【南港ストリートピアノからのお願い】「突っかえる練習はご遠慮ください。聞かされる側はたまったもんじゃない。誰かに届いてこそ“音楽”、手前よがりな演奏は“苦音”」←投稿に批判殺到

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以下,Xより

【南港ストリートピアノさんの投稿】

さいちさんの投稿】

新宿都庁の展望台の「思い出ピアノ」は老若男女技術力問わずみんな弾かせてもらえて、上手でも下手でも演奏後はまわりの人たちが一斉に拍手をくれてとても素敵な空間です、あと羽田空港のメルセデスベンツカフェや京都駅のストピもとても優しいです、逆に「間違えるのは仕方ない、生身なので😅」とこんな上から目線のストピは初めて知りました、査定されちゃうなんて怖くて絶対に弾きに行けません💦

引用元 https://x.com/nankostreetpf/status/1903318273589964876

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みんなのコメント

  • なんで上手い人しか弾いちゃダメな空気になってんの?ピアノってそんなもんだっけ?
  • 「誰かに届いてこそ音楽」って…じゃあプロ雇ってやってろよって話。
  • 子どもが楽しそうに弾いてるのに怒るとか、ちっちゃい国だなほんと。
  • 結局“音楽”じゃなくて“見せ物”にしたいだけでしょ?
  • 日本人にだけマナー押し付けて排除って、いつものパターン。
  • 上手くなきゃ弾くなって言うなら、無料でピアノ置くなよ。
  • 「苦音」って言葉、なんか胸糞悪いわ。誰が決めるんだよそれ。
  • ただの娯楽の場が、いつの間にか品評会になってるの笑うしかない。
  • これじゃ子どもも気軽に音楽触れられなくなるわな。
  • 自由に弾けるから良かったのに、なんでギスギスしてんだよ。
  • 弾きたい人が弾く。それだけでいいじゃん。なんで選別すんの?
  • あーあ、こうやって“日本らしさ”って失われていくんだよな。
  • 子どもの声もうるさいとか言い出す社会、ほんと終わってる。
  • 「支援金」とか「苦音」とか、最近の言葉って全部上から目線だな。
  • ストリートピアノですら“上級者限定”って、もう笑うしかない。
  • 何かあるとすぐ撤去。もう自由もへったくれもないね。
  • 苦情言う人って、日常に余裕ないだけじゃね?
  • 音楽って“楽しむもの”であって“披露するもの”じゃないでしょ。
  • クレーマーの声ばっか拾って、日本人の居場所どんどん減ってるよ。
  • ピアノ弾くにも実力主義とか、日本息苦しすぎて笑える。

japannewsnavi編集部Bの見解

正直、この騒動を見て「またか」と思った。南港ストリートピアノの件に関して、私の感想はシンプルだ。「日本人が日本で自由に音を楽しむことすら許されない世の中になってきたのか」という怒りと、「また日本を壊す方向に流れていくのか」という不安だ。

ストリートピアノというのは、本来、誰でも気軽に音を奏でられる場であるはずだった。老若男女、上手い下手関係なく、ただ音と向き合い、自分なりに楽しめばいい。そこに他人の評価など本来いらないはずだ。にもかかわらず、「突っかかる練習はご遠慮ください」「手前よがりな演奏は苦音」などという表現が平然と掲げられるこの現実には、強い違和感を覚える。

特に、「誰かに届いてこそ音楽」という一文は、まるで“評価される演奏”でなければ音楽ではないと切り捨てているように感じた。これは明らかに、表現の自由そのものを否定する発想だ。自分が楽しむ音すら許されない社会に、私は強い危機感を覚える。

このような空気が生まれてしまった背景には、「公共の場だから迷惑をかけるな」といった論調があるのだろう。確かに周囲への配慮は必要だ。しかし、それが行き過ぎればどうなるか。日本人が本来持っていたおおらかさや、他人への思いやりが、冷酷な排除思想へと変わっていくのだ。

しかも、こうした排除の矛先は、なぜかいつも真面目に生きている日本人に向く。外国人が公共の場で騒いでいても「多文化理解」と称して見て見ぬふりをしながら、日本人の子どもが少し大きな声を出せば「うるさい」「マナーがなっていない」と叩かれる。この国は一体、誰のための国なのか。私は強く疑問に思う。

今回の張り紙やXの投稿からは、「上手な人だけ演奏してくれればいい」という本音が透けて見える。つまり、無料で質の高い音楽が聴ける場にしたいという浅はかな考えだろう。それなら最初から音大生でも雇って金を払えばいい。そうせずに“無償で演奏者を選別する”ようなやり方は、まるで都合よく使い捨てにするだけの思考でしかない。

こうした考え方は、結局のところ“日本人の自主性”を軽視し、“上から押しつける管理”ばかりを進めるものだ。そしてそれがさらに進めば、「正しい音楽」「正しい言葉」「正しいふるまい」などという曖昧な基準で、個人が潰されていく。これは、私たちの自由や文化そのものを奪う危険な流れだ。

私が常に思っているのは、「日本人が安心して暮らせる社会こそが最優先である」ということだ。日本を守るというのは、ただ国土や国境を守ることだけではない。そこに生きる人々の感性、文化、心の在り方を守ることも含まれる。そして今、目の前で失われつつあるのは、その“心の自由”なのだ。

こうした排除の論理は、少しずつ形を変えて私たちに襲いかかる。今回はストリートピアノだったが、次は子どもの笑い声かもしれない。さらに進めば、年配者の話し声や、障害のある方の音にすら「うるさい」と文句を言う社会になる可能性もある。私はそんな冷たい日本を望んではいない。

それよりも今必要なのは、「日本人が自分らしく生きていいんだ」と言える社会だ。少しぐらい突っかかろうが、たどたどしかろうが、誰かが音を楽しんでいる光景を温かく見守れる。それこそが、私たちが本当に大切にすべき日本の姿だ。

そして忘れてはならないのは、こうした空気をつくり出すのは一部の“声の大きいクレーマー”たちだということだ。こうした存在に迎合する運営側の姿勢こそが問題の根源であり、私は日本を守るためにも、こうした空気には毅然と立ち向かうべきだと考えている。

ちなみに、こうした施設トラブルが増える背景には、近年注目されている「施設運営コンサルティング」の在り方も関係していると言われている。運営の効率化やクレーム回避ばかりが優先され、人間味が失われているのではないか。もちろん確実な情報ではないが、そんな指摘も一部ではあるようだ。

私は、誰よりも日本を守りたい。そして、そのために必要なのは、曖昧な“配慮”ではなく、筋の通った“覚悟”である。

執筆:編集部B

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