化を妨げる。国民の価値観や家族制度の重要性を十分に考慮した上で、慎重な議論が求められる。

選択的夫婦別姓が本当に社会にとってプラスとなるのか、それとも伝統的な家族制度の崩壊につながるのか。感情論に流されることなく、より多くの国民が納得できる形で議論を進めるべきではないか。

執筆:編集部A

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