【X民】フィリピンみたいに裏金や賄賂は〇刑にすればいいじゃん。

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以下,Xより

まりなちゃんさんの投稿】

引用元 https://x.com/t2prw6harjwqr5s/status/1924253332425879628?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • ほぼ〇んでまうな
  • ワイロとか幕府時代からの文化なので無理だと思います、
  • 3人くらいしか残らなそう
  • 鎌倉時代みたいに一族〇刑でいいと思います
  • すでに〇してしまったって奴ね…笑
  • 汚職は〇刑、賛成
  • 中国も相当厳しいと思います。
  • まじで売国をナメすぎてるよな。
  • 日本の未来のために一掃して法律から作り直したいですよね
  • いやーんほぼ全ての議員〇刑になる
  • 裏金と賄賂にまみれた人たちが作る法律だもの、無かったことにしちゃうよね〜国の政治家の醍醐味!なんて言って。おこぼれ貰う議員も始めは戸惑っていても染まるんだろう。でもダメ!! 新たに死刑法案提出できるくらいのマトモな人でないと、政治家になってはいけない。 …ってことで、〇刑で。という
  • 政治家センセイが誰もいなくなったりして(笑)
  • いいね。今の政治屋達ほとんど残らないわ。
  • 賄賂や裏金だけでなく、 外患誘致罪に当たると思われる議員や知事も沢山いるので 手始めに何人か選んで雑に〇刑にしてほしいですね。
  • 議員や官僚が、殆どいなくなって本当の日本人の為の政治ができますね。
  • 賛成です!日本の政治家が、そして誰もいなくなった!になりますね。
  • 国会議員に対してなら賛成! 私利私欲のため私腹を肥やし 国益に反する行為行動をする輩は極刑!
  • キミはヒドいな。なぜそんな素晴らしいことを。
  • 政治家は、清廉潔白、聖人君子であらねばならない。だから、悪行を行い、魂を売った輩は即〇刑が良い。国民が悪行を真似するから責任重大。
  • 日本国民は、そろそろ日本の政治家もどきとやらを一掃、断捨離したい時ですね。フィリピンのやり方、凄くいいね。賛成。
  • 裏金や賄賂を、献金と名前を変えれば法律に引っかからないという解釈の仕方を変えないと意味がない

japannewsnavi編集部Aの見解

政治不信と汚職への怒りに国はどう向き合うべきか

最近、SNSや世論の中で、「汚職を行う政治家はもっと厳しく処罰すべきだ」といった強い言葉が目立つようになってきました。ある投稿では、フィリピンのドゥテルテ元大統領のように「裏金や賄賂に死刑を」と過激な意見が拡散され、大きな反響を呼んでいました。もちろん、日本の法制度や人権の観点から見れば到底受け入れられるものではありません。ですが、それでもこれほどまでに怒りの声が大きくなっているということは、それだけ多くの国民が政治に対して限界を感じている証拠でもあると、私は受け止めました。

汚職や裏金、利益誘導、身内優遇といった政治家の不正は、今に始まった話ではありません。けれど、最近ではそれらが「一部の例外」ではなく、「日常的に行われている」と感じさせる事例が次々と報道され、政治家全体に対する信用が大きく揺らいでいます。特に、説明責任を果たさず、曖昧な言葉だけで逃げようとするような態度を見せられるたびに、「またか」という失望が積み重なっていくのです。

本来であれば、国民から選ばれた政治家が誠実に職務を果たし、その対価として税金から給与を受け取るのは当然の制度です。ですが、それに見合うだけの働きや姿勢が見えない時、国民が怒りを覚えるのもまた当然です。「政治は国民の信頼によって成り立っている」という基本に立ち返り、いまこそ国はその信頼をどう回復するのか、真剣に考え直すべき時期にきていると私は思います。

「過激な声」が生まれる社会的背景

「〇刑にしろ」「辞職では済まされない」といった過激な声が飛び交う背景には、政治そのものが国民にとって遠すぎる存在になってしまっているという現実があります。不正が起きても関係者は処分されず、結局は身内同士でかばい合っているように見える。そうした繰り返しが、「普通の手段では変わらない」という諦めの感情を生み、極端な言葉や要求に人々を走らせてしまっているのではないでしょうか。

国民の中には、日々の生活で真面目に働き、税金を納め、ルールを守って暮らしている人が大多数です。そうした人々が、報道を通じて特権的な立場にある政治家たちの「逃げ得」や「優遇処分」を目にするたびに、「なぜ自分たちだけが苦労を強いられるのか」という怒りと虚しさを覚える。それはもう怒りというより、「社会に見捨てられている」と感じてしまう感情に近いかもしれません。

また、現代はSNSの拡散力もあり、ひとつの過激な意見が瞬く間に共感を呼び、多くの人の感情を動かす時代です。過激さそのものが問題視されることもありますが、私はそこに含まれる「届かない声をどうにかして届けたい」という必死さを、見落としてはならないと思っています。

過激な言葉をそのまま受け取るのではなく、そこに込められた本音や現実の苦しさをすくい上げる。それこそが、政治が本来果たすべき役割なのではないでしょうか。

清廉な政治への国民の願いと現実の乖離

誰もが政治に多くを求めているわけではないと思います。ただ「せめてまっとうにやってほしい」「嘘をつかず、誠実に働いてほしい」という、ごく当たり前の願いを持っているだけです。清廉な政治を求めるというのは、理想論ではありません。むしろ、社会の安定や信頼を支えるために必要不可欠な要素です。

しかし、その清廉さが実感できない政治が続くと、やがて国民は「どうせ何を言っても無駄」と感じ、政治そのものに無関心になるか、極端な反応をするようになります。信頼を失った政治が、結局は国民の間に不和と分断を生み、社会の健全な運営を妨げる――これはどの時代、どの国にも共通する事実です。

政治家一人ひとりが襟を正すことはもちろん、制度としての透明性や説明責任の徹底、メディアや第三者による監視体制の強化など、取り組むべき課題は山ほどあります。そして同時に、国民自身も政治に無関心でいるのではなく、しっかりと声を上げ、選挙で意思を示し、健全な批判の目を持ち続けることが求められていると感じます。

私は、怒りや不満の中にこそ、社会を変えるエネルギーがあると信じています。ただし、その力を破壊ではなく建設へとつなげるためには、政治の側がまず誠実であること。そして、国民の願いに対して正面から向き合う姿勢を持ち続けることが必要です。

清廉な政治――それは難しい目標ではなく、社会にとって最低限の約束事。政治家たちには、それを果たす覚悟があるのか。私はそこを、静かに、しかし厳しく見つめていきたいと思います。

執筆:編集部A

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