【X民】「自民党にもまだ保守はいるよ」って言われると 「中国人にもいい人はいるよ」 「韓国人にもいい人はいるよ」を思い出す

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以下,Xより

【いとうちゃん【公式】さんの投稿】

引用元 https://x.com/keitaboo2000/status/1933676661591204266?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • “自民党には何人か日本人がいるよ”と言った方が説得力ありますね。
  • 居たところで無力化済みだろうしそうなると居ないのと大差無し
  • そんな言うたら石破にもいいところあるよ。
  • もしいたとしても、なーんにも出来ないんだからいないのと同じですよね(笑)
  • 御意
  • 仰る通りです!
  • 「~にもいい人はいるよ」それは中にはいい人もいるさ。ただ「明らかに頭のおかしい奴らが大量にいるとわかってる」政党や国を支持したり仲良くしたいか っていう話なんよね。
  • ですねー🤔
  • わかります。それならこの30年間を見直して欲しい。自民党の保守がもし少しでも抑えてくれていたとしても、今悲惨な状態招いてるだろうと。「自民党でなければできない」とかのフレーズも、もう賞味期限切れであり、すでに洗脳の言葉になっていると感じます。
  • 「犯罪者にもいい人はいるよ」って言われてもw
  • 全く同感です 選挙の前だけ特に保守が生えてくる 保守と言う名を利用して 御身の当選が最優先!💢
  • 高市さん等が最近物申すことが″出来る″ようになったのは自民の老害似非保守が手綱を緩めたからだと思います。奴等にとって一時期は脅威だった純保守派ですが、ここまで堕落・親中で固めることが出来たから、もう敵に値せずと見なしたのだと思います。結構:自民党は終わった、再生は無い
  • うんこにもひじきやとうもろこしがそのまま出てきてる事がある。
  • 保守イメージキャラクターの事でしょう。しかも【原爆落としたグローバリスト民主党従米】保守の【 】内を隠して日本伝統保守と見せかけた売国保守ですね
  • 保守だろうがなんだろうが、あのクソガエルやギョロ目のガングロ共の恩恵を受けてる時点で議員全員同罪なんですよね。
  • 似非保守なら居るね
  • そういうアタオカは、きっと「社民党にもれいわ朝鮮組にも共産党にも保守がいる」と言い出すんでしょうね…………。
  • 自民党はもはや保守政党ちゃうから、保守がまだおるなら何でそんなとこにおるねん⁈何でいつまでもうすら左翼の看板にしがみついとんねん⁈としか思わない。
  • 「そのいい人達は悪い人に対して何かしたか?」…うっ
  • 問題は、「いい人のふりをして悪いことを企んでる人がいる」を識別するのが難しいこと。それに騙され続けた結果が今。一旦、属性ごとさよならで。

japannewsnavi編集部Aの見解

「いい人もいる」の言葉に感じる空虚さ

「自民党にもまだ保守はいるよ」と言われて、私はハッとさせられました。いとうちゃんさんの投稿にあるように、その言葉がまるで「中国人にもいい人はいるよ」「韓国人にもいい人はいるよ」と言われたときと似た響きを持つことに気づかされたからです。

これは決して差別の話ではありません。むしろ、そのような言葉の背景にある無力感、そして組織や集団の現実が、個々の善意を覆い隠してしまうという構造に対する直感的な違和感なのだと思います。

政党においても、国際関係においても、「例外的な善人」を引き合いに出して本質的な問題を覆い隠そうとする論法があまりに多くなっています。「保守がいるから大丈夫」「いい人がいるから全否定は良くない」と言われるたびに、それで今の現実が肯定されていいのかという疑問が生まれるのです。

「まだ」という言葉には、「かろうじて残っている」ことの弱さがにじみ出ています。そんな綱渡りのような期待では、政治も外交も健全には機能しないのではないでしょうか。

本質を見失わせる「例外の一般化」

私たちは日常的に、何かを指摘したときに「でも○○にも良い人はいる」という反応に遭遇します。この返答は一見すると中立的、寛容的な姿勢に見えますが、実際には問題の核心をぼかしてしまう効果を持っていると感じます。

たとえば、自民党に対する批判を述べたときに「まだ保守もいる」と返されると、それ以上議論が進まず、問題の制度的構造や党の路線そのものには手をつけずに済まされてしまいます。保守政党としての自民党が、どれほど国民の信頼に応えられているのか、真の保守として機能しているのかという視点は後回しになってしまうのです。

また「中国人にもいい人はいる」という発言も同じです。その人個人の良さが語られることで、中国共産党の人権問題や外交戦略の是非といった構造的課題から目をそらしてしまう恐れがあります。同様に「韓国人にもいい人はいる」という一文も、日韓の歴史問題や安全保障の議論を感情論で封じてしまう可能性があると感じます。

問題は「いい人がいるかどうか」ではなく、「組織や体制がどう動いているか」「その動きが国民にとってどういう影響を及ぼしているか」です。例外的な事例を盾にして、本質から目を背けてはいけないということを、今回の投稿から強く思い知らされました。

保守という言葉の重みと「政治広告」の空疎さ

「保守」という言葉には、本来、伝統や秩序、地域共同体を大切にし、変化よりも継続を重んじる哲学的な深さがあるはずです。しかし現在の日本政治、特に与党である自民党において、その言葉はもはや形骸化しつつあるように見えます。

政治広告やメディアで「保守」を掲げる議員がいても、実際の政策を見れば国境管理の緩和、移民の受け入れ促進、経済のグローバル依存といった、どちらかと言えばリベラル寄りとも取れる動きが目立ちます。それでいて、伝統的家族観や防衛政策だけは「保守」として強調される。つまり、ごく一部のテーマだけを都合よく保守的に演出し、その他の分野では現実主義を装って変質しているように見えるのです。

だからこそ、「まだ保守はいるよ」という一言には、どこか悲しい諦めのような響きが伴います。保守が「いる」ことと、「主導している」ことは全く意味が違います。そして、表現だけの保守がいくらいても、実際に保守の精神を実行する政策がなければ、現実は変わりません。

これは政治広告におけるキーワード戦略とも通じます。広告単価を上げるための「保守」や「改革」といった言葉が、本質とはかけ離れたキャッチコピーとして使われてしまっている。この現象は、広告業界にも政治の世界にも共通する「言葉の空洞化」です。

投稿者が感じたであろう皮肉と警鐘は、単なる政治批判にとどまらず、私たち一人ひとりが、日々の情報の受け取り方をもう一度見直すきっかけになるのではないでしょうか。

執筆:編集部A

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