長崎・鈴木市長「台湾はいずれにも該当せず、対象にはならない」 平和祈念式典から除外/一方で北朝鮮には案内状

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産経新聞によると…

広島市が8月6日の平和記念式典に関し、これまで対象外としていた台湾へ通知文を送る方針を示したことを巡り、長崎市の鈴木史朗市長は16日の記者会見で、8月9日の平和祈念式典について台湾は招待や案内の「対象にはならない」と述べた。従来も招待や案内をしていなかった。

鈴木市長は今月8日の会見で、日本に在外公館を置く全ての国・地域に招待状を、その他の国のうち国連に代表部を置く国に案内状を送ると表明。16日の会見で「台湾はいずれにも該当しない」と説明する一方、「今後、いろいろな状況を見ながら考えていきたい」と含みを持たせた。

案内状を送る試みは今年が初めてで、これまで出席したことがない北朝鮮も対象になる。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【産経ニュースさんの投稿】

引用元 https://www.sankei.com/article/20250516-WDL4O3V3CRIANO4Y2EZDILDVAA/

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みんなのコメント

  • 平和の式典…   ・日本にミサイル向ける北朝鮮 → 招待 ・支援と友情を重ねた台湾 → 対象外   …は?   「国連代表部があるかどうか」で判断?   じゃあ拉致しても、核実験しても、代表部あれば招待OK?   ハニトラにでも引っかかったか? この式典、誰のための平和アピールだ?   赤い国か?それとも赤い思想か?
  • 該当しない理由について記事では不明
  • こいつもハニトラにひかかってそう
  • 長崎市が2025年の平和祈念式典で台湾を招待・案内の対象外とし、北朝鮮には案内状を送る方針は、広島市の当初の台湾除外と同様に中国への配慮が透けて見える 広島市は台湾側の出席意向を受けて通知対象に加えたが、政府の曖昧な姿勢が地方自治体の混乱を招いている 日台の深い実質的関係を踏まえればダブルスタンダードとの批判は免れず、核廃絶を訴える場としては、政治的配慮よりも普遍的な価値を優先すべきだった
  • 何故ゆえに敵国に案内状ですか? 原爆でお亡くなりになった方に追悼の念が全くないでしょう。
  • 長崎平和宣言の中で「地球市民」とかほざきながら、その中に台湾は含まれないわけか、平和が聞いて呆れる。こういうのこそ差別って言うんだろ。 それに長崎市ではないが、長崎県にも北朝鮮による拉致の可能性を排除できないとされる被害者がいるんだがな。
  • 平和祈念式典はお祭りじゃないんだから、核保有国を優先して呼んで「これだけ酷いことが起きたんだぞ、絶対に核使うな」ってメッセージを直接聞かせる場にしたい……ってことじゃないの?
  • なしおくんもそんな残念なことをするのか
  • 自治体が主催する平和を願い、祈る場としてどのような基準があったのか知りたい。
  • かなりやばい 公安警察ってあるのか
  • 長崎の原爆投下で原爆・水爆の使用は打ち止めではない、という長崎市からのメッセージでしょう。 コモン・センスを持った日本や世界の諸国民はこれにけっして同意をしてはならないでしょう
  • 平和式典に中国や北朝鮮を招待して台湾を排除? 頭おかしい左巻き売国奴反日活動家か? 長崎市民はこんな市長で良いの?
  • なるほどね~
  • 九州以外の人たちにはあまり知られてないのかもしれないが、長崎は昔から親中都市。 江戸時代には日本で唯一、出島で中国(清)との貿易が行われ、唐人屋敷には1000人以上の人が居留していた。 今でも中華街は有名だし、華僑や中国人留学生も多く、福岡とともに中国総領事館が設置されているほど
  • 広島は国際的な広い意味での平和って感じ。世界標準を重視。 長崎は局所的な狭い地域での平和って感じ。地元独特な感性。 ※あくまでも私のイメージの話で事実は分かりません。どっちが良いかとは論じていません
  • なんで最近日本各地の市長がバカになってんだろ…◯◯人とかから命令されてんのかな

japannewsnavi編集部Bの見解

台湾を除外し、北朝鮮を招待? 長崎市の姿勢に強い疑問

長崎市が8月の平和祈念式典について、台湾を「いずれにも該当せず、対象にはならない」として招待しない一方、核保有国である北朝鮮には案内状を出すという報道には、深い憤りを覚えざるを得ません。式典の趣旨が「平和」であるならば、なぜ世界でも有数の脅威を抱える国を招き、日頃から支援と信頼を重ねてきた台湾を排除するのか。理屈としても、感情としても到底納得できるものではありません。

そもそも北朝鮮は、核兵器を放棄するどころか、いまも日本列島に向けて複数の弾道ミサイルを配備しています。国際社会から再三の批判を受けてもなお、核実験や軍事的挑発を続けるこの国を「平和の場」に招く意味とは何なのでしょうか。その一方で、歴史的にも経済的にも友好関係を築いてきた台湾に対しては、国連代表部がないことを理由に「該当せず」と切り捨てる。これは、国の信義の問題であり、平和式典の理念そのものが問われる事態です。

ましてや、台湾は現在も中国の軍事的圧力に直面しながら、日本と同様に自由と民主主義を守ろうと踏ん張っている国です。そんな台湾を招かずに、核を背景に威圧外交を仕掛けている北朝鮮を受け入れるという構図は、あまりに歪んでいます。平和を語る場にふさわしいのは、どちらなのか。世界中の常識をもってすれば、答えは明白でしょう。

「形式」が「理念」を凌駕してはならない

報道によれば、鈴木史朗市長は「台湾は国連代表部がないため、招待の対象にはならない」との見解を示したとされています。もしそれが形式的な国際慣例に基づく判断であったとしても、「形式」に囚われて「理念」を失うのなら、平和祈念式典の意味は薄れるばかりです。招待国のリストは単なる外交儀礼ではなく、平和に対する長崎市の価値観を国内外に示すメッセージでもあります。

仮に「代表部があるかどうか」が唯一の判断基準だというなら、北朝鮮のように日本国民を拉致し、核で脅す国であっても、代表部さえ存在すれば問題ないということになるのでしょうか。それでは、道理が通りません。平和とは、ただ戦争が起きていない状態を指すのではなく、人々の自由と尊厳、安全と信頼が確保されてこそ成り立つものです。そうした価値を踏まえた判断がなされなければ、形式だけ整った式典など何の意味も持ちません。

今回の判断が、単なる外交上の配慮なのか、それとも特定の国や勢力への迎合なのかは定かではありません。しかし、国民の多くが台湾に対して親しみと敬意を持っている現実を考えれば、少なくとも市民感情から大きく乖離した決定であることは明らかです。

今一度、平和とは何かを問い直すべき時

私たちは今、「平和」という言葉の軽さに慣れ過ぎてしまってはいないでしょうか。式典で黙祷を捧げ、スピーチを聞き、平和の尊さを語る——。それ自体は意味あることですが、招待国の選定一つをとっても理念が伴っていなければ、その行為はむしろ空虚です。

台湾を除外するという今回の判断は、「日本が誰と連帯し、誰と向き合うのか」を内外に示す象徴的な場面での、極めて残念な選択でした。形式よりも中身を、儀礼よりも理念を。長崎市が本当に平和を訴えるのであれば、その対象と姿勢は厳密に見直されるべきです。

式典は市民のものでもあり、未来世代に語り継ぐべき「価値」を示す場でもあります。今こそ原点に立ち返り、誰のための、何のための平和なのかを問い直すべきではないでしょうか。

執筆:編集部B

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