【一体誰が申請しているの?】来日間もない外国人が生活保護 日本人の貧困母子家庭が感じた“逆転する暮らし”への違和感

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FORZA STYLEによると…

(略)

そもそも生活保護とは、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としている。最低生活費から収入を差し引いた額が支払われる仕組み。

さらに昨今広く議論されているのが外国人への支給だ。

「法律上は対象は日本人と規定されていますが、人道的な観点から、厚生労働省の通知に基づき、特定の条件を満たす外国人に対しては、日本国民と同様の基準で生活保護が行政措置として支給されています。しかし、この通知がなされたのは昭和29年、1954年なので71年も前のこと。今一度規定を改めるべきなのでは?という議論が噴出しています」

(略)

「自治体に申請後、ケースワーカーが状況を精査し、生活保護が必要か見定めます。外国人の生活保護受給は言語の壁もあり困難を極めるケースも少なくないと言います」

今回取材をしたのは、外国人受給者がアパートのお隣さんだと話す女性だ。

「お隣さんはまったく日本語を話すことができないそうで、一体誰が申請をしているのか?疑問に思ったと話しました。子どもは日本にきて間もないと話し、その子達から聞く暮らしぶりは自分より裕福そうで疑問を感じたとのこと」

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

さすがの流石さんの投稿】

引用元 https://forzastyle.com/articles/-/74262

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みんなのコメント

  • なんで日本人より手厚いの?
  • 働けるのに保護っておかしいだろ
  • 普通に制度の見直し必要じゃない?
  • 結局税金でしょ?納得できない
  • 申請誰がやってんのかマジで謎
  • 母子家庭の方がよっぽど大変だろ
  • 文化も言葉もわからんのに生活保護って意味わからん
  • 隣の人が裕福そうってもう終わってる
  • 真面目に働いてるのがバカみたい
  • 制度使う方もだけど使わせる方も問題
  • 昭和の通知が今も通用するっておかしくないか
  • 誰のための制度かもう分からなくなってる
  • 不公平感がすごすぎる
  • こんなんで自立促進とか笑える
  • 支援の優先順位が完全に狂ってる
  • 国民の声ガン無視してんのか?
  • 自分の生活保護は恥って感覚どこ行った
  • 言葉も通じないのに審査通るってどうなってんの
  • もう一度全体的に仕組み見直してほしい
  • 日本人が困っても助けられない国って何

japannewsnavi編集部Aの見解

私は、最近話題となっている外国人への生活保護支給に関する報道を目にして、胸の中にいくつかの複雑な感情が浮かびました。特に、報道で紹介されていたような「来日間もない外国人が、言葉も通じない状態で、なぜか生活保護を受けられている」という現実を、隣に住む母子家庭の日本人女性が疑問に感じたという話には、私自身も深く共感しました。

生活保護とは、誰もが平等に健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、困窮する方に手を差し伸べる制度です。これは、戦後の混乱期において設けられた非常に重要な社会保障制度であり、日本社会の良心の表れとも言えるものだと思います。だからこそ、私はその制度が公平に運用されているかどうかについて、今こそ真剣に見つめ直す必要があると感じています。

今回取り上げられていたような事例、つまり「日本語がまったく話せない」「来日から間もない」「生活は自分よりもむしろ豊かに見える」といった状況の外国人が、なぜ生活保護を受けられるのか。素朴な疑問として、多くの国民が抱くのではないでしょうか。こうした声を、私は決して「差別的」とは捉えません。むしろ、それは「制度の透明性」に対するごく真っ当な問いかけであり、現実を知りたいという当然の関心であると考えます。

厚生労働省によれば、生活保護は本来、日本国民を対象とした制度でありながら、例外的に永住者や特別永住者など、限られた在留資格を持つ外国人にも適用される場合があるとのことです。その根拠となっているのは昭和29年、つまり1954年に発出された行政通知です。70年近く前の通知が、現在の多様化した社会環境にもそのまま適用されているというのは、少し現実離れしているのではないかと思えてなりません。

また、申請手続きにおいても、「一体誰が申請をしているのか分からない」という声が出てくるようでは、本来の制度運用のあり方に対して疑問符がついてしまいます。言語の壁がある方のために通訳や支援者が関わるのは理解できますが、その支援が制度を利用する方向ではなく、制度を“操作する”ような形になってしまっては、本来の理念が歪んでしまいます。

一方、日本人の多くが、生活に困窮しながらも「生活保護を申請することに対して強い心理的抵抗がある」ことも無視できません。中には「怠け者だと思われたくない」「本当に困っているわけじゃないと言われそうだ」といった理由から、支給に至らないケースも数多く存在します。実際、貧困母子家庭の中には、節約を重ねながらもギリギリの生活を強いられている方々がいます。そんな中で、隣に住む外国人世帯が公的支援を受け、むしろ豊かな暮らしをしているように見えたら、違和感を抱かないほうが不自然だと私は思います。

生活保護制度の本質は、「一時的に困難な状況に陥った人を支え、自立へと導く」ためのものです。「楽だから」「ずるをしてでも受けたい」と思わせてしまうような運用がなされているのであれば、それは制度の信頼性を損ね、結果的に本当に必要な人まで申請しづらくなる空気を作ってしまうのです。

私は、この制度を守るためにも、今こそ見直しが必要だと感じています。具体的には、以下の3点が重要だと思います。

第一に、「制度の透明性と公平性」を確保すること。どのような条件で誰が申請し、どのように審査が行われているのかを、国民が理解できる形で明示することが必要です。

第二に、「本当に困っている人が優先的に支援を受けられる体制」の構築です。働く意欲がある人が正当に報われる社会でなければ、制度全体への信頼が損なわれてしまいます。

そして第三に、「外国人への支給条件の見直し」です。昭和の時代につくられた通知が、現代の実情に合っているのかを今一度検証し、制度設計を改めるべきではないでしょうか。

社会保障制度は、誰かを排除するためのものではなく、すべての国民が共に支え合いながら暮らすための基盤です。しかし、それは無制限に開かれた制度ではありません。税金という限られた財源の中で運用される以上、支援が本当に必要な人に正しく届くための工夫が欠かせないのです。

制度を悪用することはもちろん、制度に対する過度な依存も避けるべきです。私は、生活保護が「最終的なセーフティネット」として本来の機能を果たし続けるためにも、制度の原点に立ち返り、時代に即した見直しが進められることを強く願っています。

執筆:編集部A

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