【X】大椿議員「日本軍は“人民”を守らない」→河合議員「お前は中国共産党か!」が話題に

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以下,Xより

【河合ゆうすけ(ジョーカー議員)さんの投稿】

引用元 https://x.com/kawaiyusukeno2/status/1921080327105126833?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • 言い方違和感
  • 爆笑w いいぞ!ゆうすけ! もっと言ってやれーw
  • 正体バレバレ
  • ボロが出ちゃったようですね。日本人は人民なんていわないし、人民と聞いたら「中国⁉️」てまず頭に浮かびます。
  • アハハ🤣 日本人は人民使わんからな👍
  • 朝鮮労働党です。 チョソンマンセー
  • 朝鮮労働党だよ、舐めんなよ
  • 多分そう。あるいは朝鮮民主主義人民共和国()か。
  • 確かに日本軍は日本国民は守っても”人民”は守らない。いつも活動家が邪魔するので尚更助けない。
  • 河合さんのツッコミに愛を感じる❤️
  • 人民、市民という言葉を使う人には気おつけないといけませんね😓
  • ワンテンポどころが、ツーテンポ以上遅い、ツッコミ😁おまえの市議会に、申し入れしたから、あとは、返答待ちじゃが、、、
  • 中国共産党の下請け子飼いの 中共社民党。ᐭసᐮ
  • どちらかかと言うと、 北の方ではないかと。
  • 大椿、特亜の支持を受けるためにわざと使ってません?
  • www 国の名前以外で使ったことない。 自己紹介乙としか言えないw
  • 社〇党って日本の為にあるとは思えない(´・ω・`) 日本を無防備にする為の工作員の一派なんじゃないかって思う
  • 中国の貨幣の呼称が人民元だから、やっぱり中国を想起させる
  • 何をいまさら・・・ と相手も呆れているかも知れない左巻きへの口激はほどほどに抑えて、河合議員におかれましては保守系議員との共闘教導を主な活動要目として頂きたく、ここにお願い申し上げます。
  • 当時なら「國民」または「臣民」 人民なんて大陸でしか使わない言葉

japannewsnavi編集部Aの見解

言葉ひとつに見える「立場」と「背景」

X(旧Twitter)での大椿ゆうこ議員の投稿が、思わぬ波紋を広げています。内容は「日本軍は人民を守らない」といった趣旨のもので、これに対して河合議員が「お前は中国共産党か!」と応じたことが、大きな話題となりました。この一連のやり取りを見て、私がまず感じたのは、政治家という立場にある人の「言葉選びの重さ」です。

特に注目されたのが、「人民」という表現でした。たしかに、「人民」と「国民」は似た意味を持つ言葉ではあります。しかし、現代の日本社会において一般的に使われているのは「国民」であり、「人民」という語には別の、より特定の政治的ニュアンスが付きまといます。

この点を考えると、大椿議員があえて「人民」と表現したことには、少なからず意図があるのではないかと疑問を持たずにはいられません。政治家の言葉は、その思想や立ち位置を映す鏡のようなものです。国民がその言葉に注目するのは当然のことだと思います。

リンカーンの「人民」とは違う文脈

ある人は、「でもリンカーンだって“人民の人民による人民のための政治”と言っているではないか」と反論するかもしれません。たしかに、あの有名な言葉は民主主義の象徴であり、英語の “people” を「人民」と訳したものです。

しかし、ここで注意すべきなのは、リンカーンの「人民」は、アメリカ国民すべてを意味する広い概念として使われており、現代日本の政治における「人民」とは背景が異なるという点です。

戦後の日本では、「国民」という言葉が政治的にも法律的にも使われてきました。一方で「人民」という言葉は、むしろ中国や北朝鮮など、共産主義体制で用いられるイデオロギー色の強い表現として捉えられています。たとえば「人民解放軍」や「朝鮮人民軍」のように、「人民」は“体制に従う集団”を指す印象が強く、自由と民主主義の日本の価値観とは距離があります。

だからこそ、大椿議員の投稿に対して河合議員が「中国共産党か!」と激しく反応したのは、言葉尻の揚げ足取りではなく、「思想的なにおい」を直感的に感じ取った結果だったのだと思います。

SNS時代の政治家に求められる自覚

今回のやり取りが国会ではなくSNS上で行われたとはいえ、政治家はどこで発言しても“公人”であることに変わりはありません。特に、Xのような場では、言葉が瞬時に拡散し、多くの人に影響を与えます。だからこそ、何気ない一言にも、自らの立場と責任が伴ってくるのです。

私自身、「人民」と聞いてまず感じたのは、日本的な言葉づかいとしての違和感でした。もしもこれが、戦前の用語がそのまま使われているような古い文献や文学の話であれば、そこまで深く気にしなかったかもしれません。しかし、現職の議員が、あえて今その言葉を選ぶとなると、「なぜその言葉を使うのか?」と問いかけたくなります。

言葉というのは、単なる表現ではなく「思想の姿勢」を伝えるものです。そして、政治家にとってはそれが有権者との信頼関係を築くための最も重要な手段でもあります。だからこそ、自身の表現がどう受け止められるかに細心の注意を払う必要があるのです。

SNSは自由な発信の場であると同時に、政治的メッセージがそのまま記録される場でもあります。「一度出した言葉は戻らない」という意識を、今の時代の政治家はもっと強く持つべきだと思います。

今回の件で改めて感じたのは、政治の現場における「用語の感覚」の重要性です。言葉ひとつで、信頼されるか、不安を持たれるかが決まる。だからこそ、私たち有権者も、ただ情報を受け取るだけでなく、その背景にある意図や思想を敏感に読み取る力を持ち続けたいと感じました。

執筆:編集部A

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