【X民】今起きていることは、外国人との共生という生優しいものではなく、国家の乗っ取りです。

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以下,Xより

【湯浅忠雄さんの投稿】

引用:https://x.com/GrwaNnKqMn5nG68/status/1942537760176316902

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みんなのコメント

  • そうだ、そうだ。 多文化共生と言いかえてるだけで、 実質は国家乗っ取り、 国家滅亡、日本人絶滅。 ただの言葉の言い換えだ
  • そうです 静かな侵略です
  • その通り国土の乗っ取り、国土の喪失・中国の明確な侵略です。 中国人は日本のビル・土地家屋を買い放題、日本人は中国の土地家屋は借りるだけで買えません。土地管理は公明党大臣の国交省管掌です、中国人の日本の不動産売買規制に反対するのは公明党です。自民党との連立は百害あって一利なしです
  • しかも、一番救い難いのは、自国の行政機関が それを誘導している事。そして醜悪なのは 侵略する、自称難民が、それを当然の権利だと 思い込んで、他者の人権や財産を奪いにきて いる事です。黙示録の世界としか、言い様が無い
  • 正に国難です。日本国民は力を合わせて売国政治家達に権力を与えない様頑張る時です
  • 本当にそれ。 国家の乗っ取り、侵略です。 日本人の権利を奪われてる
  • 本当に。何か日本人がまだまだ数で優ってると思ってるのかもしれないがあっという間にその数がモノを言ってきそうで怖いよ。隣の外国人をカップルだと思ってたらあっという間に10人家族かもしれない。私の知り合いC国人ファミリーもいつのまにか本国から実母呼び寄せ同居。とにかく水源地手放すなよ
  • 共生はあくまでも日本の慣習ルールマナー遵守と治安秩序風紀を乱す事の無いが大前提・・しかし昨今の外国人によるルールマナー無視治安秩序風紀乱し我が物顔で路上闊歩する事は許し難い・・苦言を呈する日本人に対し差別ガーヘイトガー○ねガー等では共生絵空事だ思いますね
  • その通り。子供の頃から日本人を憎むように国家が洗脳した中国人と、それを独断でビザ免除して受け入れたり修学旅行へ行かせたりする政府も、どちらも侵略者。放っておけば中国人経営の会社で奴隷労働することになり、へとへとで家に帰ると家族は殺されているかも知れない
  • 既に川口市が乗っ取りの被害ですからね。早く強制帰還などの措置をしないと老若男女や小さい子供達が平和に暮らせない
  • 「多文化共生」なんて言ってるのは日本のごく一部の売国奴か偽善者さんだけであって 外国人の方はそんなこと微塵も思ってない。日本人なんてタダの阿呆なカモでしかない。 日本人は早く「外国人差別よくない」「人手不足」「インバウンド恩恵」という政府やマスコミの洗脳から抜け出してほしい
  • 日本人が乗っ取らせてるんだろ。 乗っ取る外国人の前に、 乗っ取らせる環境を作った日本人はどうするんだ?
  • 今回自民党公明立憲などの大連立をされたら日本は終わります。そのために今頑張っている。日本人やチベットにしか残らない遺伝子がなぜあるのか考えて欲しい。他民族の男は虐殺されて女は子供を産む道具にされたからですよ。日本を今そうさせたい勢力に乗っ取られていることに気づけ
  • 正に進行中!!この認識を多くの国民が肌身で感じるべき好機

japannewsnavi編集部の見解

「共生」から感じる違和感と現実のズレ

最近、「外国人との共生」という言葉が、政府や地方自治体、メディアで頻繁に使われています。表向きは多様性や寛容さを示す美しい表現に思えます。しかし私が感じるのは、その言葉の背後にある現実とのズレです。

SNS上では、「今起きているのは共生ではなく、国家の乗っ取りだ」とする意見が広がっています。一見、極端に思えるその表現も、現状を見ればあながち大袈裟ではないようにも思えてしまうのです。

かつての日本では、外国人を街中で見かけることは珍しく、それ自体がニュースになる時代もありました。今では駅、コンビニ、学校、公共施設など、あらゆる場所に外国人の姿があるのが当たり前になっています。それ自体を否定するつもりはありません。国際化の流れは止められないし、すでに私たちはその渦中にいるのです。

ただ、心のどこかで「ここは日本なのか?」と疑問に思う瞬間が増えてきたのもまた事実です。公共サービスや教育現場では、多言語対応が当たり前になり、病院や役所では外国語の通訳が常駐する自治体もあります。これは「配慮」や「おもてなし」ではなく、日本社会の構造そのものが変わりつつある兆しです。

新しい侵略のかたちとは何か

あるユーザーの言葉に、私は深く考えさせられました。

「昔は侵略が武力で行われていたが、今は手法が変わっただけで進んでいる方向は同じ」

この表現は、まさに今の日本に重なる部分があると感じます。もちろん、これは単純に外国人を敵視するものではありません。しかし、制度の設計や補助金の配分が外国人優遇になっていないか、主権を脅かす形になっていないかという観点からの問いかけであれば、それは健全な警戒心だと思います。

実際、企業や大学に対して「外国人を雇用したり受け入れたりすることで得られる補助金制度」が存在していることは事実です。たとえば、留学生の受け入れ数や国籍比率が審査に影響を与える制度があり、それが「数合わせ」になっているという指摘もあります。

本来、日本で学ぶ、あるいは働く外国人が評価されるべきはその能力や意欲であるべきです。しかし、制度の設計によって「外国人であること自体」が優遇要因になってしまっているとしたら、それはすでに歪みが始まっている証拠です。

私たちは、声高に「侵略だ」と叫ぶ前に、今この国で静かに進行している変化を正しく見つめ直す必要があると感じます。共生とは一方的に与えることではありません。文化や価値観の違いを尊重しながらも、あくまで主権を持つ日本人が主導権を持ち続ける社会でなければ、本当の意味での共生など成立しないのです。

安倍元首相と今の日本政治

もう一つ、最近強く思うのは、安倍晋三元首相の不在がもたらした政治的な空白です。安倍氏は、グローバリズムとナショナリズムの間で絶妙なバランスを取っていた人物でした。外国人労働者の受け入れ拡大にも取り組んではいましたが、それと同時に日本の伝統や安全保障に対しても配慮を怠りませんでした。

2022年に安倍氏が凶弾に倒れてから、もう3年が経ちました。しかし、容疑者の裁判は今も始まらず、山上徹也容疑者の姿も大きく変わり果てたまま、真相は語られていません。その不透明さもまた、今の日本の政治不信につながっているように思えてなりません。

あの事件をきっかけに、日本の舵取りが微妙に変化し始めたように感じています。安倍氏のもとではギリギリ踏みとどまっていた「歯止め」が、今は取り払われつつあるような空気です。移民政策にしても、安全保障にしても、経済政策にしても、どこか根本的な国益への意識が薄れてきているのではないか――そんな漠然とした不安が広がっています。

私は政治に過度な期待を抱いているわけではありません。しかし、日本という国のかたちが、ここ数年で急速に変わってきているのは確かです。そして、それが多くの国民の意志に基づくものではなく、静かに、気づかぬうちに進んでいることに、深い懸念を抱いています。

共生、国際化、多様性――いずれも否定するものではありません。ただ、それらを推進するにあたり、失ってはいけないものがあることも忘れてはならない。私はそう思います。

執筆:編集部

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