【立てこもり 88歳男に懲役25年求刑】

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TBS NEWS DIGによると…

埼玉・蕨立てこもり 88歳男に「懲役25年」求刑 「この歳での懲役25年はびっくり。生きていられないでしょう」警察官に拳銃発砲などの罪

おととし、埼玉県蕨市の郵便局で人質を取って立てこもり、警察官にむけて拳銃を発砲して殺害しようとした罪などに問われている88歳の男に対して、検察側は、懲役25年を求刑しました。

無職の鈴木常雄被告(88)は、おととし10月、自宅アパートの部屋にガソリンを撒き、火をつけた後、戸田市の病院で診察室に向けて拳銃を発砲し、男性医師(当時49)と男性患者(当時62)の頭にけがをさせて、殺害しようとしたなどの罪に問われています。

またその後、蕨市の郵便局で女性局員2人を人質に立てこもり、駆けつけた警察官2人に向けて拳銃を発砲して、殺害しようとしたなどの罪にも問われています。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

Yahoo!ニュースさんの投稿】

引用元 https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1943419?display=1

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みんなのコメント

  • もしかして温情求刑なのかも…
  • そらそうやろ
  • ワンチャン113歳で最高齢で生きてる
  • 88歳に25年って113歳かぁ ほぼ最高齢になるね
  • 113さいになったら でてくるー💦💦💦
  • 25年間飯の心配しなくていいね
  • 花菱会の西野かと思った😎
  • タヒぬまで3食昼間付きは幸運の爺……( ⋅֊⋅ )ドャ
  • これで余生はムショ暮らし
  • 次出てくるときは最長齢男性ですね笑
  • 誰も亡くなって無いのに20年以上になるのは稀なケースな気もする
  • 2年も保たずにぽっくり行くだろ
  • むしろ1人暮らしするよりよい環境では?
  • 出る頃は国内最高齢の可能性やな
  • 死人が出てないのに一般的な殺人罪より長い25年なのは、社会的影響が甚大だと思われたのか、ある種の温情なのか…?
  • 死刑でよいのでは ・自宅アパートの部屋にガソリンを撒き火をつける ・戸田市の病院で拳銃を発砲し男性医師と男性患者の頭にけがをさせて殺害しようとした ・その後、蕨市の郵便局で女性局員2人を人質に立てこもる ・駆けつけた警察官2人に向けて拳銃を発砲し殺害しようとした
  • 妥当か
  • 出る頃には113歳か… 世界最高齢の犯○者爆誕になるのか…
  • まともに刑務作業出来ない人間にこの懲役はほぼ生活保護
  • 女の子ってこういうワルに惹かれるんだよね

japannewsnavi編集部Aの見解

88歳に懲役25年、法の下での平等が問われた瞬間

私はこのニュースを目にしたとき、率直に「まさか」という言葉が頭をよぎりました。88歳という高齢の男性に対して懲役25年の求刑。刑法上は年齢にかかわらず罪に見合った処罰を求めるのが当然とはいえ、「その年齢で25年をどう過ごすのか」と考えると、何とも複雑な気持ちになります。

ただ、この事件の内容を見れば、刑の重さに驚くよりも、なぜここまでの凶行に至ったのかをまず問わなければならないと思いました。自宅での放火に始まり、病院での発砲、そして郵便局での立てこもり。しかも拳銃を所持し、それを実際に警察官に向けて発射したというのですから、極めて重大な事件であることは間違いありません。

公判で被告は「殺意はなかった」と述べているそうですが、それはあくまで本人の主観です。拳銃を向けて撃ったという行為そのものに、客観的な危険性と悪質性は明確に存在しています。こうした場面では、「懲役制度」という法の仕組みが冷静に働くべきだと私は考えています。

どれだけ年齢を重ねていても、重大な犯罪に対しては社会的責任を果たす必要があります。そして、それは被害者の命や安全を脅かしたという行動の重大性によって決まるべきで、加害者の年齢によって割り引くべきではないとも思います。

法の前の平等、年齢は免罪符ではない

多くの人が思ったかもしれません。「88歳に25年の懲役とは、実質的には終身刑と同じだ」と。確かにその通りです。ほとんどの人は、この刑を全うすることなく獄中で人生を終えるでしょう。けれども私は、そこにある種の重みを感じました。

なぜなら、年齢に関係なく、重大な罪を犯した者は裁かれるという“法の下の平等”が、日本という国にまだ存在しているという証明でもあるからです。被告の年齢が若ければ重い刑が当然で、高齢になれば軽くなるということでは、被害者や社会に対して説明がつきません。

むしろ、年齢が高くなればなるほど、人間として成熟し、理性ある判断が求められるのではないでしょうか。長く生きてきたからこそ分別があると信じられていたはずの人物が、これだけの暴力行為に及んだという事実の方が、私はずっと恐ろしく感じます。

しかも、被告は事件のきっかけとして、過去の医療への不満などを口にしていたと報道されています。つまり、自身の過去の体験をもとに恨みを募らせ、それを暴力という形で爆発させたという構図です。たとえどれほど苦しい思いがあったとしても、それを社会的に許されない手段で表現してしまった時点で、厳しい処罰は免れません。

私たちはこうした事件を通して、社会として「どこまでが自由で、どこからが罪なのか」という線引きを再確認する必要があります。そしてその線を超えた者には、たとえ年老いていても、しっかりと責任を取ってもらうという姿勢がなければ、社会全体の秩序は維持できません。

事件の裏にある“孤立”と“制度の隙間”

とはいえ、私が感じたのは怒りや断罪の感情だけではありませんでした。この被告が88歳という高齢で、無職で、精神的にも不安定だったのではないかと想像すると、別の問題も見えてきます。それは、社会からの孤立です。

今の日本は、超高齢社会を迎え、年金や介護、医療といった制度のひずみが日々露呈しています。高齢者が生活に行き詰まり、支援も届かず、孤独と不満だけが蓄積していく。そうした中で、何かの拍子に爆発するような事件が起きるというのは、あながち偶然ではないのかもしれません。

もちろん、孤独だから犯罪を犯してもよいという話にはなりません。ただ、こうした事件が繰り返されることを防ぐには、司法だけでなく、社会保障や福祉の観点からの対策も必要だということを、この事件は私たちに強く訴えている気がしました。

高齢者を支える仕組みが、どこかでほころびを見せていなかったのか。そしてその隙間に、事件の芽が潜んでいたのではないか――。懲役25年という重い求刑を通して、社会全体に向けられた警鐘のようにも感じています。

私は今回の事件を通じて、「懲役制度」の本質と、それを支える社会の責任の重さを痛感しました。年齢や境遇にかかわらず、法は公平でなければなりません。しかしその一方で、こうした犯罪を生まないような社会の仕組みもまた、見直されるべき時に来ているのではないでしょうか。

執筆:編集部A

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