【悲報】人手不足で入れたはずの外国人運転手が「日本語できない」 国交省「話せる人を同乗させます」←本末転倒な対応が話題に

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以下,Xより

ドンマイおじさんさんの投稿】

引用元 https://x.com/don_mai_don_mai/status/1929759340879400986?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • 隠れ免許ホルダー…居ると思うけどねぇ うちも旦那は大型特殊や牽引も持ってますけど…ドライバーは安すぎてやりたく無いって言いますね。
  • 🐎🦌としか思えん😱😱😱 緊急時、慌ててふためく中で日本語が聞き取れ話せるようになるには年月掛かるぞ💢
  • 日本語話せる人が1人で運転したらよいのでは
  • ます手始めに(各大臣公用車の運転手からやります)その後は(公務員用の運転手をやらせます)とか言えないかな
  • そんなのに乗らないからいいよ
  • 支離滅裂。移民導入が自己目的化してきた。
  • 2種免許取得時講習における応急救護処置講習は、旅客を乗せて運転する際に必要な知識を習得するために重要です。知識を習得できる?通報できる?
  • 乗車賃アップですね~
  • 外国人運転手を増やすために日本語を話せる人を同乗させるとは、日本人の労働機会を奪うために日本人を使うということ。何故、バスやタクシーの運転手さんの処遇を改善し日本人を就業させようとしないのか?介護士さんなどと同じではないか!
  • せめて話せるのを入れろよ😇
  • なんだかなー!
  • とっさの時通訳が間に合わずドカン💥
  • バスなら女性ガイドみたくすればいいけどタクシーでそれだとかなり効率が悪い気がします。
  • 地理も把握されて・・・いざとなったら。。。。
  • 同上させる日本語を話せる人も日本語能力が低くて(外国人かもね)、その人をサポートする人も同上させるなんていうことになったりして、、、笑える。
  • 外国人運転の横に通訳の日本人が乗ってるタクシー?その通訳は運転免許持ってる人かな?日本語の道路標識を通訳してやるんですか?客との会話を通訳するんですか?普通車セダンのタクシーなら大人四人の家族だと乗れませんねーその辺少しは考えているんですかね?
  • 同乗者は 日本語が比較的マシな外国人になるのでは?そっちでも岸田の宝の雇用創出したいってか
  • 本当に意味がわからない。教習所やん。
  • ならば外国人起用するのでなく カーアシストをフルに使い安定した道路は自動運転で複雑な道路事情は人が 自動と人のタッグで仕事すれば良い バスの運転も人と自動と合わせれば大型2種免許証でなくても外国人よりかはマシなのでは
  • これなに? 通訳能力がある人を同乗させるってこと? 日本人ドライバー育てるよりコスト高いね?
  • 分からない標識は教えて貰えて、疲れたら運転交代もして貰えるんだよね。。。

japannewsnavi編集部Aの見解

日本語が話せない運転手に同乗者を付ける発想に驚き

バスやタクシーの運転手不足に対応するため、外国人運転手の日本語要件を緩和し、日本語が話せる人を同乗させるという方針が出てきたという話を聞き、思わず耳を疑いました。確かに少子高齢化による人手不足は深刻で、特に地方の公共交通機関では日々の運行すら厳しいという話もよく耳にします。ただ、だからといって言語能力を満たさない外国人運転手に、日本語対応の人を横に乗せて補うという発想は、正直なところ本末転倒ではないかと感じます。

運転業務は単なる車の操縦ではありません。乗客の安全を守り、万が一のトラブルにも迅速かつ的確に対応できる判断力と責任感が求められます。言葉が通じないということは、それだけで致命的なリスクにつながるのではないでしょうか。交通事故や急病人の発生、道路トラブル、乗客とのトラブルなど、現場で求められるのは即時の判断と対応力です。それが言語の壁によって阻害されるとなれば、公共の安心はどう守られるのでしょうか。

しかも、今回の報道では「日本語を話せる人を同乗させる」とされていますが、それでは単純に人件費が二重にかかるだけで、根本的な解決にはなりません。運転技術と日本語の両方を備えた人材を育てることが本来の筋であり、そこを迂回して人海戦術に頼るようでは、制度として持続性に欠けると思えてなりません。

緩和という名の「質の低下」に懸念

このような施策を見るたびに思うのは、「量を確保することばかりに目が向き、質の確保が疎かになっていないか」ということです。日本社会の中で、バスやタクシーは単なる移動手段ではなく、日々の生活を支えるインフラそのものです。特に高齢者や子ども、障害を持った方などにとって、信頼できる運転手の存在は命綱とも言えます。

そうした場面で、「言葉が通じないが助手席に通訳がいるから大丈夫」という説明が本当に納得されるのでしょうか。むしろ、通訳がいることで混乱が生じたり、乗客が不安を感じたりするリスクの方が高いのではと感じます。

また、事故が起きた際に運転手本人が当事者として説明できないという状況は、法律的にも道義的にも問題があります。公共交通の安全性を担保するには、単に免許を持っているかどうかではなく、「その土地の言葉や文化を理解しているか」という点も重要です。

国交省としても、多様性を受け入れつつ制度を柔軟に運用しようという意図は分かります。ただ、それを「日本語ができないままで運転しても良い」という形で緩和するのではなく、むしろ外国人向けに日本語教育の支援を強化する方向に進むべきではないでしょうか。そこに予算と制度を集中させることで、真の意味で現場に即した解決が見えてくると思います。

根本から問われる「公共交通の安全性」

今回の議論は、単にバスやタクシー運転手の言語能力にとどまらず、「日本社会において公共交通の安全性をどう考えるか」という大きなテーマを突きつけているように感じます。交通は生活に欠かせないインフラです。その運用において、安全性や信頼性が犠牲になるような制度改変は、あってはならないと強く思います。

今後、外国人労働者の受け入れは避けられない現実であり、さまざまな業種で人材不足が加速しています。だからこそ、受け入れる側としても「共通の基準」をしっかりと定め、一定の基礎条件をクリアした上で職務に就いてもらうべきです。それが社会全体の安心につながり、外国人労働者自身の尊厳も守ることになると考えます。

公共交通は誰もが利用する空間であり、だからこそ、制度の変更が利用者全体に与える影響は大きいです。数の論理や短期的な経済合理性だけで判断せず、国としての姿勢、社会としての安全意識が問われる場面だと感じました。

制度を変えるのは簡単ですが、その代償として信頼や安全が損なわれれば、元に戻すのは容易ではありません。今回の国交省の方針には、今一度立ち止まり、長期的な視点と国民の目線から、慎重に見直していただきたいと願います。

執筆:編集部A

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