【速報】自民 鶴保庸介氏 参院予算委員長辞任の意向 能登発言の引責で

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記事によると…

自民 鶴保庸介氏 参院予算委員長辞任の意向 能登発言の引責で

自民党の鶴保庸介参議院予算委員長は「運のいいことに能登で地震があった」などと発言した責任をとりたいとして、予算委員長を辞任する意向を参議院自民党の幹部に伝えました。

自民党の鶴保参議院予算委員長は、今月8日、「運のいいことに能登で地震があった。緊急避難的だが、金沢にいても輪島の住民票がとれるようになっていった」などと発言しました。

[全文は引用元へ…]NHK 2025年7月12日 

以下,Xより

【NHKニュースさんの投稿】

引用元 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250712/k10014861391000.html

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みんなのコメント

  • 辞任って言うけど、結局また別の誰かが席に座るだけ。何も変わらないってこと、そろそろみんな気づいてるよな。
  • あの発言、被災地の人をなんだと思ってるの?それでいて辞任だけで終わらせるつもりなの、正直腹立つ。
  • またかよって感じ。政治家の失言で辞任とか、もうテンプレになってるけど、その度に国民が傷ついてんだよ。
  • 辞任は当然だけど、「辞めりゃいい」って空気、まじで無理。反省とか責任って、口だけだよな。
  • 予算委員長って立場であの発言は終わってる。国の金の使い道を議論する人が空気も読めないってヤバくない?
  • どうせすぐ別のポジション回されるんでしょ?この国の「辞任」ってただの椅子移動だよな。
  • 鶴保の件、あれは一人の問題じゃなくて、自民全体の空気感がもうズレてるって証拠でしょ。
  • なんでこんなに発言軽いんだろう。能登の人たち、まだ生活戻ってないのに、配慮なさすぎて怖い。
  • 最近の政治家、マジで現場感覚ゼロすぎてつらい。地に足ついてないやつばっかり偉そうにしてて嫌になる。
  • 辞任で済ませようとしてるのが透けて見えるから信じられない。辞任って便利な言葉だなほんと。
  • むしろ辞任したことすらも「美談」にしてる空気あるの、キモい。失敗のケツ拭きが評価されるってどうなの。
  • 能登の件で一番考えなきゃいけないのは被災者のことなのに、政治家のポジション取りしか話題になってない。
  • 自民党ってこういう失言があっても「またか」で終わる。つまり何も改善する気ないってこと。
  • 辞任して終わりじゃなくて、本当は議員辞職レベルでしょ。そんくらいの失言だったのに甘すぎる。
  • 予算委員長が空気読めないなら、もう誰が信用できるのか分からんわ。ほんとに終わってる。
  • 支持率落ちても自浄作用ないんだなって改めて思った。どんだけ鈍感なんだよ、今の政権。
  • 辞任って言っても「はい次ー」って人事回すだけ。反省のポーズだけで、中身ゼロのいつものやつ。
  • 政治家の言葉ってどんどん軽くなってる。それでも支持し続ける人たちがいるのも正直理解できない。
  • 発言ミスっても辞任でチャラなら、責任なんて存在しないも同然でしょ。ナメてんのか。
  • この件に限らず、今の政界って常に国民の方見てないよな。見てるのは仲間内の顔色とポジションだけ。

japannewsnavi編集部の見解

自民党の鶴保庸介参議院予算委員長が辞任の意向を示したというニュースを見て、まず感じたのは「これは当然の結果だろう」という素直な印象でした。今回の辞任の背景には、能登半島地震に関連した発言の責任があるとされています。災害被災地に関する不用意な言葉が、いかに政治家としての資質を問われるかを改めて示す形になりました。

国会議員、特に参議院の予算委員長という立場であれば、発言一つ一つが持つ影響力は非常に大きなものです。その役職に就いていればなおさら、慎重であるべきなのに、今回のような発言が公になること自体、政治に対する国民の信頼を大きく損なうものだと感じます。辞任という形でけじめをつけたこと自体は評価すべきですが、問題はそれだけでは済まされないと考えます。

能登半島地震は、多くの人の命や生活を奪い、今なお復旧・復興の途上にある深刻な災害です。そのような局面で発せられた軽率な言葉が、被災者の心にどれほどの傷を残すかを、政治家であれば当然、想像すべきでした。たとえ意図的ではなかったとしても、結果として不適切と受け止められた時点で、立場ある者としての自覚と責任が求められます。

ただし、この件について考えるとき、鶴保氏個人の資質だけを問題にして終わらせるべきではないとも思います。政治家がなぜこうした失言を繰り返すのか。それは結局、選ばれる構造や、発言に対する緊張感のなさが背景にあるのではないかという疑問が頭をよぎります。昨今、政治とカネの問題だけでなく、言葉の軽さや空気の読めなさが目立つ場面が増えており、有権者としても深く反省させられます。

また、こうした問題が起きたときに、政党としての対応が問われます。今回のように即座に責任を取り、辞任の意向を示したことは一定の誠意として受け取れます。しかし、それだけで済ませるのではなく、今後同様のことが起きないような体制づくりや意識改革が本当にできるのか、そこに注目していく必要があると感じています。

今回の騒動は、国会全体にとっても教訓となるべきです。予算委員会というのは、国の財政運営の根幹を審議する極めて重要な委員会です。そのトップに立つ人物が、国民感情への配慮を欠いた発言をするようでは、審議そのものの正当性や重みまでが損なわれかねません。委員長という役職は形式的なものではなく、信頼と責任を伴うものであるという認識が、より強く求められています。

私はこのニュースを通じて、政治家にとっての「言葉の重み」と「態度の責任」について改めて考えさせられました。誰しも人間である以上、失言や過ちをゼロにすることはできないのかもしれません。ただ、その後の対応と姿勢が、信頼回復に大きな影響を与えることは間違いありません。今回の辞任は、政治がまだ最低限のけじめを守っているという意味で、一つの救いであったとも言えるかもしれません。

とはいえ、辞任だけでは何も変わりません。政治家一人ひとりが、発言の意味、影響力、そしてそれによって傷つく人の存在を常に意識しながら行動することが、本来あるべき姿です。そして私たち有権者もまた、表面的なパフォーマンスや言葉だけでなく、その人の政治的姿勢や日頃の言動を見極める目を持たねばならないと思います。

最近の政治では、「説明責任」という言葉が軽く使われすぎている印象があります。本来の意味は、言葉の誤りを訂正することではなく、その裏にある考え方や方針をしっかりと説明し、納得してもらうということです。その場しのぎの会見や謝罪では、国民の信頼は取り戻せません。辞任後の動きこそ、本人と政党の本気度が試されるところだと感じます。

結局のところ、政治とは国民の信頼によって成り立つものであり、その信頼は日々の積み重ねでしか得られません。能登という大きな被災地に対して、軽々しく発言をしたことで、一人の議員のキャリアは大きく傷ついたわけですが、それと同時に、国民の「またか…」という失望感も強まりました。今後、こうした事例を繰り返さないためにも、もっと基本に立ち返った政治の姿勢が必要です。

一方で、このような出来事を契機に、より透明性のある政治、そして現場への理解と敬意を伴った言葉が国会内に広がっていくことを、私は強く願っています。人の言葉は人の心を表します。そして政治家の言葉は、国の姿勢そのものを示すと考えています。だからこそ、今回の件はただの辞任ではなく、より広い意味での「言葉の責任」に向き合うべき出来事だと受け止めています。

執筆:編集部A

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