ミス東大、パリでの差別告白も「私は東アジア人であることを誇りに」発言が物議 「両親ともに純日本人」と反論

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SmartFLASHによると…

(略)

「神谷さんは、2020年の『ミス東大』という肩書をひっさげて芸能界入りし、モデルやタレントとして活躍しています。現在は東京大学公共政策大学院で学んでおり、2025年9月からはパリのビジネススクール『HEC』に進学予定だそう。すでにパリで生活しているようです。しかし、現地で差別を体験したようで、3月17日にXでエッフェル塔をバックにした写真とともに

《パリ生活4週目突入。アジア人カースト最下位を痛感してます》

 とポスト。これを引用リポストする形で冒頭の投稿をすると、さらに翌日、冒頭のポストを引用しつつ、

《私は東アジア人であることを本当に誇りに思ってる》とポストしました。

 神谷さんの経験自体には同情や、似た体験をしたという別のユーザーの声も寄せられバズりました。一方、《東アジア人》という発言には違和感を覚える人が多いかったようで、炎上してしまいました」(芸能担当記者)

 神谷の「東アジア人」という表現に、X上では、

《なんで誇りを持ってるのが日本人としてじゃなく東アジア人としてなの?》

《はい?東アジア人?そんな言い方する日本人ておるんや初めてやわ》

《え、日本人じゃないってことですね》

 などと、異論が殺到。このポストは現時点で、1790万回のインプレッションを記録するほどの注目度だ。

 さらに神谷は、

《日本人は普通は自分を「東アジア人」とは言わない。日本人は日本人意識が高い》

 という元国連専門機関職員を名乗るユーザーの指摘に対して、

《東大の東アジア文藝書院(@EAA_UTokyo)ユース生として東アジア文化を勉強したのが土台にあります。東アジアって文化的に共通する部分も多いので、EAAのサイト勉強になると思います》

 と反論。なかには「ハーフではないか」と疑うポストも見られ、それに対しては

《両親ともに「純日本人」です。江戸時代からのお位牌もある。ただ、「純日本人」って概念がそもそもナショナリズムに基づいた想像上の共同体で、実態を伴わないものだよ。渡来人以前に日本列島に住んでた縄文人を純日本人と仮定したとして、縄文人自体も外から来たから矛盾しか生まれないよ》

 などと、真っ向から反論した。

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【ツイッター速報さんの投稿】

引用元 https://smart-flash.jp/entame/335779/1/1/

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みんなのコメント

  • その理論だとそもそも東アジア人もおかしいだろ!ほんとカスだな!適当な言い訳してんじゃねーよ!!
  • 外に出たからこそ、自分の国やルーツに誇りを持つという流れになるはずなのに、なぜそれを「東アジア」という広いくくりで表現したのか疑問に思った。
  • 差別の話は気の毒だが、だったらなおさら「日本人として頑張る」と言ってほしかった。東アジアという表現では日本人のアイデンティティが曖昧になる気がする。
  • 文化的な背景からの言葉選びだったのかもしれないけれど、国内で反発が出るのは当然だと思う。違和感を覚える人の気持ちも尊重してほしい。
  • 言葉には力がある。発信する立場にあるなら、自分の立ち位置や使う言葉がどう受け止められるか、もっと丁寧に考えてほしかった。
  • 「純日本人」という言葉を軽く否定していたけれど、そこに大切なものを見ている人もいることは忘れないでほしい。
  • 国の支援を受けて育った立場なら、日本人として世界に向き合うことが大事なんじゃないか。それを東アジアという抽象的な表現で語るのは違うと思う。
  • 現代的でリベラルな視点なのかもしれないけど、日本人の多くが持っている感覚とはずれている気がする。炎上するのも仕方ない。
  • グローバルを意識しすぎると、逆に自分の国を語れなくなるという落とし穴に見える。大事なのは土台を忘れないこと。
  • 若い世代にこういう発信が広がってしまうと、「日本人」というアイデンティティがますます希薄になる気がして怖い。
  • 炎上は意図しない形だったのかもしれないが、違和感を覚えた人がこんなにも多かったということは、何かがズレていたという証拠だと思う。
  • 海外でつらい思いをしたなら、なおさら日本の文化や考え方の良さを再確認して、それを世界に伝えることが使命だと私は思う。
  • あえて「東アジア人」と言ったことで、逆に日本人としての軸がブレているように見えた。誤解を招いたのはそのせいじゃないだろうか。
  • 位牌まである家系だと語っておきながら、純日本人という言葉に価値がないかのような表現は、聞いていてとても残念だった。
  • 海外で差別されたなら、もっと強く「私は日本人だ」と主張してほしかった。それが本当の意味での誇りではないだろうか。
  • 文化の共通点はあっても、国としての価値観や背景はまったく違う。だからこそ、日本人は日本人として発信すべきだ。
  • 思想や学問として「東アジア」を研究することと、自らをその一員と名乗ることはまったく別だと思う。そこを混同してはいけない。
  • パリでつらい経験をしたからこそ、日本人としての誇りを再確認する場面だったと思う。東アジアという表現は逃げに見える。
  • 言い返すときの言葉も強すぎた。冷静に説明していれば、ここまで拡大しなかった気がする。立場のある人は慎重に発信してほしい。
  • SNSは言葉が一人歩きする。だからこそ、自分の国やルーツを大切にし、それをどう伝えるかにもっと意識を向けるべきだった。

