難民申請中の外国人「収容」めぐり国に3000万円賠償命令 東京地裁が国際人権法「自由権規約」に違反すると指摘

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東京新聞によると…

難民申請中の外国人「収容」めぐり国に賠償命令 東京地裁が国際人権法「自由権規約」に違反すると指摘

 司法審査なく出入国在留管理庁(入管庁)の施設に収容されたのは違法だとして難民申請中の外国人男性2人が計約3000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は17日、2人がうつ病などと診断されたにもかかわらず収容したのは国際人権法である「自由権規約」などに違反するとして、国に対して2人にそれぞれ60万円を支払うよう命じた。(池尾伸一)

 自由権規約 1966年に国連総会で採択された国際的な条約。日本は1979年に批准した。人間としての平等、生命に対する権利などを保障している。拘禁については9条1項で「恣意的に逮捕または抑留されない」、4項で「逮捕または抑留によって自由を奪われた者は裁判所が合法的であるかどうか遅滞なく決定する」などと定めている。

◆医師が収容を避けるべきだと診断したのに「収容」

原告はイラン国籍のサファリ・ディマン・ヘイダーさん(56)ら。

 判決によると、2人は1991年以降に来日。入管庁は2人の難民申請を認めず、10年以上にわたって収容と一時的な解放である「仮放免」を繰り返した。2人がうつ病などを発症し医師が収容を避けるべきだと診断した後も収容しており、本多智子裁判長は「収容の必要性が原告の心身に与える不利益を上回るとは言えない」と指摘。恣意(しい)的な収容を禁じる自由権規約などに違反すると判断した。

原告側は裁判所などによる審査がないまま強制的に収容する日本の入管制度全体が国際法に違反していると主張したが、判決は裁判を受ける権利が保障されているとして退けた。このため、原告側は控訴を検討。入管庁も「主張が一部認められなかった。今後適切に対応する」とした。

 原告のうち、もう1人はトルコ国籍のクルド人デニズ被告(46)。5月に覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで警視庁に逮捕され、その後、起訴されている。

◆「第三者の審査なく収容できる制度」自体は容認

東京地裁が、うつ病などを発症した外国人男性2人の収容を違法と判断した。入管庁の収容政策に対しては、法曹界などから「裁量が大きすぎる」との指摘もあり、判決が確定すれば一定の歯止めが…

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

東京新聞デジタルさんの投稿】

引用元 https://www.tokyo-np.co.jp/article/412360

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japannewsnavi編集部Aの見解

入管政策と人権のはざまで何が問われたのか

東京地裁が、難民申請中の外国人を長期間にわたり収容し続けた国の対応について「国際人権法(自由権規約)に違反する」として賠償を命じたというニュースを見て、私は正直なところ非常に複雑な感情を覚えました。

今回の判決では、うつ病を患っていた外国人男性2人が収容されたことに対し、「裁量権の行使として適切だったとは言えない」とされ、それぞれに60万円の損害賠償が認められたとのこと。これにより、入管庁の収容制度、特に医師の診断があったにもかかわらず収容を続けた点が、国際的な人権基準に抵触していた可能性が指摘された形です。

自由権規約とは、1966年に国連で採択された国際人権規約の一つで、日本も1979年に正式に批准しています。逮捕・収容といった身体拘束に対しては「恣意的であってはならない」という原則が定められています。つまり、国家が個人の自由を奪う場合、極めて厳密な理由と法的手続きを伴うべきだというのが国際社会の共通理解です。

保守的な立場として、私は日本の主権や国境管理の重要性を重視しています。違法滞在や難民制度の悪用を許さない姿勢は必要不可欠です。しかし、同時に法治国家である以上、その執行には明確な基準と透明性が求められます。今回のように、医師が「収容を避けるべき」と診断していたにもかかわらず、それを無視してまで収容を継続したという事実があれば、やはりその是非は真剣に問われなければならないと感じました。

「厳格さ」と「人道」のバランスはどこにあるのか

日本の入管政策は、国際的に見ても厳しい部類に入ると言われています。特に難民認定率の低さや、収容期間の長さについては、以前から批判の声がありました。今回の判決でも、「第三者の審査なく収容できる制度」が一定の問題をはらんでいることが、司法の場で明らかにされました。

ただし、判決はその制度自体を否定するものではなく、「個別の運用が適切でなかった」という点に絞って責任を認めたに過ぎません。つまり、制度全体を覆すような判断ではなく、「適切に機能していない事例」に対する是正措置とも言える内容です。ここが重要な点で、決して入管制度そのものを否定した判決ではないという点を私たちは冷静に受け止めるべきです。

また、原告のうち1人が覚醒剤取締法違反で逮捕・起訴されている事実も報じられています。こうした背景を見れば、一方的に「被害者」とするには難しい面があることも事実です。だからこそ、国家の判断には慎重さが求められると同時に、申請者側にも社会規範に従う義務があるという認識を忘れてはなりません。

日本が求めているのは「無制限な受け入れ」ではなく、「信頼できる制度運用」です。そのためには、国際基準に照らしても恥ずかしくないような手続きを整備し、正当な保護を必要とする者には誠実に対応し、不正利用や悪用には毅然と対処する姿勢が重要だと私は考えています。

「人権」の名のもとに信頼を失わない制度設計を

今回の判決によって、今後の入管行政が見直される可能性は高いと感じています。しかし、私はこれを「国が敗訴した」という一面的な捉え方ではなく、「制度改善のきっかけ」として前向きに捉えるべきだと考えています。

収容に関する問題は、日本だけでなく多くの国で共通の課題となっています。移民や難民をどう扱うか、どのような条件で受け入れるのかといった議論は、感情的になりやすいものですが、だからこそ冷静で論理的な議論が求められます。自由権規約をはじめとする国際人権法の原則は、そのためのひとつの“指針”としての意味を持っているのです。

制度の根本を壊すのではなく、信頼される運用へと改善していくこと。それが国家としての責任であり、同時に主権を守る道でもあるはずです。日本が国際社会の一員として、法と人権の調和を図りながら自国の安全と秩序を守る姿勢を、これからも忘れずに貫いてほしいと願います。

今回の判決が一過性の議論に終わらず、より良い制度と理解の構築へとつながることを期待しています。

執筆:編集部A

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