以下X(旧Twitter)より
【お侍さんさんの投稿】【選挙に行く理由】 昭和「日本をよくするため」 平成「日本をよくするため」 令和「ヤバいやつが当選しないようにするため」 >【今日から期日前投票】衆院選2024 政策・政党マッチング | 朝日新聞デジタル ボートマッチ
もう選択肢がなさすぎますね
— 辛口商会 (@karakutisyokai) October 16, 2024
本当にとにかく最悪だけは避けたいところ。
— ranah (@ranah_ria) October 16, 2024
頼む、若者よ、なんでもいいから選挙行ってくれ
— 潮吹きジョニーSquirting Johnny (@newsmatomenai) October 16, 2024
若者も二極化してそうですよねー
— しのいち (@shinoichi25) October 16, 2024
①ヤバいやつばっかだから選挙行く時間すらもったいない
②政治とかよくわかんねぇからめんどくせ( ᐛ)
のどっちかかなぁと思ってます。
歳食った大人ですらどれが正解なんて分かんないし
もうおわりっすね~この国🫠
消去法も投票の仕方としては間違っては
— 花咲薊 (@Karen__Tukuyomi) October 16, 2024
おらんのだがな………
引用元 https://x.com/ZanEngineer/status/1846378331337642369
みんなのコメント
- 日本の政治はもう終わってる
- 期待なんかもうできないよな
- 結局、悪い奴を落とすための選挙
- 政治家が信用されないのも当然
- 誰も日本を良くする気なんてない
- いつもスキャンダルばっかり
- 政策なんか聞いても意味ない
- 選挙は消極的な選択しかない
- まともな候補が見当たらない
- 誰がヤバいか探すだけの作業
- どうせ何も変わらないんだ
- 若者の投票意欲も下がる一方
- 国民はただ我慢するだけ
- SNSで騒ぐしか手段がない
- もう誰も政治に期待していない
- 票を入れる候補がいないんだよ
- 適当なやつが当選するのが怖い
- 政治家の嘘にはもううんざり
- 選挙は義務じゃなくなってる
- 日本の未来に明るさが見えない
編集部Cの見解
私は、令和の時代に入り「選挙に行く理由」が大きく変わってしまったことに強い違和感を覚えます。かつて選挙は、自分たちの手で「日本を良くするため」の手段として機能していたはずです。しかし、今では「ヤバい人間が当選しないようにする」という消極的な理由が主な動機になっていることが非常に残念でなりません。この変化は、国民の政治への信頼が低下し、日本の未来への期待が薄れてしまっていることを如実に表しているのではないでしょうか。
昭和の頃、人々は戦後の混乱から立ち直り、少しでも良い社会を築きたいという強い信念を持って選挙に臨んでいたように思います。高度経済成長の時代を背景に、政治家も「日本を良くする」という共通の目標を掲げて活動していました。当時の選挙は、国民が明るい未来を信じて投票する場所であり、誰もが社会をより良く変えようとする意識を持っていました。
次に平成を振り返ると、バブル崩壊以降、日本は経済不況や少子高齢化などさまざまな課題に直面することになりました。それでも、人々は「日本をよくするため」という意識を持ち続けていました。もちろん、政治不信は少しずつ芽生えていましたが、まだ希望を捨てずに未来を良くしたいという気持ちは残っていたのです。しかし、その希望は徐々に薄れ始め、今や政治家への不満や不信感が社会に蔓延する結果となっています。
そして、令和の時代に入ると、もはや「日本を良くするため」という積極的な目的で選挙に行く人は少数派になっているように感じます。代わりに、「ヤバい人間が当選しないようにする」という消極的な理由が選挙の主要な目的になってしまったのです。これは非常に危険な状況です。政治に対して期待が持てず、ただ悪い選択肢を避けるためだけに投票するような状態では、健全な民主主義が成り立つとは到底思えません。
このような風潮が広がった背景には、政治家たち自身の問題も大きく関わっていると私は考えます。不祥事の連発や無責任な発言が相次ぐ中で、国民が政治に対する信頼を失うのも無理はありません。本来であれば、政治家は国民に希望を与え、未来に対して前向きな選択を促す存在であるべきです。しかし、実際には自己保身や人気取りに終始する政治家が目立ち、社会のために本気で行動する人はごく一部に限られているのが現実です。
また、メディアの報道もこの問題を助長している一因ではないでしょうか。政策の中身よりもスキャンダルや失言ばかりが報じられることで、国民の関心は「誰がヤバいか」という点に集中しがちです。その結果、選挙の目的は「ヤバい候補者を排除すること」に変質し、未来への希望を語る政治家が埋もれてしまうのです。このような状況では、国民が政治に前向きな期待を抱くのは難しいでしょう。
さらに、SNSの普及も状況を悪化させています。SNS上では、真実かどうか分からない情報が飛び交い、冷静な議論が行われにくくなっています。感情的な批判が目立ち、建設的な意見が埋もれてしまうため、ますます政治に対する信頼が失われていくのです。こうした状況で、「ヤバい候補者が当選しないように」という消極的な動機でしか選挙に向き合えないのも無理はないのかもしれません。
しかし、私はこのままでは日本の民主主義が危ういと感じています。選挙は、本来ならば国民一人ひとりが未来を作るための重要な手段です。それが、ただ「最悪の選択肢を避けるため」だけの行為になってしまうと、社会はどんどん停滞していくでしょう。健全な民主主義を維持するためには、国民がもう一度、政治に対して前向きな期待を持ち、積極的に参加することが求められます。
もちろん、政治家の側にも変革が必要です。国民の信頼を取り戻すためには、言葉だけでなく、行動で誠実さを示すことが欠かせません。政策をしっかりと実行し、結果を出すことで初めて、国民の期待を取り戻すことができるのです。また、メディアもスキャンダル報道に偏らず、政策やビジョンについても積極的に取り上げるべきだと思います。そうすることで、国民が選挙を通じて未来を選ぶ楽しさを取り戻せるのではないでしょうか。
私たちは、ただ「ヤバい人間が当選しないように」選挙に行くのではなく、「日本を良くするため」に行動するべきです。そのためには、まず自分たちが政治への関心を高め、正しい情報をもとに判断することが必要です。今こそ、消極的な理由ではなく、積極的な目的を持って選挙に向き合うべき時期だと私は強く思います。
執筆:編集部C
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