【小泉大臣】“動物のえさ”発言に「事実としても残念」

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テレ朝newsによると…

“動物のえさ”発言に小泉大臣「事実としても残念」

(略)

玉木氏は、備蓄米ではなく今年度産の銘柄米の価格はどこまで下がるのか問いただす際、こう述べました。

国民民主党 玉木代表
「中小のスーパーに出すと言っておられるお米も、あと1年たったら実は、餌(えさ)米で出す予定だったんですよ。動物の餌になるようなものを『安く売ります』と言ったって、安く出ますよ」

小泉農水大臣
「(Q.『動物の餌になるような』と表現したが?)事実としてはそうだとしても、今、この放出のあり方について取り組んでいる時に、私としてはちょっと残念だなという印象です」

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

Hiromi1961さんの投稿】

引用元 https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000428583.html

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みんなのコメント

  • つい本音を言っちゃたよ〜🤣
  • 残念だけど事実
  • じゃぁ1キロ100円で行こうか?
  • これは元からそのような用途もあるから、認める認めない以前の問題だから
  • 1~2年だけ備蓄する 人間用の回転備蓄方式は 米の市場価格が下がるので 2011年で廃止されてる 「事実としても残念」w
  • コイツ使えるかも。
  • 1年たてば、米は古くなります。あたりまえやん。
  • だってコイツらは食べないですもん、食べたとしてもパフォーマンスですもん。 国民から搾り取った税金で美味いもの食えるし
  • この人ある意味正直ですからね 本音がダダ漏れ 事実です
  • 飼料として必要な米でもありますよね。農家さんは適正な価格で飼料米を確保できるのでしょうか。肉や卵の価格にいつか跳ね返るのでは?
  • 1年後には廃棄するというだけの話では? ただ単に廃棄するだけだと廃棄費用もかかるし勿体無いので、飼料として活用するという話かと思う。 コンビニ弁当も賞味期限切れたら廃棄するが、それらの一部が飼料としてリサイクルされてるけど、コンビニ弁当を動物のエサとは言わないよね…?
  • 周知の事実だよ。 令和6年産の米も5年後には飼料行きだからな。 いまある備蓄米も家畜の餌(数年後には)という事で間違いはありません
  • これは意味の取り違え。備蓄米はゆくゆく家畜の飼料になると言う意味では事実と進次郎は言ってるんだね。人が食べられないと言うことでは全くない。まず、食べてみようや。需要は大きいと思うよ。
  • 進ちゃん、くず米と古古古米とは等級的に別物と何故反論しない。御父さんなら、人生いろいろ米もいろいろと躱したよ。
  • そりゃコメなんて飼料にも出来るし人も食えるよ。 別にコメに限らずコーンスターチとかも飼料かつ人が食べる食品なんだから何が問題なんかわからん。
  • 地方自治体の災害用備蓄物資なんて消費期限の事考えて入れ替えは考えてないから廃棄せざるを得なくなる訳だけどさ、もうちょっと本気で管理してさ消費期限1年前でも半年前でも半額以下だとかタダだとかで処分して新しく災害用備蓄物資用意するようにすればいいのに。 つかそれでもいいならいいだろ。
  • 😕オンボロ農水相の後は ポンコツ農水相だった😩
  • 米は2ヶ月間食べないのが正解。お盆を過ぎたらそれなりに出回ります。炭水化物は他の方法でも摂取できます。
  • 事実ですよ。あなたは備蓄米の事を知らなかったのですね。
  • 今更だけど事実を知らなさすぎる人が大臣ですからねー 議員立法出さずに過ごす血税生活から白羽の刃😱 ニートや生活保護者が大臣になるレベルかな 今

japannewsnavi編集部Aの見解

「動物の餌発言」は軽くない、信頼の問題に向き合うべき

最近の国会質疑で交わされた、農林水産行政に関するやり取りが波紋を呼んでいます。焦点となったのは、国民民主党・玉木代表が小泉進次郎農水大臣を追及した際の発言。「中小スーパーに出すお米は、あと1年で飼料用、つまり動物の餌にする予定だったものだ」と指摘したことに対して、小泉大臣は「事実としてはそうだとしても、ちょっと残念だ」と答えました。

私はこのやり取りに、単なる言葉の行き違いでは済まされない重みを感じています。なぜなら、食べ物に対する信頼は、国民の生活そのものに直結する問題だからです。

まず前提として、今回の件で流通対象となったのは「備蓄米」ですが、その中には収穫から時間が経過し、本来ならば“飼料用”として処理されるはずだったお米が含まれているという指摘が、現場の生産者や関係者からも複数上がっています。

つまり、玉木代表の「動物の餌発言」は挑発や皮肉というよりも、ある種の“現実”を突いたものだったわけです。これに対して小泉大臣は、事実を否定することなく「残念だ」という感想を述べました。その一言が、かえって「飼料米であることを事実として政府が認めた」と多くの国民に受け取られ、反発や不信感を強める結果となってしまったのです。

食の安全と価格政策の間で揺れる国民感情

物価高が続くなか、政府が行った備蓄米の放出は、生活支援策の一環として注目を集めました。しかし、実際に販売された米が「古古古米」と呼ばれるほどに古く、品質が劣化していたとすれば、それは本当に“支援”と呼べるものだったのでしょうか。

お米は、私たち日本人にとって単なる食品ではなく、文化であり、日常の象徴でもあります。だからこそ、「飼料用とされていた米を、価格対策としてスーパーで売る」といった方針には、慎重な説明と丁寧な理解が必要だったはずです。

ところが、政府は今回の件で消費者の視点に立つことなく、「安く提供できる」「備蓄を有効活用する」という行政都合を前面に押し出してしまった。その結果、国民は「騙されたのではないか」「品質を誤魔化されたのではないか」という不信を抱きました。

玉木氏の発言が少々強い口調だったとしても、それが“事実”であると大臣自らが認めてしまった以上、問題は「言い方」ではなく「内容」にあるのだと思います。

政治の言葉が信頼を壊す時

私はこの件から、あらためて「政治家の言葉の重み」について考えさせられました。小泉大臣の「残念だ」という発言は、感情としては理解できます。しかし、それを大臣の口から言ってしまうことが、どれほどの信頼喪失を招くかを、もう少し想像してほしかったと思います。

特に、昨今の政府と国民との関係は、コロナ対策や物価支援策などのズレにより、すでにかなりの緊張を抱えています。そのなかで「古い米を売ること」を正当化する姿勢が見えてしまった時点で、多くの人々は「自分たちの生活は軽視されている」と感じたのではないでしょうか。

また、「事実としてそうだとしても…」という言い回しは、どこか責任を回避しているようにも聞こえます。政策の正当性を主張するのであれば、同時にその根拠とリスクについても正直に語るべきでした。誠実さを欠いた説明は、どんな政策であれ、信頼にはつながりません。

私は、備蓄米のような重要な国策食糧の扱いにこそ、透明性と誠実さが求められると思っています。安く売ることが目的ではなく、生活を支えることが目的であるべきです。

そして、万が一飼料用として扱われていたような米を流通させる場合には、その旨を明記した上で、用途や調理方法の工夫などを併せて提示するなど、消費者への配慮が必要だったはずです。

政策は“結果”がすべてではありません。“過程”もまた、国民にとって重要な要素なのです。

このやり取りを通して、国民の多くが感じたのは「食べ物をどう扱っているのか」という不安でした。私は、お米という日本の心を、もっと大切に扱う政治であってほしいと願っています。

執筆:編集部A

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