【うえはた議員】『日本文化尊重』こそ、あるべき姿。日本人に迷惑をかけるなど言語道断で許さん。多文化共生は、私達日本人への他文化“強制”だ。

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以下,Xより

うえはた のりひろ 神戸市会議員(東灘区)さんの投稿】

引用元 https://x.com/norihirouehata/status/1936446106902372523?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • 多文化共生とは 「お互いの」文化・風習を尊重して、「双方の」歩み寄りによって 完成するモノだと思われます。話し合い「妥協点」を模索するべきだと思うのですが、何故に移民側が高圧的・攻撃的なのか?…
  • 日本ファーストの声を上げよう‼️
  • ほんとに‼︎仰る通りです
  • うえはたさん いいこと言う!
  • その通りだと思います
  • その通りや👍
  • その通り!素晴らしい。政治で実践してください。期待しております。
  • 何で日本の文化を尊重しない外来人の文化を日本人が尊重しなきゃならないのか?
  • それこそが、日本人に対する差別です。絶対に許してはなりません。日本は日本人の国です。世界に初めて差別撤廃を申し入れ提案した日本の誇りを守りましょう!
  • そのとおりです。日本人は海外に行く時はその時の生活習慣や宗教の事を学んで失礼にならないよう学んでから行きます。なのに何故か外国人には寛容すぎて、全てを許してしまう💢💢💢おかしくないですか💢💢💢郷に入っては郷に従えです💢💢💢
  • 世界に移民溢れ、ごちゃ混ぜの文化になっている。日本は日本の文化や環境を尊重、維持する事で魅力的な国に成ることが出来るだろう。日本にしか無いものを無くしては意味がない。
  • 犯罪者や日本の文化を壊す国はふるいにかけて入国できないようにできないものか?郷に行っては郷に従えができず母国流にする事は占領の始まりだと思います
  • 在日外国人基本条例を作り。そこで在日外国人の義務として日本語を理解すること。日本文化を尊重することとか定めたらどうでしょうか
  • これは世界中で言えること。他国から入ってきて自分たちの文化を押し付けるのはただの侵略行為です。これを多文化共生というのならば全力で拒絶します!
  • 傲岸不遜な外国出身者を放置していると却って排外主義を過熱させることになると思います。ヨーロッパ諸国の轍を踏まないように早めに対策を打つべきです。それが外国人のためにもなる。
  • うえはたさん 無知な日本人達にこんな智恵を教え弘めていただけませんか?法律を歪曲悪用する輩が日本を虫喰いにしてしまうまえに。
  • この4月に、市からアンケート用紙が送られてきて、その中に多文化共生に関する設問があったので、回答スペースが小さすぎて書ききれんと言ったら、別紙を添付しても良いと言われ、今起こっている例を一杯挙げて、他文化強制になると回答しました。他の都市でも同じ様な事をやってるんやろな。
  • 尼崎市はどうなるかどうよくやるか楽しみ😊です。
  • いろいろな国の外国人がいたら、いろいろな文化がぶつかる。どの国の文化に統一するの?日本の文化に統一する、しかないでしょ!
  • おっしゃるとおり 他人の家にあがりこんで 我が物顔で振る舞う客と 一緒に暮らす事などできない

japannewsnavi編集部Aの見解

「日本文化尊重」が共生の出発点であるという考え方

うえはたのりひろ神戸市議の投稿を拝見し、共感とともに、言葉の一つ一つに重みを感じました。「郷に入っては郷に従え」という考え方は、日本だけでなく世界中にある常識的な価値観だと思います。異なる文化を持った人が他国に来て生活をする以上、その国のルールや慣習を理解し、尊重する姿勢は最低限必要な礼儀ではないでしょうか。

日本における多文化共生という言葉がしばしば使われますが、その意味を履き違えて「他文化の自由を何よりも優先するもの」として一方的に推進されてしまっている現状には、私自身、以前から違和感を持っていました。共生とは本来、相互理解と相互の歩み寄りによって成り立つべきものであって、どちらか一方が我慢を強いられる状態を共生とは呼べません。

とくに、近年増加している外国人労働者や技能実習生、さらには一部の難民申請者の中に、日本の生活習慣や法制度に対して配慮が足りない例が見受けられます。コンビニでのルール無視や、近隣住民との騒音トラブル、無断駐車や公共マナーの逸脱など、細かい問題ではありますが、それが積み重なることで日本人の側に大きなストレスや不信感を生み出しています。

それらの問題の根本にあるのは、文化摩擦です。文化が違うこと自体は問題ではありません。むしろ、違いを理解し合い、互いの価値観を認め合うことが理想です。しかし、そこには「相手の文化圏に身を置いている」という意識が必要です。うえはた議員の言う「日本文化尊重」は、それを端的に表現したものだと私は感じました。

「多文化共生」と「文化の押し付け」は別物である

近年、「多文化共生」はあたかも正義であるかのように扱われています。確かに、世界はグローバル化し、国境を越えて人々が移動し、共に生活する時代が到来しました。しかし、「共生」を実現するためには、受け入れ側の文化・価値観・治安・秩序が土台として安定していなければなりません。

日本には、長い歴史を通じて築かれてきた独自の文化と社会の秩序があります。礼儀、時間の正確さ、清潔さ、和を重んじる心――それらは、日本で生活する上で自然と身につけられる社会規範です。移民や外国人労働者がそれらに順応する努力を怠り、「自国のやり方を持ち込んで当然」という態度をとるようになれば、結果的に共生ではなく“文化の衝突”を招くことになります。

私たちは他人に自分たちの文化を強制しようとしているわけではありません。ただ、最低限のルールを守ってほしい、社会の秩序を乱さないでほしい、という当然の願いを持っているだけです。にもかかわらず、「多文化共生」の名のもとに、日本側だけが譲歩を強いられる状況が生まれているのであれば、それはもはや“強制された共生”でしかないのです。

共生という言葉が意味を持つためには、土台として「尊重」が必要です。それは、日本人が外国人に対して配慮することと同時に、外国人が日本の価値観を理解しようとする努力も含まれて初めて成立します。うえはた議員の指摘は、その本質を突いていると私は思います。

日本社会が守るべきものと向き合う覚悟

外国人との共生社会を築くうえで最も重要なのは、「日本人が日本の良さを忘れないこと」だと私は考えます。今、私たちが守らなければならないのは、長年かけて築いてきた“当たり前の秩序”です。それを大切にできなければ、多文化共生という理想すら絵空事になってしまうのではないでしょうか。

保守的な視点から申し上げるとすれば、移民政策や外国人受け入れ制度は、単なる労働力補填の手段ではなく、国家の文化的連続性と治安維持のバランスを見極めながら進められるべきです。いくら労働人口が減っているとはいえ、社会の根幹を揺るがすような受け入れの仕方をしては本末転倒です。

また、支援団体や行政も、外国人への一方的なサポートではなく、「適応支援」「文化理解教育」「社会的責任の共有」などを通じて、双方が健全に関係を築ける仕組みを構築する必要があると感じています。そうでなければ、日本の中で日本人が“肩身の狭い思いをする”という逆転現象がますます進んでしまうことでしょう。

私は、日本文化を守りたいと思います。それは排他的という意味ではなく、「譲ってはならないもの」を持つということです。郷に入れば郷に従う――この当たり前の考えが、国際社会の中でも理解されるよう、日本側が毅然とした姿勢を示すべきだと強く感じました。

執筆:編集部A

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