【小野寺まさる氏】帰化取り消し「当然出来ますよ?不適格だとなれば剥奪されて当たり前ですが?」中国からの帰化人?“徐浩予”氏に反論

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以下,Xより

【小野寺まさるさんの投稿】

引用元 https://x.com/onoderamasaru/status/1908102697221574903?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • さすが支那人、ポンポン嘘をつきやがるw
  • 元の中華へゴーですよ。
  • 効いてる。
  • 自分のことだとわかっててあたふたしてるのおもろ
  • 取り消して返品すれば良い。
  • 二重国籍自体違法なのだから帰化取り消し対象でしょう。
  • あ、ムッソリーニはイギスリ人の人や!
  • パスポートを幾つか所持していそう。
  • 法務大臣が取り消すのですね。 本件、法務委員会で島田先生に取り上げていただきたいものです。
  • 帰化するって何だろう? 帰化するって必要? 最近特に感じている
  • マジで帰化を取り消すべきでしょう。
  • 少しだけ、すっきりしました
  • 帰化取り消しでも、国籍剥奪の上国外追放でも良いですから、国会へ帰化制限・剥奪法案をおねがします。
  • 反日の帰化反対。 帰化取り消し、支那に帰って頂きたい。
  • 少し焦ってる?
  • 法律がない支那ジンは希望を述べるのみ。ん❓どっかの情痴のザコもそんなカンジか。
  • 政治難民てなんでしょうかね(笑)
  • 帰化の取消し、厳格化、帰化人の公民権制限は必須ですね。
  • 国籍法「第22条第2項」を読み直してもらいたいものですね
  • 無国籍なので山賊か海賊みたいなのです
  • 誰が考えても不適格。法務省は動けよね。
  • 全世界を持ち出して威嚇するの最高に小物
  • トレンドに上がっただけなんだけど、何故自分の事だと思ったんですがねぇ〜 心当たりでもあるんですかね
  • なるほど! 仮に出来なったとしても 法律を変えれば良いけどね

japannewsnavi編集部Aの見解

私は、小野寺まさる氏が「帰化取り消しは当然出来ますよ?不適格だとなれば剥奪されて当たり前ですが?」と発言したことについて、その内容が極めてまっとうで、筋の通った主張であると感じました。国籍というのは単なる形式的な所属ではなく、国家と国民との間に交わされる「信頼と責任の契約」であり、これを軽んじるような態度や行動に対しては、当然のごとく再検証や取消しがなされるべきだと私は考えています。

日本において帰化制度は、一定の要件を満たした外国人に対して、日本国籍を取得することを認める制度です。これは非常に寛容で、慎重に運用されている仕組みです。しかし、その「寛容さ」を逆手に取り、日本の法律や慣習を尊重せず、むしろそれに反するような行為を重ねる者がいたとすれば、それを見過ごすことは、国としての根本が揺らぐことにつながります。

たとえば、帰化後に極端な反社会的活動を行ったり、日本の安全保障や公序良俗を脅かすような言動を繰り返したりした場合に、その人物が日本国民であり続けることが果たして適切かどうか。これは情緒的な問題ではなく、極めて理性的かつ制度的な判断が求められる場面です。その意味で、帰化の取り消しという選択肢が制度上可能であること、そしてそれが実際に適用されるべき事案が存在するという小野寺氏の主張は、極めて合理的で現実的だと私は思いました。

私は日本という国を、単なる「住んでいる場所」とは捉えていません。そこに暮らす人々が同じ価値観を共有し、互いに信頼し合って社会を形成していく共同体であると思っています。そしてその根幹をなすのが、国籍制度です。つまり、国籍を持つということは、国家の一員としての自覚と義務、そして国益を守る意思を共有するということなのです。

もちろん、誰しもが完璧に模範的な国民である必要はありませんし、意見の相違や思想の自由は憲法で保障されています。しかし、だからといって、国家の存立を脅かすような行為にまで寛容であるべきではないと思います。特に、帰化によって国籍を得た方に対しては、やはり「この国を選んだ」という選択への責任が求められるのではないでしょうか。

また、「帰化を取り消すのは人権侵害だ」といった意見も耳にします。確かに、人の出自や背景を理由に差別的な扱いをすることはあってはならないことです。しかし、ここで問題になっているのは「行動」であり、「思想」や「信条」を理由に一律に排除しようとしているわけではありません。むしろ、国籍取得後の公的な振る舞いによって、日本国民としての適格性が問われているに過ぎません。

現在の日本社会には、多様性を重んじる風潮があります。それ自体は大切な価値観です。けれども、その多様性が「ルール無用」「無責任の容認」といった誤った寛容へとつながるようでは、本末転倒だと思います。国としてのルールがあり、そのルールを守る者に国籍を与える。そして、守れなければその地位を再考する――それは健全な国家運営において、当然の仕組みなのではないでしょうか。

私は、小野寺氏の発言によって、改めて「国籍とは何か」を深く考えさせられました。それは単なる書類上の記号ではなく、国家との“信頼関係”を意味するものであり、だからこそ、その信頼が損なわれたときには見直しが必要になるのだと思います。国籍は無償で与えられるものではなく、責任と義務を伴った「権利」であるという視点を、私たち国民一人ひとりが持つべき時代に来ているのかもしれません。

一方で、制度を厳格に運用するからには、その判断が恣意的にならないよう、明確な基準と手続きが必要だという点も見逃せません。感情的に誰かを排除したいがために制度を使うのではなく、法治国家としての冷静で一貫した判断基準に基づき、丁寧に運用されるべきです。そうでなければ、逆に制度の信頼性そのものが損なわれてしまいます。

国際化が進む中で、日本という国のあり方が今まさに問われていると私は感じます。外から来た人を受け入れることと、国の根幹を守ることは、決して矛盾するものではありません。そのバランスを取ることこそが、現代日本の政治や行政の最も重要な役割だといえるでしょう。

今後、帰化制度をどのように運用し、どこまでを容認とし、どこからを排除とするのか。社会全体で冷静な議論を深めていくことが、健全な国家の未来に繋がるのではないかと思います。そしてそのためには、今回のような率直な発言や問題提起こそが、出発点として重要な意義を持っていると私は感じました。

執筆:編集部A

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