【橋本琴絵氏】立川の小学校の件、母親の知人2人の名前を公表すると児童の特定につながる、ということは、警察が「どの民族」か教えてくれたに等しいよね。

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以下,Xより

橋本琴絵さんの投稿】

引用元 https://x.com/hashimotokotoe/status/1921311013464379904?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • 児童の特定ってそんなこと言ったら子供のいる犯罪者全員名前公表しないの?って。そんなことないじゃないですか。
  • 母親の名前を公表すると児童の特定につながる→わかる 知人の名前を公表すると児童の特定につながる→???
  • 二人が飲んでいて、学校に持って侵入してきたビール瓶が緑色ってので大体は察しが… 緑色のビール瓶…青島ビール…
  • 犯人が日本人なら公表 犯人が外国人なら非公表 なぜですか? おかしいですよ!
  • その知人は犯罪者なんだから 公表されて当然なのにおかしい 外国人にだけ配慮とか狂ってる
  • 不法侵入した容疑者が教室で割った焼酎の瓶は 「緑色で四角だった」という未確認情報がありますね
  • 昔から立川を知っている人ならあまり良い印象がないという人も多いのかもしれませんが、最近は都立立川国際中等教育学校などもできて、昔移民してた外国人が先頭にたって、地域の国際化の推進で新たな移民を呼び込み、今後さらに困った住民も増えていってしまうのでしょうか?
  • 学校に通っている生徒はもうみんな知ってるし、どっかからすぐに情報は漏れますよ
  • この母親の娘がイジメられたと、相手の子どもの名前を叫び侵入、小学二年生相手に話をしに行っただけ、と平然と言い放つ46歳と27歳。 まぁ、そうだな。
  • アルかニダ? 昼間からチャミスルでもうバレてるけどw
  • んーこればかりは全てがわかるまで何も言わない方が良いと思うですけど… 報道の仕方に違和感ありますよね… 自分の娘が性被害のイジメにでも遭って、それを学校相手に話に言ったのにらちが明かなかったとしたら… 俺が親なら暴れるかもしれん(子供に被害が出るような事はせんけど) そして教師側なら揉めた際にわざとでも備品壊したり窓割ったりした挙句、上手に報道させて優位に立とうとするよな… 事実がどうなのかまだわからないからな… 第三者がどうこう言うのはまだ早いかなと思う
  • 民族がどうのというよりも、いじめにヤクザを介入させるのは珍しいことでは無い気もします。
  • まあ、どうせ地元では、みんな知ってるよね
  • 児童の特定なんて、その学校の保護者はもうみんな知ってるでしょ。
  • 言わない時点でどの民族か特定されてる件
  • 消すと増える法則のように、隠すとかえっていろいろ勘繰られる 普通に公表してれば、仮にそれが非日本人であっても「やっぱりね」くらいで終わるのに、ヘタに隠すから「なぜ公表できないのか」とその背景を深掘りされる
  • こんな半グレみたいな連中は、反社に多い民族ですね。やり方が仁義も何にもないし、戦前は反社は自覚があって、カタギに迷惑をかけない人たち、つまりほとんど日本人でしたから‼️😾😾💢
  • 悪いことをしたら『全て公表』。 これが『公平』というものだ。 公表することが差別という人たちが差別を生んでいる。 公表されることで差別されるというなら悪いことをしなければいいだけ。
  • 仲間が徒党を組んで襲来という行動でもうお察し。 福沢諭吉先生が150年も前に教示して下さっています。
  • 中華か朝鮮だけど、ちゃんと知りたいし、報道してくれないと国民が認知できない。

japannewsnavi編集部Aの見解

匿名報道の意義とその限界について考える

近年、犯罪報道において加害者や関係者の名前が明かされない「匿名報道」が増えています。特に未成年が関係する事件では、児童のプライバシーを守る目的から、関係者の素性が極力伏せられる傾向にあります。これは、個人の尊厳や将来への影響を考慮すれば当然の配慮であり、私も基本的には必要な姿勢だと思っています。

しかし一方で、こうした報道のあり方がかえって社会に不信感や誤解を与えてしまうケースがあるのも事実です。たとえば、「母親の知人2人の名前を明かせないのは、児童の特定につながるため」といった説明がなされた場合、それがどのような背景を持つ人物なのかを想像する材料になってしまう可能性があります。

もちろん、名前を明かすかどうかは個人情報の観点だけでなく、捜査への影響や報道倫理も絡む複雑な判断が求められます。ただ、情報が制限されればされるほど、受け手は不足した情報を「推測」で補おうとします。そしてその推測が、時に不確かで偏ったものになりかねない危うさもあるのです。

情報が伏せられることによる逆効果

事件報道において、情報の出し方が不完全であると、逆に世間では「何か意図があって隠しているのではないか」という不信感が広がります。特にインターネット上では、情報が伏せられれば伏せられるほど、それを補うように“憶測”や“疑念”が飛び交う構造になってしまっています。

今回のように、児童の保護という名目で加害者とされる人物の名前を公表しないと説明した結果、逆に「特定の出自に配慮しているのでは」といった声が出るのは、ある意味で報道が持つ限界でもあります。本来、報道は事実をもとに冷静な判断を促すべきですが、情報が中途半端に出されると、感情や思い込みが先行してしまう恐れがあります。

また、過去には情報が不正確だったことで、無関係な第三者がネット上で名指しされたり、特定の集団に対する偏見が助長されたりした例もあります。これは「情報が足りなかったから」という単純な問題ではなく、「情報を出す側がどう出すか」にも大きな責任があるということです。

私たち一般市民は報道を通じて事件の概要を知り、社会の課題や安全への警戒心を養っています。だからこそ、報道機関や警察には、情報の取捨選択について「過度な秘匿」でも「過剰な露出」でもない、慎重な姿勢が求められます。

知る権利と守るべき倫理の間で

最終的には、「国民の知る権利」と「関係者の人権」のバランスが問われる問題だと私は思います。とくに子どもが関わる事件では、その保護を最優先に考えるのは当然ですが、それが他の重要な観点を犠牲にするものであってはならないはずです。

事件が社会的関心を集めれば集めるほど、情報の開示のあり方もまた、慎重に検討されるべきです。捜査上の理由、プライバシー、公共の安全、再発防止――それぞれの観点を踏まえたうえで、国民の納得を得られる形での説明と開示が求められるのではないでしょうか。

加えて、情報が出る順番やタイミングも重要です。初期報道で誤解を生むような情報が出回れば、その後にいかに訂正されても、誤った印象が根強く残ってしまいます。現代のようにSNSで情報が一気に広がる時代では、「最初の一報」にいっそうの責任が求められていると感じます。

事件報道は単なる興味本位で消費するものではなく、私たち社会が課題と向き合う出発点です。その報道が信頼に足るものであり続けるためには、情報を扱う側の誠実さと、受け取る側の冷静な視点、その両方が必要だと改めて感じました。

執筆:編集部A

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