【甲子園】開星の野々村監督が広陵問題に言及 過熱したSNS誹謗中傷に「陰から言うのは卑怯、名を名乗れと」[スポーツ報知]

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スポーツ報知の記事によると…

【甲子園】開星の野々村監督が広陵問題に言及 過熱したSNS誹謗中傷に「陰から言うのは卑怯、名を名乗れと」

◆第107回全国高校野球選手権大会第9日 ▽2回戦 仙台育英6―2開星(14日・甲子園)

 開星(島根)の野々村直通監督が14日、暴力事案などで出場辞退した広陵(広島)について言及した。

(略)

試合後に取材に応じた野々村監督は、広陵の暴力行為について問われると、「一生懸命、頑張って真面目にやっている子が一方的にリンチされる。うちは礼儀だけはするけど、上級生や下級生なし、上手や下手なし、みんな平等でって言うのがこのチームはできた。補欠に回ったからと言ってレギュラーを妬まず、上手でレギュラーだからといってバカにせず。徹底してミーティングしてきて実現してくれたチームなので。人間性ですよ、へたくそをばかにするとか、それは絶対やっちゃいけない」と話した。

また、SNS上での誹謗中傷に発展したことに対しては、「陰からものを言うのは卑怯だといつも思う。うちは匿名で手紙が来たりするけど、名を名乗れと。『我こそは出雲国の野々村であるぞ、いざ尋常に』ってね。批判をするなら出てこいと、お互いに。武士道でしょう。日本人の文化なんですよ。弱い者をいじめないとか、年寄りを大事にするとか、そこの人間性が原点でしょう」と持論を展開した。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【仕事辞太郎(住所不定無職)さんの投稿】

引用元 https://hochi.news/articles/20250814-OHT1T51067.html?mode=photo&photoid=1

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みんなのコメント

  • やはり高校野球の指導者はロクでもない奴ばかりだな。事の本質を分かってない。まず陰で暴力を振るう監督やコーチ、上級生は卑怯ではないのか?
  • 一人の生徒によってたかって暴行加えて 転校までさせたあげく隠蔽してたのは 卑怯じゃねぇのかよwwww
  • もう高校野球は、学校スポーツ(部活動)とクラブスポーツを分離・併存する時期にきてるのかも。 中学まではボーイズリーグやリトルシニア、プロ球団ジュニアなど、プロ志望者の進路が存在するのに。 高校野球は学校教育活動の原点回帰で
  • 後輩いじめ、隠蔽工作はもっと卑怯
  • 名を名乗っていないのは加害生徒なんよなぁ
  • 全員が暴力してたならまだしも、今回の広陵選手の半分以上は何もしてないはずなのに、 それをなんやかんや言われて匿名でいじられて気持ちに追い詰められたってなら、事実無根だから別の話だと思いますよ。 いじめを認定しても甲子園出場させる大人の判断の方が悪いと思います
  • 厳しいほうが、メンタル育つで
  • いや 陰から言うやつは卑怯だろ いじめをするやつは卑怯ではなく 人として終わっている 陰から言うやつは卑怯 は正しい
  • いや誹謗中傷も十分に卑怯でしょう。ちゃんと記事読みましょう
  • 「陰から言うのは卑怯、名を名乗れと」 この意識、森喜朗や橋本聖子等と同じ意識で、組織内でまかり通っている悪習が、社会全体の常識と本気で信じ込んでいる、古くから俗に云われ続けている「スポーツバ○」意識そのものですね
  • この高校の監督は言ってることはごもっともなんだけど、「いじめをする方が卑怯」という視点がない。 被害者の身になれる監督誰一人?いないのが痛い! 広陵もな、加害者が涼しい顔して甲子園出場しとるんだよ。監督も問題児みたいなものだよ。 広陵の不手際を指摘しないな
  • そんなことよりもうそろそろシリアスな攻撃的文脈で「やっぱり野球人は」とか「やっぱり外国人は」とか「やっぱり男は」という馬鹿みたいな使い方するのをやめないといかん。まとめたいならせめて「やっぱりいじめっ子は」という原因行為を限定する派生名詞による分類にしないと筋が通らん
  • 虐められたり、ハラスメントを受けた側が声を上げられないのが「いじめ」なのではないか?野々村監督は監督としては優秀だろうが、教師として「失格」だ。選手も監督も、ユニフォームを脱いでも立派な人であることが大切だと思う
  • 朝日新聞社主催ですから
  • ほな、イジメ実行犯の名前、大々的に報道してくれよ…
  • いじめ問題とこの話はまた別なんよ。 いじめてようがいじめてまいが、ネットで影から言うのは卑怯って話やろ。論点がズレてるんよな
  • 後ろ指を差されないことをしないように本来指導者は教育しなければいけないのに…

