吉永さんが落選スピーチを発表、日本人に全ての責任があると主張した。

Spread the love

以下,Xより

大翻訳運動さんの投稿】

引用元 https://x.com/daihonyaku/status/1936989610950947058

最新記事

みんなのコメント

  • すげぇこのポストに当選しなかった理由が全て詰め込まれてる…
  • 迎合って、少なくとも日本では意に反して仕方なく妥協するという悪い意味だよね。本当はしたくない妥協を重ねたのに票をくれない日本人は頭が悪い? 一体どこまで傲慢なのか。こんな輩は万が一にも議員してはならない。
  • すげぇ、こんな負け犬の遠吠えを体現する人が居るとわwww
  • 迎合(自分の考えをまげても、他人の意に従って気に入られるようにすること。)だったのねω
  • 怖ッ
  • 帰化してるんならまずは日本語のフォント使えよ(名前のところのフォントね).中国語フォント使って日本語で発信する意味あるの?
  • 自分の思い通りにならんと わめき叫ぶ。
  • 300万(だったっけ?供託金)のリターンが得られない見通しになったので泣いているんだと思う。
  • まあ、もしこれがご本人のツイートだとしたら、なかなか個性的な方ですね。今回はご縁がなかったのも、なるほどと思えてきます。
  • この日本語力で行政書士って、かなり上げ底されたのでしょうか。 自分も取得したけど論文あるけどなぁ いろいろ怪しい
  • 落選してなにより。🙏
  • 迎合してもだって(笑)
  • 結果これでよかった!!と これ見てみんな思ってるんじゃないかしら?
  • 「あなたのためだから」 と言って侵略していく 本当に落ちてくれてよかった
  • あと、これの可能性もあり。つまり選挙はただの売名行為、インフルエンサーになるための道具で、本丸は引用元の通り「中国からのアクセスで金儲け」。
  • 日本人は能無しだから、中国人が中国人のための政治を日本でしてもいいよね? ってことですか。 嫌です。
  • すがすがしいほど日本人に噛みつきまくってて わかりやすい まだこういうわかりやすいタイプでよかったね 狡猾な候補が現れたらヤバイと思う 投票率低いし。
  • こういうところが日本人と違うなあ・・・ 肝心なところで自分の感情を抑えることが出来ない そもそも中国のSNSでの 「中国のために」という発信がバレたからなのに
  • まず「迎合」の正しいニュアンスを学んでから日本語で投稿しましょう。立候補するのはそのさらにずっと後の事だと思いますよ。
  • こんな暴言吐けるってことはやっぱり日本人に対して愛なんて無いことが理解できる
  • これ、当選する気ないね。 選挙費用も自分で出して無いんじゃない? 帰化人は全員入れるはずだから、 それ以外でどれだけ票が取れるかとか、 反応を観測気球で調べてる気がする。 本番は熱海じゃないかな? 熱海は人も少ないし、投票率も低いから 帰化人が一時的に住所移せば、充分当選可能だと思う。

japannewsnavi編集部Aの見解

「落選スピーチ」で問われる公人の資質

私は今回、目黒区から都議選に立候補し、落選となった吉永藍氏のSNS投稿を見て、正直なところ強い違和感と疑問を抱かざるを得ませんでした。とくに、「日本人を守るためね外国人政策」「日本人に全ての責任がある」といった言葉の選び方や論調には、公人としての冷静さや慎重さが感じられず、感情論のままに主張が展開されている印象を受けました。

民主主義の根幹である選挙という場で、立候補者が結果に対して自らの言葉で思いを語ることは大切なことだと思います。しかしながら、それはあくまで有権者への敬意や、今後の建設的な議論につながるような発信であるべきであって、結果を不満として感情的にぶつけるような言葉は、公人としてふさわしくないものだと感じました。

選挙結果は、候補者個人だけでなく、その人の政策・人柄・発信内容などを総合的に見て、有権者が下した民意の反映です。であればこそ、落選した候補者はまずその判断を真摯に受け止める姿勢が求められます。それがなくして、次の政治活動や再出発は成立しないのではないでしょうか。

「日本人のため」が問題発言になる時代なのか

今回の発信の中で、特に印象的だったのは「“日本人のため”という言葉に重い差別を感じると言われた」との記述です。私は、この一文にこそ、日本の現代社会が抱える“共生”という言葉の混乱と矛盾が如実に表れていると思いました。

そもそも、どの国の政治家であっても、自国民のための政策を考えることは当然の責務です。アメリカでもフランスでもドイツでも、政治家が「国民第一」と掲げて何らおかしなことはありません。むしろそれが、民主政治の原則そのものです。

ところが今の日本では、「日本人のため」と言っただけで差別扱いされたり、特定の層から攻撃されたりする風潮があります。私はこれを、行き過ぎた多文化主義、あるいは自己否定的な空気の現れだと感じています。誰のための国家なのか。誰のための制度なのか。その原点を忘れてしまえば、結果的に“誰も守れない国”になってしまうのではないでしょうか。

政治が多様性や包摂性を語ること自体には異論はありません。しかし、それは「自国民を守った上で初めて語れること」であるはずです。吉永氏のように「日本人のための外国人政策」と述べたこと自体は、政策理念としてはごく真っ当な立脚点を持っていたと私は思います。ただし、残念ながらその伝え方やタイミング、さらにSNSでの発信内容の粗雑さが、それを自ら台無しにしてしまった印象です。

有権者に問われたのは思想ではなく“姿勢”だった

私が最も強く感じたのは、有権者が今回の選挙で吉永氏を選ばなかった理由は、決して外国人参政権への反対や“日本人優先”という思想そのものにあるのではなく、むしろ「言い方」「態度」「責任の持ち方」にあったのではないかという点です。

落選後の言葉には、「日本人が悪い」「理解されないのは有権者のせい」という趣旨が読み取れました。けれども、そうした被害者意識や逆恨みに近い言葉では、どんなに正しい主張でも伝わらないのが現実です。選挙とは、有権者との信頼関係の積み重ねです。批判されるのは、主張の中身というよりも、主張の仕方や、その背景にある姿勢です。

私は、今回の件を通じて「正しいことを言っているから選ばれるとは限らない」という厳しい現実を改めて認識しました。だからこそ、主張が正論であるほどに、その伝え方は慎重であるべきであり、公人であればなおさら言葉の責任を意識するべきだと思います。

吉永氏の今回の挑戦は結果として実を結びませんでしたが、発信されたメッセージの一部には、日本人として考えるべき視点も確かに含まれていました。だからこそ、もし今後も政治を志すのであれば、感情ではなく理性で、攻撃ではなく説得で、有権者と向き合う姿勢を大切にしてほしいと強く思います。

私たちが求めているのは、ただ強い言葉を叫ぶ人ではなく、強い信念を持ちながらも冷静に国を守る道を語れる人です。

執筆:編集部A

コメント

コメントする

CAPTCHA


  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る
  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る