井川意高さん 「年収201万円で 富裕層認定?! 自民党 どうしようもないねー」※動画あり

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以下,Xより

考察系X白犬さんの投稿】

ひで2022真実を追求さんの投稿】

引用元 https://x.com/shiroinuproject/status/1915023398444712423

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みんなのコメント

  • 最初の職場選びのセンスが無さ過ぎて年収220万円でした。全然富裕感なかった。
  • 基準が謎
  • 最低限度非課税額は生活保護費、家賃補助含めて一ヶ月約18万円、年間216万円を基準にするのが最も合理的ですね!
  • 取り敢えず国会議員の歳費は201万でやってもらいましょ。期末手当や立法事務費とか諸々の手当も無しで。
  • ナマポの支給金より低そう。あれか、文化的な最低限度の生活以上は裕福なのか
  • 李氏の末裔は、何処に居る?まるで、両班の復活みたいな世の中⁉️
  • 今だと400万以下は貧困と見ていい
  • 自民党員の給与を201万にしたところで課税対象から外れ別途手当てを増やすだけですよ 議員の報酬は所得税2000円しか取られない程度なのに課税されない手当てが100万なので手取りがデカいです
  • 平均値400万円台前半なのに?数字さえ理解できなくなったか、老害?
  • 自民党に天罰を
  • 年収201万円で富裕層に認定とかふざけてるよなぁ。自民党消えればいい
  • 自民党解体。
  • 自分たちも年収200万にせい
  • GHQが作った憲法は要らない🙋‍♀️左翼が一杯居た憲法やから🙋‍♀️[米国]の共和党と歩調を合わせましょう🙋‍♀️
  • 月収じゃなくて、年収ですか!?
  • 政治家の給料201万に統一で。
  • 数字もわからない方が増えましたね?どこぞの海外と比べてるんじゃ?羨ましいオツムしとりますわ!!! 税金とりまくってそのお金で生きていけてると思ってないのかな?国民に生かされてるんだよ 感謝しろよ っと思うこの頃。
  • 106万円の壁取っ払って増税かよ😡‼️
  • じゃぁ、自民党議員の給料も年収201万円まで下げても問題無いよね 富裕層と同じなんだし
  • 200万円の年収が富裕層なら、国会議員の歳費400万円で言う事なしだな。富裕層の倍だから文句ないでしょ。こうやって辻褄が合わなくなってくるだろ、財務省の官僚さんよ。どう責任取るんだよ。ずれてることに気づきもしない者は、一度民間に放り出して、下積みさせろ。次官も一緒だからな。

japannewsnavi編集部Aの見解

年収201万円で富裕層?その発想に戸惑う

「年収201万円で富裕層認定」──そんな言葉を見たとき、思わず耳を疑いました。ニュースで話題になったこの件について、元大王製紙会長の井川意高さんが「どうしようもない」と語った動画が注目を集めています。率直に言って、私も「まさか」と思いました。

この数字を聞いて真っ先に思い浮かべたのは、生活の現場で懸命に働いている人々の姿です。非正規雇用、単身世帯、年金生活、ひとり親家庭。彼らの多くが年収200万円前後で日々の暮らしを維持するのに必死です。そこを「富裕層」と認定されるのであれば、それはもう言葉遊びの領域を超えて「現実無視」と言わざるを得ません。

しかも、これは単なる個人の見解ではなく、政治の現場でそうした数字が扱われているという事実。私はその背景に「生活実感との乖離」を強く感じました。政治家は、机上のデータを並べて平均や中央値を語ることは得意ですが、その数字の裏側にある“暮らしの肌感覚”を理解しているのか、大いに疑問です。

年収201万円で豊かだと思える人が、いったいこの国にどれほどいるでしょうか。特に都市部に暮らす単身者であれば、家賃、食費、光熱費、保険料といった固定費だけで生活費はほぼ尽きます。貯金はおろか、趣味や旅行、学び直しの費用もままならない。ましてや子育てや介護を抱える世帯にとっては、その金額で暮らしを維持するのは至難の業です。

政治家こそ年収201万円で生きてみては

井川氏の「じゃあ自民党議員も201万円で生活してみろ」という指摘は、単なる皮肉に留まらず、まさに核心を突いたものだと感じました。政治家には数百万単位の政務活動費、さまざまな特権的待遇、そして人によっては資産や副収入まである。その立場の人が、年収201万円で“富裕層”と位置付けるような発想をすることは、正直なところ国民感情とかけ離れているとしか言いようがありません。

もちろん、政治家全員が生活感覚を失っているとは思いません。しかし、こうした言葉が飛び出してしまう背景には、「数字の操作」が日常的に行われている現状があります。政策立案や予算編成の場では、数字で示せる成果が評価されやすいため、つい“都合の良い定義”に頼ってしまうのです。

それが結果的に、国民との距離を生み、不信感を募らせることになるのは言うまでもありません。なぜなら、国民が求めているのは、綺麗なグラフや統計データではなく、「実感できる支援」と「肌で感じられる安心」だからです。

そして何よりも、そうした政策判断を下す人たちが、自分自身は生活の苦しさと無縁の場所にいて、そのことに無自覚であるということ。それが一番の問題ではないかと私は考えています。

本当に守るべき“普通の暮らし”とは

私がこのニュースを見て感じたのは、「普通の暮らし」がどれほど脆くなってしまったかということです。かつて日本では、頑張って働けばマイホームが持てて、家族を養え、老後も安心できるという人生設計が、ある程度現実的でした。しかし今はどうでしょうか。

非正規雇用は増え、正社員ですら昇給や賞与が見込めない職場が珍しくなくなりました。副業を認める企業が増えてきたのも、単に「働き方改革」というよりも、「本業だけでは食べていけない」ことの裏返しだと私は思っています。

こうした中で、年収201万円という数字を「富裕層」として位置づける感覚は、政治の場がいかに現実からかけ離れているかの象徴です。仮に制度の枠組み上そう定義されるとしても、その前に「本当にそれで人は生活できるのか」という問いを立ててほしい。そう強く思います。

支援策を設けるのは結構ですが、その前に基準となる数字の根拠や、生活実態に即した議論を重ねることが求められています。そして何より、「誰を助けたいのか」「どんな未来を描きたいのか」という政治の理念が必要です。

私は、政治が再び信頼されるためには、まず“普通の生活”の価値を見直すことから始めるべきだと考えます。201万円で生活が成り立たない現実を、誰よりも政治家が理解し、そこから政策を立案していく。そんな国であってほしいと、心から願っています。

執筆:編集部A

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