japannewsnavi編集部の見解

野々村監督の発言と広陵問題への言及

第107回全国高校野球選手権大会で仙台育英と対戦し、2回戦で敗れた開星高校の野々村直通監督が、広陵高校の暴力事件による出場辞退について取材で言及しました。記事の見出しだけを見ると強い物言いに感じられますが、全文を読むと、礼儀や人間性を重んじる姿勢が根底にあることが分かります。監督は「真面目に頑張っている選手が一方的に暴力を受けるのは許されない」とし、上下関係や実力差に関わらず、互いを尊重するチーム作りの大切さを語りました。補欠を見下さず、レギュラーを妬まない、そうした雰囲気を徹底的にミーティングで共有してきたことを強調しています。

しかし、この言葉は本来、被害者や事件と無関係な選手たちに向けられるべきであり、今回のような加害者側の不祥事が前提の場面では、また違った受け止め方が必要です。そもそも加害者がいじめを超えた、ほぼ犯罪に相当する行為をしなければ、このような問題は起こらなかったのです。暴力事件を起こしたにもかかわらず、何事もなかったかのように甲子園へ出場することに違和感を覚える人が多いのは当然でしょう。

SNS誹謗中傷と被害者の立場

野々村監督は、SNS上で広陵高校への批判が過熱したことに触れ、「陰からものを言うのは卑怯」「批判をするなら名を名乗れ」と発言しました。確かに、匿名や仮名を利用して相手を一方的に攻撃することは好ましくなく、誹謗中傷は避けられるべきです。しかし、それを強調しすぎると、被害者の存在や立場が軽視されかねません。被害者にとっては、加害者が堂々と大会に出場する様子そのものが苦痛であり、怒りの対象となります。

加えて、もしSNSという場がなければ、こうした事件は学校や関係者の間で処理され、表に出ず闇に葬られていた可能性も否定できません。SNSは確かに過剰な攻撃や感情的な発言を生みやすい反面、被害者やその周囲が声を上げられる数少ない手段でもあります。問題は使い方であり、全てを「陰からの声」として切り捨てるべきではないでしょう。

監督は「武士道」という言葉を用いて意見を述べましたが、もし本当にその精神を尊ぶならば、最初から事実を明らかにし、堂々と大会辞退を表明するのが筋だったはずです。武士道とは、名を隠して沈黙することではなく、行いに責任を持ち、公正さを貫くことにあるはずです。

部活動の在り方と今後の課題

今回の騒動は、単に一つの学校や試合の問題にとどまらず、高校や中学の部活動の在り方そのものを考えるきっかけになります。部活動は本来、競技力向上と同時に人間性を育む場であるべきですが、上下関係の固定化や閉鎖的な環境が、暴力やいじめの温床になる場合もあります。コメントの中には「学校単位の部活をやめ、地域のクラブ活動に移行すべき」という意見もありました。

もちろん、全ての部活動が問題を抱えているわけではありません。野々村監督が語った「弱い者をいじめない」「年寄りを大事にする」といった価値観は、古いと言われても守るべき基本です。しかし、それを口にする立場の人間が、加害者や事件の経緯に触れず、被害者の苦しみを置き去りにしてしまえば、その言葉の重みは失われます。

重要なのは、発言や方針が誰の立場に立っているのかを常に意識することです。加害者が事件を起こし、被害者が存在する現実を直視せずに「陰からの声」を批判するのは、一方的で不十分な見方になりかねません。今回の件は、スポーツの現場での人間性教育と透明性、そして責任の取り方を問い直す機会であると強く感じます。

執筆:japannewsnavi編集部

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