japannewsnavi編集部Aの見解

今回の一件について、まず初めに感じたのは、神谷さんご自身が体験された差別という現実は、非常に重いものであり、個人の痛みとして尊重されるべきだということです。どの国においても、見た目や出自によって扱いが変わることは決して許されるものではありません。エッフェル塔を背景に「アジア人カースト最下位を痛感してます」とつづられた投稿には、異国での孤独感や悔しさが滲んでおり、多くの日本人が共感を覚えたのではないでしょうか。

しかしその一方で、「私は東アジア人であることを誇りに思っている」との発言が、国内で物議を醸したのも事実です。私自身、正直に言えばその表現に違和感を抱きました。なぜなら、「誇りを持つべき対象」が、まずは自分の国籍である「日本人」であるはずだと、自然に思ったからです。

もちろん学術的には「東アジア」という枠組みは存在しますし、東大で東アジア文化を学んだ経験からそのような意識を持ったということも理解できないわけではありません。しかし、SNSという非常に多くの人の目に触れる場で、自らを「東アジア人」と称した場合、どうしても日本というアイデンティティをぼやかしてしまう印象を与えてしまいます。それが一部のユーザーからの「なぜ日本人として誇らないのか?」という疑問につながったのだと私は感じます。

この違和感の背景には、日本という国に対する国民意識の高さがあるのではないでしょうか。島国であり、長い歴史と独自の文化を築いてきた私たちにとって、「日本人であること」には深い誇りがあります。ですから、「東アジア人」と表現されると、それは日本という国の存在を薄める言葉のように聞こえてしまうのです。これはナショナリズムというより、自然な国民感情のひとつだと私は思います。

また、神谷さんは「純日本人」という概念自体を否定するような発言をされましたが、これも非常にデリケートな問題です。確かに人類の歴史を辿れば、どの民族も混血の過程を経てきたわけで、絶対的に“純粋”な民族など存在しないという意見にも一理あります。しかし、だからといって「純日本人」という表現そのものを全否定するのは、感情的に受け入れにくい人が多いのではないでしょうか。

なぜなら、日本には日本の血筋や家系を大切にしてきた文化があります。家系図を守り、祖先を敬い、神社で氏神様に手を合わせる――こうした行為は、単なる形式ではなく、「日本人であること」を誇りに思い、受け継いできた証です。そうした背景の中で「位牌もあるけれど、それはナショナリズム的な幻想」という言い回しを聞くと、多くの国民は寂しさや反発を覚えるのではないかと思います。

一方、神谷さんのように世界に飛び出し、グローバルな視野で学ぶ若い人材が日本にいること自体は、大きな価値です。だからこそ、なおさら「誇るべきは自分の出身国」であってほしい。日本から世界へ飛び立つ人材が、自分のアイデンティティを「東アジア人」と曖昧に表現することなく、「日本人としての視点」や「日本の文化や価値観」を堂々と語ってほしいと私は思います。

世界で活躍するために、自国の立ち位置や文化をあえて捨てる必要はありません。むしろ、ルーツに誇りを持ち、その上で他国と交わることが、本当の意味での国際人ではないでしょうか。「私は日本人であり、東アジア文化にも通じています」と語ることはできても、「東アジア人として誇りを持つ」と語ったとき、日本人としての輪郭がぼやけてしまう。その差は、小さいようでいて大きな印象の違いを生むのだと思います。

最後に、SNSという場所は発信力が強い分、言葉の選び方ひとつで大きな波紋を呼びます。特に影響力のある立場にある方であればあるほど、その言葉の重さは増します。今回のように、ご本人が意図しないところで炎上してしまったことは、ある意味で現代的なリスクとも言えるかもしれませんが、それでも発言者自身が「どう伝わるか」に細心の注意を払う必要があるのも事実です。

私は、神谷さんの努力や挑戦そのものを否定するつもりはまったくありません。ただ、「日本人として誇りを持っている」とひと言添えていれば、これほどまでに波紋を呼ぶことはなかったのではないかと感じています。そして、そのひと言こそが、多くの日本人が求めていた共感の接点だったのではないでしょうか。

執筆:編集部A

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