「安倍やめろと言っていた人たちが 石破やめろと言わないどころか擁護する。そういう事なんです」[一色正春さんのXより]

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以下,Xより

【一色正春さんの投稿】

引用元 https://x.com/nipponichi8/status/1948225429334032553

画像出典:東京新聞

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みんなのコメント

  • 敵の首脳が有能ならばおとしめ、無能ならば評価して持ち上げるスタイル。日本を敵国としている国々からしたらうれしい動向
  • そりゃあ操れないやつと操りやすいどっちを選ぶかだよなぁ?
  • 今回は どサヨクが有権者に支持されないことが明確になりました。 SNSのおかげだと思います。 岸田の時にも感じたがごみオールドメディアが石破批判をしないのにはワロタ
  • そしてある日を境にピタリと声が止むんです
  • リトマス試験紙になりますよね。 石破残ってと言う人は似たような人達ばかり
  • 石破がかつて安倍や麻生に選挙で負けたんだからやめろと吐いてたことを知らないのが多すぎる。 だから石破をいじめるなとか言い出す。 自分が吐いた言葉が自分に返ってきただけなんだよ
  • 分かりやすい
  • 共産党まで辞めないでって言ってるのは流石になんの冗談かと思いました
  • わかりやすいなあ
  • 優秀ってことですね!なるほど
  • つまり…そういうことですね。 答え合わせできました。 確定
  • そもそもマスコミが持ち上げた時点で怪しいわけで それを間に受ける国民がいる事もおかしい テレビは洗脳装置 洗脳得意な人たちがめちゃ関わってるじゃんね
  • 日米交渉終わったし、それ含め仕事にキリを付けてから退いてほしい(それまで続けてほしい) は石破やめるなに入りますか?
  • またまた学ばさせて頂きました
  • 「隣国からの使者が有能ならば何も与えるな。無能ならば大いに歓待せよ。 さすれば、隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚し、隣国は滅ぶ」
  • »»安倍やめろと言っていた人たちが 石破やめろと言わないどころか擁護する そういう事なんです↓↓↓ そうなんです。そういう事なんです。 反対していたのは前代未聞の総理だったから 辞めろ言わないのは、正常範囲の責任を持つ人間だから 以上でも以下でもない それだけ
  • 安倍総理をあれだけ叩きまくっていた各テレビ局やコメンテーター達が今は気持ち悪いほど石破擁護で腹が立つ 石破さんだから仕方ない、彼は疲弊してるから真っ当な思考が今できない、とかね はぁ?って思う
  • 私の記憶が確かなら、石破氏は「安倍元総理の意志を受け継ぐ」とおっしゃられたはずなんですけどね。氏の本心がどうであれ。 なのに、安倍やめろと言ってた人たちはそんな石破氏の続投を望まれるという。 謎だなー。よくわかんないなー

japannewsnavi編集部の見解

「石破やめろ」と言えない人々の矛盾

元海上保安官の一色正春氏が「安倍やめろと言っていた人たちが、石破やめろとは言わず擁護する。そういう事なんです」とXで指摘していた。私もこの発言には深く頷かざるを得なかった。確かに、安倍政権時代には「モリカケ」や「桜を見る会」などを理由に、大規模な抗議や連日の報道が繰り返されていた。その一方で、今の石破政権に対しては、政策の整合性や外交姿勢に問題があっても、批判どころか擁護が目立つ。

特に印象的だったのは、中国共産党が「石破政権を評価する」とする声明を出したという報道だ。これは日本の首相に対して、外国勢力が公然と「評価」を表明した異例の出来事であり、本来なら国会でも騒がれて当然の事案である。それにも関わらず、メディアやリベラル層は沈黙を守り、むしろ石破首相の姿勢を「柔軟な外交」として美化しているようにすら見える。

結局のところ、安倍氏には「誰がやっているか」で反発し、石破氏には「誰がやっているか」で容認する。これでは政治的な一貫性も信念もない。私から見れば、それは“政治信条”ではなく、“選別的な憎悪”に過ぎない。まさにダブルスタンダードであり、政治そのものへの不信感を育ててしまっている。

操れる相手と操れない相手の違い

ネット上の意見でも「操れない安倍氏より、操りやすい石破氏を歓迎するのは当然」といった皮肉混じりの指摘があったが、私もその通りだと思う。強い信念を持ち、ぶれずに国家観を語るリーダーは警戒され、周囲に迎合しやすい人物ほど持ち上げられる。それが現在のメディアと一部の政治勢力の構造である。

実際、安倍元総理の外交や防衛政策は、国内外で評価されてきた。もちろん完璧ではなかったが、「戦後レジームからの脱却」や「誇りある国づくり」という理念に共感した人は多かった。一方の石破首相は、かつては保守派からも期待されていたが、首相就任後は一転して外交でも経済でも“穏健すぎる”方向へ傾き、まるで別人のような印象を受ける。

こうした変節に対し、本来ならば厳しく問いただすべき立場の人々が、「いじめるな」「今は我慢のとき」などと語る姿を見るにつけ、「自分たちの都合のいい政治家なら許す」という二重基準を感じざるを得ない。

政治家が批判されるのは職責を持つ立場として当然だが、それが“誰だから”許され、“誰だから”糾弾されるという風潮こそ、健全な民主主義の脅威ではないか。私はそのように感じる。

自分が吐いた言葉は自分に返る

かつて石破氏自身が、選挙で安倍氏や麻生氏に敗れた際、「やめるべきだ」と強く批判していた事実がある。現在、彼に対して「やめろ」という声が上がると、「いじめるな」「誹謗中傷だ」と擁護する声が飛び交うが、これもまた筋が通らない話だ。

私が思うのは、政治家というのは、かつて自分が口にした言葉が、そのまま自分に跳ね返ってくる宿命にあるということだ。言論の責任、立場の重み、過去の言動への整合性。それらが求められないのであれば、政治家の信頼は一気に崩れていく。

今の石破政権には、経済でも外交でも明確な成果が見られない。減税への慎重姿勢、安全保障での曖昧な対応、外交における特定国への過剰な配慮など、課題は山積している。それにもかかわらず、野党やメディアの多くが批判を抑えているという現象は、いびつであると言わざるを得ない。

本来、政治に必要なのは「リトマス試験紙」のような色分けではなく、「事実に基づく評価」だ。国のかたちを左右するリーダーが、ただ“好かれているから擁護される”という現象は、私にはとても健全には見えない。

安倍元総理がそうであったように、たとえ厳しい目を向けられても、筋の通った信念と行動があれば支持される。今の石破政権にそれがあるかどうか、私たちは冷静に見極める必要がある。

執筆: japannewsnavi編集部

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