【X民】“うどん女子”はダメで“下着姿”はOK?『エロ広告を規制しろ』と言う人たちが信用できない理由

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以下,Xより

やぶさめりさんの投稿】

引用元 https://x.com/yabusameri/status/1903661991639888241?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

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みんなのコメント

  • これだけ見るとやっぱり「アニメやマンガの絵が嫌い」としか思えんのよ。
  • 2012年だからなぁ… あとツイフェミはネットニュースだけで新聞読まんやろ
  • 理不尽と言うより、首尾一貫性が無いんすよね 気分次第であれこれ言ってる様にしか見えない、まともな人間ならそんなので納得出来る訳が無い
  • 今は球場のビール売り子が標的に
  • 「公共の福祉に反しない限り」保障されるのであって、価値観も倫理観も社会情勢で変わって行くものだし、ましてやインターネットは更にめまぐるしいものがあるので、10年以上も前の事実と比較するのは適切でないと思います。
  • 言いたいことはわかるが、左は十三年前の広告だよな? せめてここ二・三年の広告にしようぜ。 流石に十年以上じゃ時代が違う。
  • 時代が違う。アップデート。
  • “この広告に興味がない”を選択したら永遠にその広告が出てこなくなる世界になれば良いだけなんですけどね。テムとか詐偽ゲーとか包茎治療とか…
  • これに対して「違いが分からないの?察しなさい!!」としか言わず何が悪いのか?を言わないんですよね。
  • この女性が下着姿である合理的理由はないですしね ゾーニングするなら基準を男女ともに制定すべきでしょう 三次元はありだけど、二次元は許されない、 の意味もよくわからない
  • とりあえず牛の頭した子供が女とやってる広告やめろ 気持ち悪い
  • 今だと左もダメだろうな。
  • KINCHOも今はダメでしょ。 ポーズに違和感ありすぎ。 例えば女性用下着の会社なら絶対あぐらなんてさせない。
  • これだと二次元か三次元かみたいな誤解を招きそうですけど、水着のビール広告やレースクイーン、ラウンドガール、ビールの売り子、三次元も普通に許されてないんですよねぇ……。
  • 文句言ってる連中の基準なんて、ただの主観の「気に入る、入らない」だけの話ですからね😮‍💨🐴🦌の一つ覚えに『子供がミタラ-』『不健全ダー』『悪影響ガー』子供が見ても、お前らが子供に教えろよ。何が良くて、何がダメなのか。そんな簡単なことが、できんのかいな?と。
  • この問題だけど GoogleなりYouTubeなりに直接クレーム入れたらええんちゃうの?って思う 広告を掲載してるのはそこなんだし 「プレミアム会員になれば広告出ません」って言われるのがオチだろうけど
  • 当事者の思考や主観次第でいくらでも恣意的な運用ができるってんじゃもはや法律や制度じゃないです。 悪いですけど過疎の村の因習(村八分とかの)とかと変わらんかと
  • エロ広告ゾーニング賛成派ですが、どっちの広告もアリだと思う。エロくないしコンセプトが違うでしょ。 ごっちゃにして叩いてるのはあなたの方。
  • 赤いきつねのCMはエロくてケシカランという💩フェミが、K-POPアイドルの露出衣装で腰打ち尻振りダンスにはだんまりどころかカッコいいとかいうダブスタ。
  • 同族から反撃されるか否かで突撃するかどうか決めている うっかり反撃してくるタイプに突撃した時は無関係の男を間に挟んでお互いに殴り合い溜飲を下げる

japannewsnavi編集部Aの見解

私は今回の画像を見て、率直に「何が良くて、何がダメなのか」の判断基準がますます曖昧になっていると感じました。左側には下着姿の女性が新聞広告として堂々と掲載され、しかも広告賞まで受賞している。一方で、右側に並べられているのは、制服姿のアニメキャラクターやカップ麺を食べる描写など、性的表現というよりもむしろ日常的、あるいはファンタジー的な表現に近いものばかりです。にもかかわらず、後者は「不適切だ」「ゾーニングが必要だ」とされる。いったい誰がどんな基準でそう判断しているのか、非常に疑問に思わずにはいられませんでした。

確かに、広告表現には一定の配慮が必要です。特に公共の場に掲出されるものについては、老若男女を問わず目にする機会があるわけですから、不快感や誤解を生まないようにする工夫は不可欠だと思います。しかし、問題はそこに「公平さ」が欠けている点です。同じような露出、あるいはそれ以下の表現であっても、実写であれば許され、イラストであれば非難される。この不一致は、いくら考えても納得のいく説明がつきません。

アニメや漫画のキャラクターが登場する広告は、現実と違って空想の世界を描いているわけです。そのため、写実的な描写以上に慎重な目で見られるという論理は理解できますが、それでも「ラーメンをすする姿」や「制服を着ている」というだけで性的表現と断じられるのは、さすがに過剰反応だと感じます。むしろ、何に対して不快だと感じているのかが見る側に委ねられすぎており、主観がルール化されているように思えます。

私が最も気になるのは、このような過剰な規制の矛先が一方向にしか向いていない点です。実写であれば表現の自由として守られ、フィクションであれば攻撃の対象になる。その背景には、「二次元だからこそ叩きやすい」「実在しないからこそ過激な目で見てしまう」という、ある種の心理的な偏見があるように思えてなりません。これが続けば、表現者は委縮し、広告の世界から自由な創造性が失われていくのではないでしょうか。

また、現実問題として「広告倫理」がどこまで時代に即してアップデートされているのかという点にも疑問が残ります。昔の広告であれば「過激」だとされていた表現が今は当たり前のように使われていたり、逆に昔は問題視されなかった描写が急に「不適切だ」と批判されたりする。こうした変動の大きさに対し、明確なルールもなければ、運用の透明性も感じられません。結局のところ、誰かの主観に頼った判断がまかり通っているだけではないかと思えてしまいます。

もちろん、すべての広告を自由にすべきだとは思っていません。子どもが目にする場においては、一定の線引きは必要だと考えます。しかし、その線引きはもっと論理的かつ客観的であるべきです。今のように「実写の下着はOKで、アニメの制服はNG」というような逆転現象が続けば、もはや倫理とは言えず、単なる感情論になってしまいます。

実際、「うどんをすする女性のアニメーションCM」が炎上するような世の中では、広告制作者も委縮せざるを得ないでしょう。仮に表現に悪意がなかったとしても、「誰かが不快に感じたらアウト」とされてしまうのでは、広告として成立しません。そして、そのような空気が続けば、クリエイティブな発想そのものが抑圧されていく危険性があります。

私は、広告というのは社会の鏡だと思っています。だからこそ、そこで描かれる表現が時に挑戦的であったり、時に議論を呼ぶことも必要だと感じます。しかし、それを受け止める側が冷静さを失ってしまえば、結局は萎縮と検閲ばかりが進むことになるのではないでしょうか。規制とは、本来「自由を守るためにあるもの」であるはずです。それが「自由を潰す道具」になってはいけないと、私は強く思います。

執筆:編集部A

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