【井川 意高氏】来る参議院選挙で 立候補される有本さんそして小坂英二さんの応援演説をさせていただけることになりました

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以下,Xより

井川 意高 サブアカ改め本アカさんの投稿】

引用元 https://x.com/IkawaMototaka/status/1937390142697930759

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みんなのコメント

  • 相手を理解する男気は格好良い。
  • 絶対見に行きます
  • 良かったー😭😭😭
  • 先生方[日本]🙏 望みは捨てません🤲 応援させて頂きます[日本]🙇🤗
  • 井川意高さん、そこまでしていただけるのですね(僕は黙して語りません)。 当該応援演説、拝見しに必ず行きます。 武者震いがしてきました。 事前告知を必ずしてくださいね。 関西なんで、「今からやります」はNGですよ。 ホテルとかもとらないといけないので✌️😆
  • えーーーー 残念です😢
  • フォロー再開させて頂きます。 よろしくお願い申し上げます。
  • 笑えますねー
  • おおお! 素晴らしいです!👏
  • 一時はどうなることやらと思いましたが…とにかく良かったです!
  • ごめんなさい。 泣きそう😭 井川さんありがとうございます😭😭😭
  • ここまで修復されたとは… 恐れ入りました。 ありがとうございます井川さん。 大変失礼致しました。
  • おををを〜❣️💙❣️ なんと男前だろうか!! 出来れば全国的に(⁠ ⁠˘⁠ ⁠³⁠˘⁠)⁠♥
  • 驚愕展開!🤝🔥
  • 手前与沢さんかとオモタw
  • ネコの代わりに小坂さんがその場にいるならわかるけど… なぜネコがいるのか… それにしてもいい景色を見ながらワインですか?
  • おおお素晴らしい! ただ、もちろん全員言葉が過ぎたところは自覚されてると思いますので、節度にもよりますが、今後も御自身の正義に実直な批判には期待しております
  • こういう急展開があるから、外野は罵ってはいけませんね。 よい流れになったのなら良かったです。
  • よかったです。ほっとしました。
  • マジ井川さん😅めちゃくちゃ人集まるでしょうね!
  • グッとこらえた部分もあるのかもしれませんが、歩みよれることを期待していました。今日党員になりました!

japannewsnavi編集部Aの見解

言葉に責任を持つ人々が前に出ることの意味

私が井川意高氏の投稿を目にしたとき、単なる選挙活動の一環以上のものを感じました。それは、「言葉に責任を持つ人々」が表舞台に立ち、自らの信念を貫こうとする姿勢に対する尊敬に近い感情だったのです。井川氏は、ご自身の過去を正面から受け止めた上で、言論人・政治参加者として第二の人生を歩まれている印象があり、その姿勢には学ぶべき点があると私は思います。

今回話題になった投稿では、参議院選挙に立候補する有本香氏、そして小坂英二氏の応援演説を担当することになったと語られていました。私はこの顔ぶれを見て、「よくもここまで一貫した信念のもとに人が集まったものだ」と感じました。有本氏は保守派の論客として広く知られ、小坂氏も地方行政の場で地道な政策提言を行ってきた人物です。

それぞれが持つ社会観、歴史観、そして国家観には確固たる軸があり、それが一貫している点に私は好感を持っています。こうした人物たちが、選挙という形で政策を実現しようとする行動力は、まさに「言論の責任」を果たす行為そのものだと受け止めました。言いたいことを言うだけでは終わらない。その先に「行動」がある。この構図は、今の時代にこそ必要なのではないでしょうか。

政治参加の敷居を下げた、ある意味での健全さ

これまでの日本では、政治家と評論家は明確に分かれているという空気がありました。いわゆる「外から批判する側」と「中で動かす側」は違うという認識です。しかし、私はこの二元論はもう時代に合わないと感じています。むしろ、社会の矛盾に言及し続けてきた人こそが、その現場に入って制度を変えるべきです。

その意味で、有本氏や小坂氏のように、メディアや現場で現実に向き合ってきた人たちが政治の世界に足を踏み入れるのは健全な流れだと私は思います。それは、既得権の中で育った“職業政治家”では見落としがちな現場感覚や、一般国民の問題意識をしっかりと持っているからです。

とくに印象的だったのは、写真の中で皆がリラックスした様子で自然体で写っていることでした。どこか作為のないこの雰囲気こそ、今の有権者が求めている「誠実さ」の表れなのではないかと感じました。カメラを意識して言葉を並べるよりも、「誰と、何を、どう語ってきたか」という実績と人柄が伝わる場面だったと思います。

日本の政治に必要なのは、エリートの再生産ではありません。むしろ、民意を正面から受け止め、自分の名前と顔で責任を取れる人たちが議席を得ることです。その意味で、今回の応援演説に込められた意義は大きいと私は考えます。

応援演説が意味する「共通の土俵」での戦い

応援演説という行為は、単に候補者を褒め称えることではないと私は考えています。それは、自らの言葉と信念を共有し、候補者と同じ「土俵」に立つという覚悟の表れです。井川氏のように、一度社会の信頼を失いながらも、言論の世界で再び影響力を持ち始めている人物が応援に立つことは、候補者にとっても試金石になります。

誰の応援でも良いわけではありません。発言の重みを持つ人が応援するからこそ、その候補者の発言にも説得力が出るのです。つまり、候補者と応援者がともに「責任を共有する」という関係性があるべきだと私は思います。

今回の応援に立つ井川氏は、過去を持ちながらも、現在は独自の視点から政治・社会に切り込む存在です。こうした人物が表に立つことで、選挙そのものが「スローガンのぶつけ合い」ではなく、「信念と覚悟のぶつかり合い」へと変わっていく可能性があると私は期待しています。

何より大切なのは、国民一人ひとりが「この人の言葉には真実味がある」と感じられるかどうかです。そうした感覚が失われてしまえば、選挙はただのイベントに成り下がってしまいます。だからこそ私は、今回の応援演説を通じて、有権者の判断基準が少しでも健全な方向へと戻っていくことを願ってやみません。

政治は遠い存在ではありません。誰が語るのか、誰を支えるのか、そのすべてが社会の在り方に直結しています。だからこそ、こうした応援の場面一つひとつにも、大きな意味があるのだと私は思います。

執筆:編集部A

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