【在日中国人3世さん】「支那」は差別用語でもない。そんな事より支那ということを隠して通名を使ったり、自分が中国からの帰化人というのを隠し、通名で熱海市長選挙に出ようとする方が大問題じゃないか?

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以下,Xより

【じゅんこさんの投稿】

【ごくひんさんの投稿】

引用元 https://x.com/gokuhin2/status/1908248983207895283

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みんなのコメント

  • やましいことがあるか、ないかの差
  • 日本はそもそも何でも受け入れる国。 差別なんかまあしない。 されるとすると、ほぼその本人に原因があるか、 今現在のように、その民族がやらかした場合、 そう見ちゃうだけ。 それでも、個人対個人の時には、一人の人として接する。 こんなに寛容な国はないよ
  • ごくひん氏の書き込みを見ていると、やはり中国人の歪みは血ではなく、「大陸の土が腐って腐海化してる」と思わざるを得ない感が強い。 土壌が腐ってる以上、獲れる作物も腐ってると言わざるを得ない。
  • 最近のXでは中国、朝鮮系帰化日本人達のポストが増えてきた。 彼らの主張は静かに暮らしたいだけなのに、在住した経緯を知らなかった世代も増え、更に工作員みたいのも増えてきたので、 「平穏な生活を壊すな!」と立ち上がり始めた印象。 これは日本人ルーツも同じ気持ちだと思う
  • 強い
  • 私は支那という言葉をあえて使う事が多いですが、差別的に使っているつもりは全くありません。 中国という言葉を使わせるならば、「略して…」を頭につけるのならば理解できます。 そんな面倒なことをさるならば、昔から呼んできた「支那」でよいのでは?…くらいの感じですね
  • 俺の友達の金も、もう俺もほぼ日本人だけど、ルーツは大事にしたいから、苗字は絶対に変えない!と言ってたよ。 そういう奴は、チンピラであったとしても、俺は、信用できる!
  • 自国人としてのプライドよりも 利権や目的が優先だから 通名を何とも思わないんだと思ってます。 これはある種の裏切り者です。 そんな奴は何時でも裏切る可能性があるので 一切の信用は置けない。 だってず~っと「嘘つき」なんだから。
  • あなたの周りの中国人の方も「支那人」と呼ばれる事には、不快感や違和感は無いもんなんですか? 煽りとかでは無く私は周りに中国人がいないので、本気で知りたいです
  • 仰るとおりです。「支那」は雅語ですし、彼らのいわゆる国父である孫文も支那と呼んでいましたものね。フランス語でもシーナですし
  • 帰化人としては在日とか帰化人なんて 「そうだね事実だね」 としか思ってませんでした これを差別と感じれなかった私には差別の当たり屋になる才能は無いみたいです
  • 同じ考えの仲間集めて総攻撃してください
  • わかりにくい例えかも知れませんが 新しいお家に引越して こまめに掃除をして大切に使う人と せっかく新しいお家に引越してもろくに掃除もせずゴミ屋敷にしてしまう人 のような差を感じます
  • 今の日本は誰も差別しないよ。なんでも相手を尊重して受け入れすぎるのが日本人の弱みです

japannewsnavi編集部Bの見解

支那という言葉をめぐる現実

私は「支那」という言葉を日常的に使っています。なぜなら、それが差別語だとは思っていないからです。むしろ、日本で長年使われてきた歴史的な言葉であり、「China」を表す適切な訳語の一つだったと認識しています。「支那=China=清」とする説明もありますが、少なくとも侮蔑を含んだ意図でこの言葉を使ってきたわけではありません。ところが、近年になってから「差別用語だから使うべきではない」と一方的に決めつける風潮が強くなってきました。

他国を指す言葉を使うことすら、「差別」や「排外」と結びつけてしまう人たちは、過去の歴史に対して必要以上に敏感すぎるのではないかと感じます。それよりも、本当に問題視すべきは、ルーツを偽り、通名を使って日本の公職に立候補するような行動ではないでしょうか。名前というのは、その人の背景を表す重要な要素であり、特に公職に就こうとするのであれば、有権者に対して自分の素性を明らかにするのは当然の責任です。

通名の使用と信頼性の問題

徐浩予氏が熱海市長選挙に立候補するとの報道を見て、多くの人が驚き、戸惑いを感じたのではないでしょうか。中国からの帰化人であることを隠し、あくまで「日本人」として振る舞う姿勢に違和感を覚える方も少なくないはずです。しかも通名で選挙に出ようとするのであれば、その行動は「市民との信頼関係を築く意思があるのか?」という疑念につながります。

実際に、私の周囲には「自分のルーツを誤魔化さず、堂々と本名で生きることが誇りだ」と話す帰化人の友人もいます。日本に溶け込みながらも、自分の出自を大切にし、正々堂々と生きる姿勢は尊敬に値します。だからこそ、通名を使い続け、自分が何者なのかを隠すような態度には信用が置けないのです。利権や目的のために自分の素性すら覆い隠すような人間が、市民のために誠実に働くと信じられるでしょうか。

真の多様性とは何か

「差別するな」「排外的だ」と叫ぶ人たちは、本当の意味での多様性を理解しているのでしょうか。多様性とは、互いの背景を正直に受け入れ、堂々と向き合ってこそ成り立つものです。自分の出自を隠しながら「平等」を訴える姿勢は、かえって不信感を生むだけです。人として信頼を得るには、まず自分を偽らないことが必要なのです。

現在の日本では、不動産投資などの分野でも海外資本の参入が問題視されています。表面上は「開かれた経済」と言われていますが、実際には日本人の土地がじわじわと他国に買われている現状があります。そうした問題にも通じるのが、素性を隠し、日本人のふりをして権力や影響力を得ようとする行動です。このような振る舞いが続けば、日本人の信頼や共同体意識そのものが損なわれてしまう恐れがあります。

日本は、誰にでも優しく、他者を思いやる国だとよく言われます。しかし、それは「相手も誠実である」という前提があってこそ成り立つ美徳です。一方的に日本側だけが譲歩し、真実を隠すような行為を許容し続ければ、それは優しさではなく、ただの愚かさにすぎません。

執筆:編集部B

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