【自民党政権】フィリピンの無国籍住民に8.5億円超支援 UNHCRと連携し機材引渡し

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アセアンポータルによると…

フィリピン無国籍住民のデジタル出生登録支援で機材引渡、自民党政権はUSAIDと緊密な UNHCRに8億円資金提供

日本政府は、フィリピンのミンダナオ自治地域の無国籍住民のデジタル出生登録を支援するため、USAIDと緊密な関係であった国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に8.58億円の資金提供を実施していたが、この支援に関わる機材引渡式が開催された。

日本政府では、フィリピン共和国に対する無償資金協力として、供与額が8.58億円となる「バンサモロ・ムスリム・ミンダナオ自治地域における無国籍住民のデジタル出生登録推進計画(UNHCR連携)」を実施することを令和6年6月11日に決定していた。この事業は、出生登録をしていないBARMMの先住民族サマ・バジャウ族、紛争により避難を余儀なくされた子どもたち及び元戦闘員とその家族の登録を促進することにより、これらの人々の社会サービスへのアクセス改善と、安全で尊厳のある生活の実現を目指すものとなる。

今回は、この無償資金協力に関わる機材引渡式が開催された。引渡式には、タウィタウィ州の知事、この事業を実施している国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のリンジー・アティエンザ・フィリピン事務所長代行などが出席した。

式典では、タウィタウィ州内での出生登録活動に用いる車両及びモーターボートと、出生登録の重要性を住民に伝達するためのパンフレットなどの啓発資材が引き渡された。今回引き渡された資機材は、出生登録手続きを効率化するために本年初めに供与されたコンピューター・サーバーを補完するものとなる。引渡式でのスピーチで遠藤大使は、「本事業が、この地域で暮らす多様な人々のお役に立ち、『人間の安全保障』の実現につながると信じている」との旨を述べた。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

アセアンポータルさんの投稿】

引用元 https://portal-worlds.com/news/philippines/36900

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japannewsnavi編集部Aの見解

国際貢献としての無国籍支援には意義がある

今回、日本政府がフィリピン・ミンダナオの無国籍住民のデジタル出生登録支援に対して、UNHCRと連携して8.58億円を供与したという報道を見て、まず思ったのは、「国としての責任ある外交の姿勢」自体は評価されるべきだということです。とりわけ、紛争や制度的課題により“法的な存在”すら認められてこなかった人々に、初めての法的アイデンティティを与えるという取り組みは、単なる技術的な支援にとどまらず、まさに人間の尊厳を支えるものだと感じました。

ミンダナオ自治地域の無国籍問題は長年にわたる複雑な歴史と背景を持ち、戦闘や避難、そして周縁的な立場に置かれてきた先住民族の子どもたちは、国家制度の中で「存在しない者」として扱われてきました。出生登録がなければ教育も医療も受けられず、結果として貧困や差別の再生産が起きてしまいます。そうした背景を見れば、このような国際的支援が果たす役割は、単なる「書類づくり」ではなく、「人生を始める入口の確保」とも言えるでしょう。

とりわけ「人間の安全保障(Human Security)」という概念の下、社会的弱者を支える国際協力の枠組みとして今回の支援が進められている点は、日本が長年アジアの安定と繁栄を重視してきた戦略と合致しています。私自身も、このような形で日本が直接的に“声なき人々”の背中を押すことには、一定の誇りを感じる部分があります。

ただし、「国際貢献ありき」の姿勢には一抹の不安も

その一方で、やはり考えてしまうのは、「8.58億円」という金額がどのように使われ、どれほどの効果があるのかという点です。資金提供は良いことでも、それがきちんとした成果に結びつかないのであれば意味がなく、最悪の場合は現地の行政能力を超えた形で“宝の持ち腐れ”になってしまうリスクもあるのではないかと危惧します。

今回の事業では、出生登録に必要なIT機器や移動手段(車両、モーターボート)、啓発パンフレットなどが引き渡されたとのことですが、これらが現地で持続的に使われていくには、運用する人材、メンテナンス体制、そして何よりも継続的な予算措置が必要です。これらが現地政府や住民に委ねられていくプロセスにおいて、日本側がどこまで伴走するのか。その点が不明瞭であることには、やや不安が残ります。

また、こうした国際貢献が「外交的パフォーマンス」や「国際機関との関係強化」の文脈だけで語られると、本質を見失いかねません。USAIDやUNHCRといった国際機関と連携することは外交的には意義がありますが、その連携の目的が「日本の影響力の誇示」に偏りすぎると、真に支援されるべき人々の目線を見失ってしまう可能性があるのです。

私は、このような国際協力には必ず「国内とのバランス感覚」も必要だと考えます。国内では、未婚の母子家庭や年金だけでは生活が立ち行かない高齢者が、支援制度の狭間で苦しんでいる現実があります。国際貢献に注力すること自体に異を唱えるものではありませんが、それが“見栄え重視”で、国内の課題が置き去りにされているように映るならば、それは政治としての優先順位の誤りとも言えます。

外交としての役割と、国民への説明責任

日本が国際社会で信頼を得るためには、外交的に存在感を示すことは重要です。その手段のひとつが、こうした無償資金協力やODAであることも理解しています。アジアの安定は、すなわち日本の安全保障にも直結するため、フィリピン南部のような潜在的な紛争リスク地域での人道支援には戦略的な意味もあるのだと思います。

しかし、その戦略性と人道性の両立が中途半端になってしまっては、国際協力そのものが信頼を失います。たとえば、支援の成果を定量的に公開する、会計を透明化する、費用対効果を明らかにする、といった基本的なガバナンスは不可欠です。

そして、忘れてはならないのは、こうした国際貢献が「誰の税金」で支えられているのかという点です。日本国民が日々の生活で感じているさまざまな不安や困難に対して、政治がどれだけ敏感でいられるか。そこに信頼があってこそ、国際貢献もまた理解されるはずです。

私自身は、フィリピンの出生登録支援という取り組み自体には賛成です。特に、無国籍という状況が個人に与える深刻な影響を考えると、そこに手を差し伸べることは人道的にも外交的にも意味があることです。しかし、その“善意”が都合よく利用されないように、日本政府は常に国民に対して誠実であるべきです。国内の課題と並行して、国際支援の在り方を見直す視点が求められています。

執筆:編集部A

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